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Plinio Michetti
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Plinio Michetti

商品詳細

制作地
Turin(Torino) / Italy
制作年
1937
サイズ
4/4
ボディレングス
357mm
アッパーバウツ
163mm
ミドルバウツ
111mm
ロウアーバウツ
111mm
商品番号
VN44-00008
状態
Mint

備考

証明書:Andreas Woywod

1891生 。
トリノで活動し、1949年クレモナで受賞。
1950年までに300台のバイオリンを製作した 。

Plinio Michetti(1891-1991、プリニオ・ミケッティ)
1891年1月21日、Calizzano(カリッツァーノ、Savona県の都市)で生まれました。結婚後にSavona(サヴォーナ)に移り、その地で彼を弦楽器製作の道へ導いたEuro Peluzziと出会いました。Plinio Michettiは、ジェノアにあった他の工房(Candi工房やDe Barbieri工房のような)へも頻繁に出入りしていたようです。このあたりの事情が、弦楽器製作者としてのキャリアの出発点でLigurian(リグリア)派のモデルと製作方法を彼が何故用いたかを説明するでしょう。彼がリグリア派の工房のどれか一つの徒弟であった証拠はありません。それでもやはり、彼が一派の工房へアマチュアとして通い詰めて弦楽器製作の基本を学んだかも知れないという点を除外できません。
1920年代に彼はトリノへ移り、様々な種類の楽器を扱っていたMorutto商店のために働きました。やがて彼はトリノで工房を構え、製作活動のほとんど最晩年までそこに留まりました。
Evasio Emilio Guerra(1875or1880-1956、エヴァジオ・エミリオ・グエッラ)と同様、彼は自分の記録を僅かしか残さず、保管もしませんでした。彼は宣伝することを好まず、トリノの職業人名簿に掲載されることすら拒みました。(他の製作者達と共に名簿に掲載されることは一般的な慣例でした) 彼について言及している僅かな資料の一つは、彼がいつも参加していた展示会やコンクールやイベントのカタログです。1928年、トリノでの銀賞。1949年、クレモナでパイオリン4本とビオラ1本を出展して銅賞と名誉賞などです。また、彼は多くのコンクールにも参加していました。1951年と1957年のフィレンツェ、1952年と1956年のローマ、、1953年のミラノ、1955年と1959年のアスコリ・ピセノ(Ascoli Piceno)、1957年のアンコーナ(Ancona)、1958年のペグーリ(Pegli)、1968年のバグノカバーロ(Bagnocavallo)などです。(いずれもイタリアの都市で、弦楽器コンクールが行われています)
1991年10月13日、Plinio Michettiは100歳で亡くなりました。

Plinio Michettiの作品は、まだ良く知られてはいませんが、かなり興味深いものです。作品の品質には様々なものがあります。今日、彼の作品の多くは彼自身のラベルをつけておらず、その代わりにFagnolaやOddoneなどイタリア・ピエモンテ(Piedmont)地方の有名な製作者のラベルがついています。このことは、彼の仕事がピエモンテ派の主な代表者達のものとして簡単に誤解されてしまうということを意味しているわけではありません。一方、彼の作品のいくつかにおいて、彼は他の作品よりも高い品質を与えています。
彼の専門家としての成長の特徴の一つは、彼が試した様々な手法にあります。それにより、彼は多くの異なったモデルを作りました。彼はFagnolaやOddoneの作品を模倣しましたが、それはコピーしようとする意図ではなく、ただ敬意を払うものでした。それ故、彼が巨匠達との共同作業をしばらくの間行った可能性を排除できません。このことは、彼の作品のいくつか(特にFagnolaのPressendaモデルを模範にして作られたもの)については、彼の作品だと見分けることがそれほどたやすくないという事実によって立証できます。彼はガルネリなどの他モデルも用いました。彼の最高傑作は1925年から1935年頃にかけて作られたものです。
彼の製作歴の中でニスはかなり変りました。特に初期においては鮮やかな赤色のニスを用いました。それは(成果は疑わしいものでしたが)恐らくアニリンを使ったもので、当時の弦楽器製作の世界に導入されつつあった方法でした。彼は、イエローオレンジかブラウンオレンジの異なる色合のニスにも頼りましたが、その方がはるかに良い効果を得ることができました。これらのニスの外見はかなり異なったものであっても、時にかなり厚くて完全には酸化されていないものです。
彼は、自身の署名とブランドがあるラベルでは数種類の異なるタイプのものを使いました。Fignolaモデルでは、楽器の内側、リブの上部に署名もしました。スクロールの工作とエッジの仕上げには一定の形があり、彼のスタイルの特徴を容易に見分けることができます。彼の作品のほとんどで、リグリア派の製作法をライニング(たいていヤナギ材を使用)とコーナブロックの工程で用いました。