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MARCEL CHARLES LAPIERRE

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商品詳細

制作年
1950年頃

備考

Marcel Charles Lapierreの1950年頃の作品です。重量は軽め。明るいフレンチトーンの良い音が出ます。
女性や小柄な方にお薦めの軽めの弓です。

Marcel Charles Lapierre(1907-1979、マルセル・シャルル・ラピエール)
1907年3月、ミルクールで生まれました。父親は左官工Francois Lapierre。母親はLABERTE工場の職工Anne Charlotte Antoinette Berly。彼は二度結婚しました。最初の結婚相手は弦楽器製作者の娘Germaine Gaspar、二度目はYvonne Anceでしたが、どちらとも子供を残しませんでした。
1921年から1923年までJerome Thibouville-Lamy工房で修行しました。彼はまずBROUILLIER&LOTTE工房で働きました(1926年に同工房の職人として記録されています)。1931年から1936年までF.Lotteと仕事をしました。その後、Louis Bazin工房に移り、さらに後にMorizot兄弟の下で働きました。また、1946年にEmile Auguste Ouchardのために弓の荒削り工程を請け負いました。同年にEmile Auguste Ouchardがニューヨークへ去った時、彼はスイス・ジュネーブのPIERRE VIDOUDEZ工房へ働きに行き1947年まで同地に留まりました。2年後、彼の地位はB.Ouchardに引き継がれました。
その後、彼はミルクールに戻り(パリに移住する計画を持っていましたが)、1948年、生まれ故郷に住み着きました(最初はビヨーム通り、後にガムベッタ通りに引っ越しました)。この時期の彼の仕事は緻密で、その弓は素晴らしく高品質のものです。
彼はまた、E.A.Ouchardの影響を受けHILLスタイルのアンダースライドも採用しました。たいがい、彼は、E.A.Ouchardのように、作品の二箇所(スティックの両サイドの同じ位置)にサインをしました。このように彼はE.A.Ouchardから強い影響をうけており、それが作品にも現れています。
国勢調査では、彼は自身を芸術家・弓製作者と記しました。1970年代、晩年期に入った彼の作品は以前より粗雑なものになり、その感触はかなりぞんざいなものになりました。
1979年6月、ミルクールの自宅で亡くなりました。
彼の弓で、特に1960年以前に遡るものは、今日高く評価され、求められています