ストラディブログ
弦の細道
November 7, 2012

北九州市-小倉 2012.10.24

急な所用でスタッフが北九州・小倉に出張してきました。北陸は強い風雨で列車にも遅れが出ましたが、瀬戸内海沿岸から西に向かうにつれ天候が回復。北九州は秋らしい爽やかな晴天になりました。

徳山駅付近。
10月23日午後、九州へ向かう山陽新幹線の車中より瀬戸内海を望む。

JR小倉駅。
早朝は相当冷え込みましたが、爽やかなな秋の晴天になりました。小倉駅からはモノレールが出ています。

紫川(むらさきがわ)。
北九州市小倉の南部にある福智山に源を発し、市の中心部を流れ北九州港へと注ぐ河川です。

同じく紫川。
小倉駅周辺の繁華街と小倉城の間を流れています。
北九州市は北九州市ルネッサンス構想の「紫川マイタウン・マイリバー整備事業」の主要事業として橋ならびに河川敷公園を整備したそうです。橋にはそれぞれ意匠が凝らされ、デザインに相応しい名前が付けられているそうです。

紫川沿いのビルの前。

同じく紫川、「木の橋・常盤橋」。
一際目を引くこの橋は旧長崎街道の起点に位置し、古くから橋が架けられていた場所だそうです。その歴史を考慮し、江戸時代風の歩行者専用橋として建造されました。1995年竣工、全長85m、幅員6m。

"PUBLIC SPACE"(パブリック・スペース)。
紫川の河川敷にありました。最初は東京などで良く見かける(そして年々増えつつあるような・・・)「住まい」かと思ったのですが、2012年10月に北九州市で開かれた「街じゅうアートin北九州 2012 / ART FOR SHARE」というイベントに参加している「PUBLIC SPACE」という作品だそうです。保守的と言われる北陸では考えにくいイベントであり、特にこの作品には少し驚きました。

同じく、「PUBLIC SPACE」。
作品の説明パネル。行政もバックアップしているようです。

北九州市制50周年のパネル。
同じく紫川沿いに掲示されていました。2013年2月10日が市制50周年記念日だそうです。

小倉城の天守閣。
九州と本州との接点に位置し、関門海峡に面した小倉は、交通の要衝として古くより重要な戦略拠点でした。この地の支配を巡り多くの攻防が行われてきた歴史があるそうです。

旧第12師団司令部の正門・鉄門(くろがねもん)跡。
小倉城の本丸跡にあった司令部跡です。かって、第12師団の軍医部長時代の森鴎外も、この門を通って司令部に登庁したそうです。

小倉城のパンフレット。
今回は城内の「小倉城」、「松本清張記念館」、「小倉城庭園」を見学しました。

小倉城・天守閣。
小倉城は1569年に毛利氏が築城したのが始まりで、関ヶ原合戦後にこの地に入った細川氏が1602年に本格的に築城を開始し約7年間をかけて完成させました。細川氏が熊本に移った後は小笠原氏が1632年に入りました。小倉は本州から九州各地に通じる街道の起点としての地位を確立し、小倉城もさらに整備され城下町も繁栄しました。
1837年、城内の火事で小倉城は全焼してしまいましたが、2年後に再建。ただし、天守閣は再建されなかったそうです。

同じく、小倉城・天守閣。
幕末、小倉は長州藩攻撃の拠点になりましたが、1866年に自ら火を放ち撤退せざるを得ませんでした。明治以後、城内に軍の拠点(第12師団の司令部など)がおかれました。
第2次世界大戦・太平洋戦争での敗戦後は、アメリカ占領軍に城内は1957年まで接収されました。1959年、天守閣が外部が全盛期の姿に復元され今日に至るそうです。建物内は資料館となっています。
天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれているそうです。4階と5階の間の屋根にひさしがなく、5階が4階よりも大きく張り出しているのが外見上の特徴だそうです。また、石垣は切石を使用しない「野面積み(のづらづみ)」という手法で作られているそうです。

響灘の珪化木(ひびきなだのけいかぼく)。
小倉城の天守閣入口横に屋外展示されています。珪化木(けいかぼく)とは、木の幹が化石化したもの。関門海峡北西部の響灘(ひびきなだ)の海底から引き上げられたもので、約4000万年前の化石だそうです。なお、木の種類は不明とのこと。

小倉城の内部。「迎え虎」。
小倉城が焼失した1866年・慶応2年寅年に因んで描かれた雌雄一対の虎の絵で、説明によれば日本最大級の高さ4.7m幅2.9mの大きさ。雄の方が「迎え虎」、「千客万来」の意味があるそうです。展示方法から現代の作だと思われますが、作者や年代についてはわかりません。※この絵は撮影できます。館内は撮影禁止の展示物が多いので注意。

小倉城の天守閣最上階・展望台より見た市街地。
左下に小倉城庭園、その奥に紫川と対岸の繁華街が見えます。

同じく、小倉城の天守閣最上階・展望台より見た市街地。

同じく、小倉城の天守閣最上階・展望台より見た市街地。

小倉城の内部。「送り虎」。
雌雄一対の雌の方です。「麗虎招福」の意味があるそうです。
この日は、校外学習か何かだと思われる大勢の地元小学生が団体で見学に来ていました。この子供達が館内ですれ違っただけの旅行者に礼儀正しく挨拶してくれて、とてもすがすがしい気分になりました。
最近は物騒で異常な事件が多いせいか、子供達も大人も見知らぬ他人を警戒するばかりで、このように明るく挨拶し合うことが少なくなったような気がします。※この絵は撮影できます。館内は撮影禁止の展示物が多いので注意。

松本清張記念館。
小倉城天守閣のすぐ近くにあります。この日は「松本清張没後20年展・松本清張と映画」という特別企画展が行われていました。昔に観た懐かしい映画、読んだことがある本などに関する貴重な資料が展示されていました。常設展示では松本清張の住居を移設して再現したものや、数多くの貴重な資料が展示されていて感銘をうけました。※内部は撮影禁止。

小倉城庭園。
小倉城の東側にある小倉城主・小笠原氏の下屋敷跡地に、1998年にオープンした庭園です。江戸時代の大名屋敷を再現したもので、全国でも珍しい「礼儀作法のテーマ館」だそうです。

同じく、小倉城庭園。
書院棟、展示棟、日本庭園で構成されています。

同じく、小倉城庭園。
背景には奇抜なデザインのビルが見えます。

同じく、小倉城庭園。
「のぞき池」の周囲を巡ることができる「池泉回遊式」の庭園だそうです。庭園の眺めを楽しみながら美味しい抹茶をいただきました。

同じく、小倉城庭園。
書院棟から見た小倉城天守閣。案内の方によれば、天守閣を眺める人気スポットだそうです。
展示棟には平安時代から現代までの「マナーの歴史」や小笠原流作法の資料が展示されていました。企画展では「戴金(きりかね)の人間国宝展」が開かれており、金箔芸術を見学できました。

八坂神社の鳥居と小倉城天守閣。
小倉の八坂神社は、1617年に当時の小倉城主・細川忠興公(1563-1646、ほそかわ・ただおき)が創建したもので、1934年に現在の場所に移設されたそうです。由緒ある神社で、ここに奉納される「小倉祇園祭」は全国3大祇園の一つ(他の2つは、京都八坂神社の「祇園祭」、博多櫛田神社の「博多祇園山笠」)です。また福岡県3大祇園(上記の小倉、博多の他に、「戸畑祗園大山笠」)の1つでもあるそうです。
今回は時間が無くて参拝できす残念でした。

紫川の岸辺にて。
秋に咲くヒマワリの花。こういう品種もあるのでしょうか?
今回は急な出張で1泊だけの北九州・小倉訪問でしたが、爽やかな秋の晴天に恵まれ、とても気持ちのよい旅となりました。

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