株式会社ストラディ金沢。石川県の弦楽器専門店、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ベース、弓をヨーロッパより直輸入。弦楽器の調整と修理、弓の調整(毛替え、等)も承っております。
Sub Menu
最終更新日:2012.02.03
ストラディ金沢お薦めの弓です。
ViolinBow ViolaBow CelloBow BassBow


種類 Vn Bow
JPN-1467
ラベル P.GUILLAUME(G)
製作地 BRUXELLES

種類 Vn Bow
GDA-1164
ラベル S.T.KUHNLA(S)
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GDA-1162
ラベル S.T.KUHNLA(G)
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GDA-1160
ラベル A.VIGNERON
製作地 FRENCH

楽器ひとくちメモ:
VIGNERON

種類 Vn Bow
GST-1081
ラベル F.PECCATIE
製作地 FRENCH

種類 Vn Bow
GAN-1111
ラベル E.SARTORY
製作地 FRENCH

種類 Vn Bow
GPA-1139
ラベル E.SARTORY
製作地 FRENCH

種類 Vn Bow
GST-0054
ラベル W.E.HILL
製作地 ENGLISH

種類 Vn Bow
JPN-0058
ラベル F.N.VOIRIN
製作地 FRENCH

証明書はこちら

楽器ひとくちメモ:
VOIRIN

種類 Vn Bow
GAN-
ラベル NURNBERGER
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GST-1102
ラベル ALBERT.NURNBERGER
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GST-1103
ラベル JAMES.TUBBS
製作地 LONDON

種類 Vn Bow
GST-1104
ラベル PFRETZSCHNER
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GST-1105
ラベル ALBIN HUMES
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GST-1106
ラベル OLD GERMAN
製作地 GERMANY

種類 Vn Bow
GST-1107
ラベル BUILLAUME
製作地 FRENCH

種類 Vn Bow
GAN-
ラベル DODD
製作地 ENGLAND

種類 Vn Bow 4/4

ラベル P.GUILLAUME
(ゴールド)
製作地 BRUXELLES

種類 Vn Bow 4/4

ラベル P.GUILLAUME
(シルバー)
製作地 BRUXELLES

種類 Vn Bow 4/4

ラベル A.LAMY
製作地 FRENCH

短めで弾きやすく良い弓をお探しの方、小柄な方や女性にお薦め。

種類 Vn Bow 3/4

ラベル (ノーラベル)
製作地 GERMANY
セミオールドの分数弓で現存するものは珍しいです。状態は良好。オールド楽器に相応しい弓をお探しの方にもお薦め。

種類 Vn Bow
GST-1124
ラベル DOMINIQUE PECCATTE
製作地 FRENCH


弓製作の巨匠フランソワ・トゥルテ(1748−1835)と双璧をなすドミニク・ペカット(1810−1874)の作品です。状態は良好。世界中のプロ奏者があこがれる名品です。
証明書付

種類 Vn Bow
GST-1125
ラベル CH.PECCATTE SCHOOL
製作地 FRENCH

種類 Vn Bow 7/8
GST-1129
ラベル DODD LONDON
製作地 ENGLAND

珍しい7/8用の弓です。小ぶりなバイオリンに合う良い弓をお探しの方にお薦め。
DODDについてはこちら

種類 Vn Bow

ラベル P.GUILLAUME
(ゴールド)
製作地 BRUXELLES
価格 840,000円
(税抜800,000円)

種類 Vn Bow

ラベル P.GUILLAUME
(シルバー)
製作地 BRUXELLES
価格 787,500円
(税抜750,000円)

P.GUILLAUMEのシルバーの中でもゴールドに近い性能のものです。P.GUILLAUMEのオリジナルケースをお付けします。
※下段のケース写真をクリックすると拡大画像が表示されます。




Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison Bernardの工房を引継ぎました。

左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載)
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。

GUILLAUMEの公式サイト(日本語ページあり)

種類 Vn Bow
JPN-2467
ラベル P.GUILLAUME
(ゴールド)
製作地 BRUXELLES
価格 840,000円
(税抜800,000円)

P.GUILLAUMEゴールドの新作(2006年)です。この価格でお出しできる最後の1本になりました。お早めにお問合せください。

種類 Vn Bow
GST-1139
ラベル C.N.BAZIN
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 630,000円
(税抜600,000円)

C.N.BAZIN(チャールス・ニコラス・バザン 1847-1915)の作品です。バザンは19世紀中頃から20世紀初頭にかけて活躍した製作者です。
証明書付

種類 Vn Bow
GST-1140
ラベル HILL
製作地 ENGLAND
価格 472,500円
(税抜450,000円)

証明書付

種類 Vn Bow
GST-1161
ラベル PECCATTE BY
H.R.PFRETZSHNER
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 1,050,000円
(税抜1,000,000円)

1910年頃にH.R.PFRETZSHNERが製作したPECCATTEモデルですPECCATTEのオリジナルではないためこの価格でご提供できますが、PFRETZSHNERの卓越した技術により巧みに作られており、非常に優れたものです。


証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Hermann Richard PfretzschnerはMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。

"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら

H.R. Pfretzschnerの公式サイト(独語・英語)
東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想

所用で東京藝術大学教授・浦川宜也氏を訪問させていただいた折、試奏していただきました。

浦川宜也氏の感想
「フレッチナー作と言われなければ、ペカットのオリジナルで十分通用するかも知れない。素晴らしい弓だ」
※バイオリンは浦川氏の愛器です。

浦川宜也氏の経歴はこちら

種類 Vn Bow
GST-1160
ラベル J.B.VUILLAUME
製作地 PARIS
価格 1,260,000円
(税抜1,200,000円)

J.B.VUILLAUMEのオリジナルで
1890年頃の作品です。重厚でクリアな音、指に伝わる独特の振動など、J.B.VUILLAUMEの特色がよくわかるもので、逸品です。
円高ピーク時に入手したため、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。



証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875)
1798年ミルクール生まれ。父Claude Francoisはバイオリン製作者でした。当時の例に漏れず少年時代に徒弟に入り弓をはじめとする楽器製作の修行を始めました。20歳の頃にパリに出て楽器職人としてNicolas Antoine Leteの店で雇われました。その後、頭角を現し、1823年に彼の作ったバイオリンがコンクールで入賞しました。その頃、彼は弓に注目し研究し始めたようです。ほどなくして、Jean Pierre Marie PersoitやDominique Peccattと共に働き始めました。 1827年、Leteから独立して工房を構えました。
彼がフランスの弓製作史において果たした役割が極めて大きいという点では異論がないところでしょう。彼自身は、弓製作者ではなくバイオリン製作者でした。しかし、彼は弓を重視し、弓の性能向上のために数々の工夫をしました。彼自身は一切製作せず、発案した物の製作は工房の優秀な職人達にさせていました。彼の工房で生み出した弓の中で特に卓越したものは「腕の延長」のようである評され、彼の研究や発案が当時いかに先進的なものであったかを示しています。

種類 Vn Bow

ラベル BAUSCH SCHOOL
製作地 GERMANY
価格 応談
東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想

当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。

浦川宜也氏の感想
「この価格帯のものでは非常に良い弓だと思う」


浦川宜也氏の経歴はこちら

種類 Vn Bow

ラベル NURNBERGER
製作地 GERMANY
価格 応談
ドイツの有名メーカのものです。
東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想

当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。

浦川宜也氏の感想
「しっとりとした良い感じの音が出る。スティックのコシもしっかりしている」


浦川宜也氏の経歴はこちら

種類 Vn Bow

ラベル NURNBERGER SCHOOL
製作地 GERMANY
価格 応談
重量は61.5gで標準的です。こしのある良い材料を使用しています。状態良好。

証明書はこちら(添付画像)

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


種類 Vn Bow

ラベル MILLANT
製作地 PARIS
価格 315,000円
(税抜300,000円)

Bernard Millantの
1998年頃の作品です。現代フレンチ弓の第一人者による近作。こしがあって弾きやすく、良い弓です。状態もパーフェクト。
この内容のMillant製弓で、お手頃な価格でご提供できるのものは珍しいです。お問合せはお早めに。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Bernard Millant(1929-、ベルナルド・ミラン)
Jean Jacques Millantの従弟。父であるMax Millantは弦楽器製作者で、叔父Roger Millantとともにパリで活動していました。
Mirecourtで修行し、MORIZOT工房でも弓製作を学びました。従兄であるJean Jacques Millantの死後、フレンチ弓製作の第一人者として今も活躍しています。卓越した弓製作者としてだけでなく、フレンチ弓の権威ある鑑定者としても有名です。

Jean Jacques Millant(1928-1998、ジャン・ジャック・ミラン)
1928年、パリ生まれ。父Roger Millantはパリに工房を持つ弦楽器製作者でした。1946年から1948年までの2年間、MirecourtのMORIZOT工房で修行しました。修行後にパリへ戻り1950年頃まで、父の工房で叔父Max Millanとともに働きました。その後、パリで独立。1970年、フランス最優秀職人賞(「Un de Meilleurs Ouvriers de France」)を受賞。その後、同賞の審査員を務めました。1998年、69歳で逝去。
Dominique Peccatteスクールの有力な弓製作者で、20世紀フランスを代表する名工の一人でした。従弟のBernard Millantと同スタイルである「Millant」ラベルの弓を製作しました。
フレンチ弓の優れた技術を継承するとともに、独自の工夫による材料の選択・重さ・強さ・柔軟性の絶妙なコンビネーションでPeccatteの名品に匹敵するものを製作しました。近年まで活躍していたこともあり、その弓を愛用しているプロ演奏家は少なくありません。彼は20世紀後半で最も偉大な弓製作者として評価されています。

Lecanu-Millantの公式サイト(仏語)
Millant-Raffinの公式サイト(仏語)

種類 Vn Bow

ラベル J.S.FINKEL
製作地 BRIENZ
価格 315,000円
(税抜300,000円)

Johannes S.Finkel(J.S・フィンケル)氏の2004年作です。当社で毛替済。完璧な状態です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 Vn Bow3/4

ラベル HARTMUT KNOLL
製作地 GERMANY
価格 241,500円
(税抜230,000円)
KNOLL社の当代Hartmut Knoll氏製作の3/4用弓です。分数3/4用弓で良いものをお探しの方にお薦め。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。

左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載)

Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。

Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。

Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。


種類 Vn Bow
GST-1162
ラベル R.WEICHOLD
製作地 GERMANY DRESDEN
価格 応談


1880年頃の作品。卓越した技術を持ち、Tourteなどフレンチ弓の名品にも匹敵するものを作った工房の作品です。状態良好。

証明書はこちら

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

August Richard Weichold(リヒャルト・バイコルト、1823-1902)
August Richard Weicholdは、1823年生まれ。父親はDresdenで弦楽器工房を構えていたAugust Friedrich Weichold(1800-1862)です。August Richard WeicholdはMarkneukirchenでCarl G.Pfretzschenerに師事し弦楽器製造を学びました。パリ周辺まで旅行した修行遍歴の時代(彼は、旅先で・・・の生徒としばしば自称しました)を経て、彼はDresdenの父の工房に戻りました。
父August Friedrich Weicholdは、その工房をRampischen Gasseで1834年に開きました。移転する1850年までの工房第一期より、彼は弓製作者として記録されています。しかし残念ながら、弓の作例は確認されていません。1851年、August Friedrich WeicholdはSachsen教会の正式弦楽器製作者の称号を得ました。
1859年にAugust Richard Weicholdが父の工房を引き継ぎ、1862年に父が亡くなった後には父の地位も継承しました。
1860年頃から1890年までに製作された弓には「A.R.WEICHOLD DRESDEN.」の刻印があります。これらの弓はTourteモデルに基づいていますが、Weichord工房が外に外注したか、あるいは工房で働いていた別の職人が作ったと明らかに認められるものもあります。
1882年、August Richard Weicholdは健康上の理由で製作現場から退き、後に工房を継承するLiebhold Meyerに経営を任せました。この後、工房は「Richard Weichold」の名前で登録されました。同時期以降、作品の多くに「R.WEICHOLD DRESDEN und TOURTE IMITATION」の刻印が押されるようになりました。
1893年、Liebhold Meyerは工房の商権をMarkneukirchenの楽器商August Paulusに売りました。1903年にAugust Richard Weicholdが亡くなると、供給元(Hoflieferant)のタイトルも継承しました。1891年までに工房はPrager通りに移転し、1945年に第二次世界大戦の爆撃(戦争末期に連合国軍によって為された無差別爆撃。これによりドレスデンの街は徹底的に破壊され多くの市民が亡くなりました)で破壊されるまで、その地にありました。
「Richard Weichold Dresden」ブランドのビジネスはAugust Paulusに引き継がれ成功をおさめました。Weicholdブランドは1932年にAugust Paulusの息子Rudolf Paulusが引き継がれ、1945年に工房が灰燼に帰すまで使われました。
Richard Weicholdが作成したTourteモデル弓は、19世紀末のドイツ製では最も優れたものの一つとして高く評価されていました。最高傑作とされるものはTourteの名品に迫るとまで言われたようです。残念ながら現存するものは多くありません。


種類 Vn Bow
GST-1126
ラベル C.N.BAZIN
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

C.N.BAZIN(チャールス・ニコラス・バザン 1847-1915)工房の1900年頃の作品です。部品も含め全てオリジナルのままです。状態は完璧。明るいクリアな音がします。

証明書はこちら

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。


種類 Vn Bow
ラベル W.E.HILLS&SONS
製作地 LONDON
価格 応談

HILL最高ランクの弓です。スティックの断面は八角形。パーツは全てオリジナルです。状態は非常に良いです。
比較的お手頃な価格でご提供できますので、お問合せはお早めに。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill & Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
Arthur Scarbrow(?-?) チップ底面に数字の0
Arthur Copley (1903-1976) チップ底面に数字の1
Edgar Bishop (1904-1943) チップ底面に数字の2
Albert Leeson (1904-1946) チップ底面に数字の3
Leslie Bailey (1919-?) チップ底面に数字の4
Arthur J Barnes (1888-1945) チップ底面に数字の5
Arthur Bultitude (1908-1990) チップ底面に数字の6
William Watson (1930-) チップ底面に数字の7
Malcolm M Taylor(?-?) チップ底面に数字の8
Arthur Brown(?-?) チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX
William C Retford (1875-1970) チップ底面に点が1つ
William R Retford (1899-1960) チップ底面に点が2つ
Frank Napier (1884-?) チップ底面に三つ葉模様
Sydney Yeoman (1876- 1948) ヘッド接合面の下部に1本の刻み目
Charles Leggatt (1880-1917) ヘッド接合面の中央に二本の刻み目
William G Johnston (1860-1944) ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目
Sam Allen (1838-? ) 印無し
William Napier (1848-1932) メーカ名刻印無し
James Tubbs (1835-1921) W E Hillの刻印(二つあるものも見られる)


チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。

スティック下面の刻印。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS

種類 Vn Bow

ラベル J.ALFRED.LAMY
製作地 PARIS
価格 応談

JOSEPH ALFRED LAMY
1910年頃の作品です。息子GEORGE LEON LAMYと共同で製作したものと思われます。状態は完璧。こしがしっかりしており、良い弓です。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。

Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。

Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。

Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。


種類 Vn Bow

ラベル LAMY
製作地 PARIS
価格 応談

JOSEPH ALFRED LAMYの甥にあたるALFRED LAMY1920年頃の作品です。重さが59.5gで少し軽めです。女性や小柄な方にお薦め。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。

Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。


種類 Vn Bow
ラベル HILL
製作地 LONDON
価格 応談
刻印はありませんが、W.E.HILL&SONS工房の1930年から1940年頃の作品です。状態は完璧。重さは60.5gで標準的、スティックの断面は八角形。どの楽器にも素直に応じてくれる素晴らしい弓です。
リーズナブルな価格でご提供できます。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill & Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
Arthur Scarbrow(?-?) チップ底面に数字の0
Arthur Copley (1903-1976) チップ底面に数字の1
Edgar Bishop (1904-1943) チップ底面に数字の2
Albert Leeson (1904-1946) チップ底面に数字の3
Leslie Bailey (1919-?) チップ底面に数字の4
Arthur J Barnes (1888-1945) チップ底面に数字の5
Arthur Bultitude (1908-1990) チップ底面に数字の6
William Watson (1930-) チップ底面に数字の7
Malcolm M Taylor(?-?) チップ底面に数字の8
Arthur Brown(?-?) チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX
William C Retford (1875-1970) チップ底面に点が1つ
William R Retford (1899-1960) チップ底面に点が2つ
Frank Napier (1884-?) チップ底面に三つ葉模様
Sydney Yeoman (1876- 1948) ヘッド接合面の下部に1本の刻み目
Charles Leggatt (1880-1917) ヘッド接合面の中央に二本の刻み目
William G Johnston (1860-1944) ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目
Sam Allen (1838-? ) 印無し
William Napier (1848-1932) メーカ名刻印無し
James Tubbs (1835-1921) W E Hillの刻印(二つあるものも見られる)


チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。

スティック下面の刻印。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS

種類 Vn Bow

ラベル LEON PIQUE
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

LEON PIQUEの刻印がある1910年から1920年頃の作品です。
Mirecourutで作られたものだと思われます。重量は60.5gで標準的。どの楽器にも順応します。良いフレンチ弓をお手頃な価格でお探しの方にお薦め。


証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


種類 Vn Bow

ラベル E.SARTORY PARIS
製作地 GERMANY
価格 応談

E.SARTORY PARISの刻印がありますが、ドイツ製で1920年頃の作品です。状態はパーフェクト。少し軽めなので、女性や小柄な方にお薦め。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


種類 Vn Bow
JPN-2641
ラベル J.ALFRED.LAMY
製作地 PARIS
価格 応談

JOSEPH ALFRED LAMY1900年作です。状態は完璧。こしがしっかりしており、良い弓です。弾きやすく、どの楽器にもマッチしやすく、お薦めです。
比較的お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

Bernard Millant氏による証明書はこちら(Millant氏については下記参照)

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。

Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。

Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。

Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。



Bernard Millant(1929-)
パリで活動する世界的に有名な弓製作者で、Max Millantの息子。ペカットモデルが特に高く評価されており、20世紀フレンチ弓の巨匠Jean Jacques Millant(1928-1998)氏の従弟にあたります。ミルクールのAmedee Dieudonne工房で弦楽器製作を学び、Louis Morizot工房でMorizotの息子達とともに弓製作を学びました。現代フレンチ弓のマエストロ・第一人者として高く評価されています。従兄のJean Jacques Millant氏の作品もそうですが、Bernard Millant氏の作品はプロ演奏家達に支持され、愛用する演奏家が多数います。また、一流フレンチ弓に関する確かな証明書により鑑定家としても高く評価されています。

Jean Jacques Millant(1928-1998)
1928年、パリで生まれました。父親Roger Millantは弦楽器製作者で、パリで自分の工房を持っていました。第二次世界大戦終了後の18歳頃、ミルクールのLouis Morizot工房で2年間ほど修行しました。その後、パリに戻り父親の工房で働き始めました。1951年に独立しパリで工房を開きました。1970年、フランス最優秀職人賞を受賞し、同賞の審査員になりました。20世紀のフレンチ弓を代表する卓越した製作者の一人であり、フレンチの伝統を正当に継承しながらも自らの個性を発揮した優れた作品を残しました。特にペカットモデルが高く評価されています。

Le Canu Millant公式サイト

種類 Vn Bow

ラベル F.C.NEUVEVILLE
製作地 BRIENZ
価格 241,500円
(税抜230,000円)


F.C.Neuveville氏の作品です。F.C.Neuveville氏はFINKEL工房に関わった名工の一人で、他にJ.M.Luthi、W.Ernst、Markus.Fischerの各氏がおり、作品にそれぞれの名前が刻印されていることが多いようです。
良い材料を使用しており、フロッグはアイボリーです。この価格帯では非常に良い弓です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 Vn Bow

ラベル KURT DOLLING
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 262,500円
(税抜250,000円)


やや硬めで男性的な感じ。濃い音を出せます。このタイプでは状態が非常に良いです。また、フロッグのリングに彫刻がしてある珍しいものです。
お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

●この弓は、雑誌「サラサーテ」Vol.31:2009年12月号の45ページにも掲載されています。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Kurt Dolling(1902-1952)
Otto Dolling(1878-1966)の息子。生涯を通じて父親の工房で働きました。

DOLLING(デューリング)一族は弦楽器製作から出発しましたが、現在に至るまで四代、100年を超えて続いている弓メーカーとして高い名声を得ています。
1898年、Otto Dolling (1878-1966)がDOLLING工房を始めました。Otto Dollingは、弦楽器製作者Hermann Dollingの息子として生まれ、マルクノイキルヒェン(MARKNEUKIRCHEN)のHermann August Monnigの工場で弓製作を学びました。1898年にマルクノイキルヒェンで独立し自分の工房を開きました。彼は老齢に至るまで一人で弓製作を続けましたが、職人を雇っていた時代もありました。
Otto Dollingはたいてい彼独自の形で弓を作りましたが、時々トルテモデルも作りました。もっとも、両方ともに、20世紀初頭のマルクノイキルヒェン派弓製作の特徴が疑いもなく明白に残っていました。彼は、その作品のうちかなりの割合を首尾よくアメリカに輸出しました。

二人の息子Kurt Dolling (1902-1952) とHeinz Dolling (1913-2001)は父の工房で修行しました。 1947年にマイスター試験に合格したHeinz Dollingは彼自身の工房をMarkneukirchenに近いWernitzgrunで立ち上げ、1965年にErlbachへ移りました。一方、兄、Kurt Dollingは生涯に渡って父親と一緒に働きました。
Heinz Dollingの息子Heinz Bernd Dolling(1942-)は1959年から1961年までの間、父Heinz Dollingより弓製作を学び、1972年にマイスター試験に合格しました。彼は、1985年にWernitzgrunで自分の工房を開くまで、Erlbachの父の工房で働きました。
Heinz Bernd Dollingは息子Michael Dolling(1968-、父の工房で修行し1992年にマイスター試験合格)とともに現在も製作活動を続けています。
1998年、Heinz Bernd Dollingと父Heinz、息子Michaelは、Dolling一族の弓製作100周年記念を祝いました。Heinz Bernd Dollingと息子Michaelは記念として、フロッグに彼ら三人の写真を埋め込んだ特別品を100本作成しました。
DOLLINGの作風はTourte、Voirin、Sartoryなどフランスの巨匠達にならったものですが、KnopfやBauschなどドイツメーカーの作風も引き継いでいます。その作品は高い評価を受けており、David Oistrach、Yehudi Menuhin、Ruggiero Ricci、Erkki Rautioなど超一流の演奏家がHeinz Dollingの弓を使用しました。また、Bernd Dollingはベース奏者Ludwig Streicherと長年に渡り友情関係を保っています。

参考:「Deutsche Bogenmacher」他

DOLLING工房の公式サイト(独語・英語)

種類 Vn Bow 1/2

ラベル VINCENT
製作地 FRENCH LYON  
価格 応談

JEAN FRANCOIS DABER工房のVINCENT(Franck Vincent)シリーズで、2005年ぐらいの作品です。フレンチの1/2弓は国内では珍しいです。良い弓なので、コンクール出場を目指すお子様にお薦め。お問合せはお早めに。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Jean Francois Daber(ジャン・フランソワ・ダベール)
ダベール工房は、Jean Schmittによって1981年に創業されたリヨンの弓メーカです。現在はVincent TricouGilles Sauraisによって率いられています。
世界中の最も優秀な演奏家達が自身の芸術的感性の最も深い部分を表現し、また彼らの楽器から最高のものを引き出すことを支援できるよう二人は目指しています。工房は、経験豊富な弓メーカと職人達のチームが持つ技術力により高く評価されています。
Vincent Tricouは、現代フランスで最も優れた弓製作者の一人です。彼は1981年にダベール工房で弓製作のの道へ入り、18年間に渡り職人チームを指導してきました。その後、彼は独立し自らの工房を開きました。現在は、ダベール工房に戻って働いています。彼は、量産と品質の双方は、フランチ弓製作の伝統による最も過酷な基準に直面すると見なしています。彼は卓越した弦楽器奏者でもあり、ありとあらゆる弓を自ら試し、演奏家の需要を確実に満たせるように調整します。ソリストに用いられる弓の場合、彼は弓の音響的特性と、素晴らしい楽器本体に一体化させる方法について特別の注意を払います。
Gilles Sauraisは、工房経営の重役の地位にあり、会社の顧客管理を担当し、ダベール工房製品を弦楽器メーカが販売促進する際の支援をしています。彼は弦楽器メーカの名匠達と会う一方、オーダメードの弓を入手したがっている演奏家達にも会います。また、彼は全ての原料仕入先管理も担当し、工房が発注したもので最上級のもののみを確実に仕入れるようにしています。彼は、木材の選択で吟味を重ねています。
タベール工房の弓には以下に記す4つのシリーズがあり、入門者向け製品からソリストレベルの最上級者製品まで提供しています。
Franck Vincent
Nicolas Delaune
Jean-Francois Daber
Jean-Francois Daber - Vincent Tricou

JEAN FRANCOIS DABER工房の公式サイト

種類 Vn Bow

ラベル FRANCOIS LOTTE
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談


Francois Lotteの晩年、
1960年頃の作品。バランスが良く、どの楽器にも合う万能性のある弓です。スティックの断面は八角形です。
お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Francois Lotte(1889-1970、フランシス・ロッテ)
ミルクール生まれ。父Georges Lotteは弦楽器製作者で、J.B.VUILLAUME工房の下請けもしていました。Francois Lotteは、1919年に高名な弓製作者・Emile Auguste Ouchard(1900-1969)の姉と結婚しました。BAZIN工房で修行を重ね、1922年頃からCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)の工房で働きました。1925年頃、CUNIOT-HURY工房を出て別の弓製作者と共同経営の工房を開きましたが上手くいかなかったようです。1926年に彼単独の工房をミルクールで開きました。1956年、息子Roger Francois Lotteに工房を譲り、1960年に71歳で引退しました。1970年3月、81歳で亡くなりました。
彼は大量に弓を作りましたが、その中には非常に優れた作品もあります。
 
Roger Francois Lotte(1922-1989)
父親の下で修行し、1956年に工房を継承しました。


種類 Vn Bow
GST-1024
ラベル L.MORIZOT
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談


LOUIS MORIZOT工房の1950年頃の作品。少し軽めなので、女性や小柄な方にお薦め。
MORIZOTとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。


種類 Vn Bow
GST-1128
ラベル L.MORIZOT
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 840,000円
(税抜800,000円)

LOUIS MORIZOT工房の1945年頃の作品。しっかりとしており、濃い音が出ます。
MORIZOTとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。


種類 Vn Bow

ラベル LOUIS BAZIN
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

LOUIS BAZIN工房の1910年頃の作品。全てオリジナルのままで、パーフェクトな状態です。
BAZINとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Charles Louis Bazin(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン)
1881年、ミルクール生まれ。Charles Nicolas Bazin IIの三男です。(長男Gustave Bazinは弦楽器製作者、次男Emile Joseph Bazinは弓製作者になりました)
12歳の頃より、父親から弓製作を学びBazin工房で働き始めました。1907年、26歳で父親の工房を継承しました。1915年頃までに、工房移転や、多数の職人を雇っての規模拡大などを行いましたが、第一次世界大戦で召集されて製作活動の中断を余儀なくされました。
1918年に復員し、製作活動を再開しました。1921年頃には、新たに大勢の職人を雇い、さらに大量の注文に応じるようになりました。しかし、ミルクールの弦楽器産業の衰退傾向と並行して、1936年頃には工房の職人が4人にまで減ってしまいました。1951年、71歳で引退し、1953年11月に亡くなりました。
彼は父親同様、大勢の弟子を育てたことで高く評価されています。しかし、彼自身の作品は父親ほどの評価はうけていないようです。なお、彼には息子が二人いましたが、長男Rene Bazinは弦楽器製作者、次男Charles Alfred BazinはBazin工房で修行し弓製作者になりました。

Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。


種類 Vn Bow

ラベル LEFIN
製作地 BRIENZ
価格 105,000円
(税抜100,000円)

2009年作、FINKEL工房の新作です。価格は非常にお手頃ですが、良い弓です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 Vn Bow

ラベル LABERTE
製作地 FRENCH PARIS
価格 応談

LABERTE工房の1935年頃の作品です。
状態が非常に良いです。バランスが良く弾きやすい弓です。

Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら(※同氏の説明は下の別記参照)

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Marc Laberte(1880-1963)
1880年、ミルクール生まれ。LABERTE-HUMBERT FRERES工房の拡張で指導的役割を果たしました。
若く活動的な彼は、クレモナの名器を模倣し複製することに飽くなき情熱を注ぎ、その困難さを克服するための先鋒役を演じました。その試みを成功に終わらせるため(ミルクールの先人達による怪しい模造品の場合とは全く異なり)、貴重なオリジナルの名作を持つことが必要でした。1702年製のストラディバリ、1736年製のガルネリ、1650年製のアマティ、1690年製のルジェーリ、1755年生のガダニーニ、シュタイナー、ガリアーノ、テストーレその他という、申し分のない見本を集めるのに2年間を費やしました。
それぞれ特徴がある見本を一度分解して調査する繊細な手順を踏み、研究しました。不屈の努力と驚くべき着想により、彼は、オリジナルの外形とニスの驚くべき模写 多彩な音色の明確な魅力を模倣するひらめきを発揮しました。

LABERTE-HUMBERT FRERES
1780年、Marc Laberteの祖先によって開かれた工房です。後にMaurice Emile Laberte (1856-1898)によって大きくなりました。それに続き、1920年には、他の工房(NicholasやDerazeyや他のブランド)と合併し非常に大きく発展しました。バイオリンからベースまで、全てのイタリアンモデルとフレンチモデル、考える全ての色あいのニスのものを生産しました。それぞれのグレードに応じて、全ての製品は一貫して優れた品質でした。


種類 Vn Bow
GRA-0003
ラベル J.T.LAMY
製作地 FRENCH PARIS
価格 応談

J.T.Lamy(J.T.L.)工房の1940年頃の製品です。
状態が非常に良いです。バランスが良く弾きやすい弓です。

Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら(※同氏の説明は下の別記参照)

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Jerome Thibouville Lamy(1833-c1905、ジェローム・チボヴィーユ・ラミー)
彼自身は製作者というよりは、楽器工場による大量生産を成功させた経営者の一人として有名です。ミルクールならびにパリで修行。ミルクールにあった様々な工場の経営権を取得し、1865年に会社を立ち上げました。
彼は機械を活用した大量生産を行いました。彼の機械製作の楽器は世界各地で評価され、事業は拡大を続けました。最盛期には3つの工場があり、Grenelle工場で金管楽器(1880年頃にCトランペット、1905年から4バルブのトランペットを発売)、La Couture工場で木管楽器(息子Martin Thibouvilleによって工場開設。後に父親が工場を経営。クラリネットとオーボエ製造で有名)、ミルクール工場で弦楽器(同地で1890年に職業学校を開校)をそれぞれ大量生産していました。
その製品のグレードや品質は各種あり、非常に優れたものもあります。また、工場で働いた職人の中には、独立してハンドメイドの楽器製作者として有名になった人物が少なくありません。
しかし、世界恐慌から第二次世界大戦前後の混乱、大量生産楽器での競争力低下などから事業は衰退へ向かいました。金管楽器工場は1961年に閉鎖され、他工場も1968年までに閉鎖。現在、J.T.Lamy(J.T.L)はロンドン(1880年に支店として開設)を拠点に、楽器ケースやアクセサリー等を販売しています。


RAFFIN

Jean Francois Raffin(1947-、ジャン・フランシス・ラファン)
現代フランスで最高の製作者の一人です。弓研究ならびに鑑定でも国際的に非常に有名です。1947年、パリ生まれ。1969年、ミルクールに行き弦楽器製作を学び始めました。
Etienne Vatelot工房で1年間修行した後、Bernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)の下で第1助手として17年間働き、弓製作の専門技能(弓の修復、製作、専門知識全てについて)を上達させました。
1979年、彼はフランス最高職工人コンテスト(Meilleurs ouvriers de France)の銀賞を獲得、この仕事での実務的知識を取得しました。同年、彼はGLAAF(Groupement des Luthiers et Archetiers d'Art de France:Association of French stringed instruments & bowmakers、フランス弦楽器・弓製作者協会)の会員になりました。
1989年、パリのローマ通り68に自身の工房を構え、国際協定(the International Guild)のメンバーになりました。
1992年、コルマール市(Colmar)で、独仏の弦楽器製作者達の前で講演を行いました。
1993年、Jean Seyral氏とともにスペインとの国境に近いバイヨンヌ市(Bayonne)に新しい工房(支店)を作りました。そこは、弓の修復者と専門家が非常に不足しているスペインに近いため、弓と弦楽器の需要が多い場所です。
同年3月と翌年、カナダ・ケベック州のエラン弦楽器製作学校(Elan School of stringed instruments)で養成コースの教師を務め、ケベック周辺の若い弓製作者ならびに弦楽器製作者達を指導しました。
1996年、公的な専門家としての称号を得ました。
2001年、4年間に渡る苦労の結果、Bernard Millant氏と彼は共著「Les TOURTE et les Archetiers Francais de 1750-1950」(トゥルテとフレンチ弓1750-1950)を出版しました。その著作では、フランスの全ての弓製作者の人生と仕事に関して写真と文章で説明し、彼らが長年に渡って得た知識と経験を総合して見せました。 
現在、彼は単独で、鑑定と自身の弓製作に専念しています。
彼の娘Sandrine Raffin氏(1972-)が率いる工房が、弓製作ならびに古い弓の修復・修理を、新たに継続しています。彼の元助手達のうち何人かは、彼の教え・経験・助言指導を役立てながら、自身の工房を立ち上げました。

Sandrine Raffin(1972-)
現代フランスの若手の弓・弦楽器製作者。
1972年にパリ近郊で生まれ、少女期の多くをフランス東部のロレーヌ(Lorraine)で過ごしました。父親と同じように、ミルクールで弦楽器製作の修行をしました。
1991年に弦楽器製作の技術課程を修了し、Jean Yves Rouveyre氏(1948-)ならびにJean Jacques Pages氏に師事してさらに修行を続けました。その後、パリに戻り、父親の工房に共同経営者として入りました。
修復・修理技術ならびに対外交渉の才能に恵まれ、彼女は弓製作の見習いと家族の工房の経営を始めました。
15年間におよぶ父親との共同作業の後、彼女は自分の工房を立ち上げ、父親の名前を継承しました。

左:Sandrine Raffin氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)

Etienne Vatelot(1925-、エティエンヌ・ヴァトロ)
現代フランスで最高の弦楽器・弓製作者の一人で、イタリアン楽器鑑定の権威者です。
父親に手ほどきを受け、1942年頃より弦楽器製作を始めました。優れた才能を発揮し、その楽器はオイストラフや、アイザック・スターンに高く評価されました。1970年、ミルクールの弦楽器製作学校の設立に尽力。
彼の名前を冠したパリ国際弦楽器製作コンクール(「Etienne Vatelotコンクール」も行われています。

Jean Francois Raffin公式サイト
Millant-Raffinの公式サイト(仏語)
RAFFIN工房(Sandrine Raffin)
Jean Jacques Pages公式サイト
GLAAF公式サイト


種類 Vn Bow

ラベル J.A.NARROS
製作地 CREMONA
価格 応談


ミルクール弦楽器製作学校を修了し、クレモナで自身の工房を構えるJEAN ALEXANDRE NARROS氏の1998年作です。状態は完璧です。

Jean Alexandre Narros氏の証明書はこちら

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Jean Alexandre Narros(1958-)
ジャン・アレクサンドレ・ナロス氏は、1978年、ミルクールの弦楽器製作学校を修了しました。その後、J.Y.Rouveyre氏の工房で修行、J.Grunberger氏と共に働きました。
クレモナで自身の弓製作工房を開き、現在もその地で活動しています。

Tossani氏との共同サイト(未完成?)


種類 Vn Bow
ラベル EUGENE NICOLAS SARTORY
製作地 FRENCH

ユージン・ニコラス・サルトリ(1871−1946)のオリジナルです。状態は完璧です。

証明書あり

楽器ひとくちメモ:
SARTORY


種類 Vn Bow

ラベル HARTMUT KNOLL
製作地 GERMANY
価格 241,500円
(税抜230,000円)

KNOLL工房の2006年作、同工房の自信作です。標準的な重量、弾き易い弓です。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。

左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載)

Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。

Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。

Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。


種類 Vn Bow
JPN-2663
ラベル G.A.PAULUS
製作地 GERMANY
価格 262,500円
(税抜250,000円)


L
パウルス工房の三代目、Gunter A. Paulus(1949-2006)晩年の2005年作、3starです。ヘルナンボクの良い材料を使用しており、非常に良い弓です。標準的な重さで、しっかりとしています。工房より直接買い付けました。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

PAULUSはドイツ・マルクノイキルヘン(Markneukirchen)の弓工房です。現在に至るまでPAULUS一族四代によって受け継がれてきました。
弓製作者としての初代Otto Paulus氏は1891年にMarkneukirchenの楽器工場を営む家に生まれました。彼は弓製作を専門に学び、6年間の修行期間中、August Rau(1866-1925) より高度で貴重な知識を得ました。その後、1923年には自身の会社を興し、1948年にマイスター試験に合格しました。
二代目Johannes O.Paulus氏は1916年生まれ。父親から弓製作の指導を受け、1930年から1934年までの間、MarkneukirchenのC.A.Schuster※工房で弓製作を学びました。修行を終えたJohannes O.Paulusは、第二次世界大戦で召集された後に捕虜となった長い中断を挟みながら、C.A.Schuster工房で働き続けました。捕虜生活から解放された後、彼はC.A.Schuster工房に復帰し、工房が閉鎖される1955年まで働きました。1950年、彼はMarkneukirchenの弓製作でのマイスター試験を全てパスしました。1955年にC.A.Schuster工房が閉鎖された時、彼と彼の父親はC.A.Schuster工房の部屋を引き継ぎ、彼ら自身のブランドで自分達の工房を始めました。Johannes O.Paulusは実績を評価され「Anerkannter Kunstschaffender」という称号を与えられました。本来の仕事に加え、彼はMarkneukirchenの弓製作マイスター試験の審査委員会メンバーでもありました。78歳で第一線からは引退しましたが、息子Gunter A. Paulusへの指導を続けました。
三代目Gunter A. Paulus氏(1949-2006)は幼少時から弓製作者に憧れ、父の的確な指導を受けました。1972年にマイスター試験に合格、1973年まで父の工房で働き、その後独立しました。
四代目Jens Paulus氏は1970年生まれ。彼もまた先代に習い弓製作者の道を歩みました。彼は父に弟子入りし、1992年に弓製作マイスター試験をパスしました。2000年から、Gunter A. Paulus氏とJens Paulus氏の親子で工房を続けていましたが、2006年にGunter A. Paulus氏が死去。現在は四代目Jens Paulusが工房を引き継ぎ活躍しています。

参考:「Deutsche Bogenmacher 1945-2000」他

ヨーロッパの主な弦楽器製作地の地図

種類 Vn Bow

ラベル C.N.BAZIN
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

本人のオリジナル。状態は完璧です。バザンの弓でこれだけ良い状態のものは国内では珍しいと思います。
比較的リーズナブルな価格でご提供できますので、お問合せはお早めに。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。


種類 Vn Bow
GST-1189
ラベル HIPPOLYTE CAMILLE LAMY
製作地 PARIS
価格 応談

HIPPOLYTE CAMILLE LAMY本人によるオリジナル、1940年頃の晩年作です。状態は良好。リングやスクリュー等、金属パーツがゴールドというのは、彼の作品では珍しいです。
現在の円高ユーロ安状況で仕入れたので、彼の作品としては非常にリーズナブルな価格でご提供できます。お問合せはお早めに。


証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Hippolyte Camille Lamy(1875-1942、ヒッポリー・カミーユ・ラミー)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。

Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。
彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。

Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。

Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。


種類 Vn Bow

ラベル H.R.PFRETZSHNER
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 応談
H.R.PFRETZSHNER本人によるオリジナル、1890年頃の作品です。非常に優れたものです。楽器の性能を自然に引き出してくれる弓で、濃い音色を出すことができます。


証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Hermann Richard PfretzschnerはMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。

"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら

H.R. Pfretzschnerの公式サイト(独語・英語)

種類 Vn Bow
JPO-1069
ラベル H.SCHICKER
製作地 BAIERSDORF
価格 応談


現代ヨーロッパの代表的弓メーカの一つ、HORST SCHICKERの2005年頃の作品です。状態が非常に良く、きれの良い弓です。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Horst Schicker
Horst Schicker(ホルスト・シッカー)氏の弓は最高度の精度と細心の注意をもって作られた完全ハンドメイドです。このことは、全ての弓に作者がした署名で保証されています。
弓製作者としての彼のキャリアの根本は、ほとんどが彼が生まれ育った"Bohemian Music Area"と呼ばれる地域(チェコ共和国のEger近くにあるFassattengrun)にあります。
彼は、ドイツの弦楽器製作の中心地であるブーベンロイトで教育を受け修行しました。見習いとして長年働いた後、独立した弓製作職人になる試験に合格、ニュルンベルクの商工会議所から認定されました。
1971年に自身の弓製作会社"HORST SCHICKER"をブーベンロイト近くのBaiersdorfで創立。1980年からは、エルランゲンの弓製作者審査委員会の名誉会員も務めています。

Michaela Schicker
Michaela Schicker(ミカエラ・シッカー)氏は、Horst Schicker氏の娘です。1987年から1990年まで、ブーベンロイト近くのBaiersdorfで、父Horst Schickerから弓製作技術を学びました。彼女は修行を終えた後も家族の工房で働き続けています。1994年、"HWK Nueremberg"が主催する弓製作の職人試験に彼女は合格しました。彼女は試験に合格した最初の女性の一人です。合格の後、彼女は自身が製作した弓に"MICHAELA I. SCHICKER"と刻印しています。
彼女の弓の仕事は、彼女が学んだ工房の「ドイツ派」の特徴を示しています。彼女の個々の作品ならびに全体に共通する形において、彼女自身の個性が明らかに表れているにも関わらず、父親による訓練の影響を依然として見ることができます。

Horst Schicker社公式サイト
ブーベンロイト・バイオリン博物館(※Schicker氏親子に案内していただいた)

種類 Vn Bow
JPO-1072
ラベル H.SCHICKER
製作地 BAIERSDORF
価格 応談
現代ヨーロッパの代表的弓メーカの一つ、HORST SCHICKERの2005年頃の作品です。フロッグがべっこう製で、良い弓です。シャープな音をお求めの方にお薦め。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Horst Schicker
Horst Schicker(ホルスト・シッカー)氏の弓は最高度の精度と細心の注意をもって作られた完全ハンドメイドです。このことは、全ての弓に作者がした署名で保証されています。
弓製作者としての彼のキャリアの根本は、ほとんどが彼が生まれ育った"Bohemian Music Area"と呼ばれる地域(チェコ共和国のEger近くにあるFassattengrun)にあります。
彼は、ドイツの弦楽器製作の中心地であるブーベンロイトで教育を受け修行しました。見習いとして長年働いた後、独立した弓製作職人になる試験に合格、ニュルンベルクの商工会議所から認定されました。
1971年に自身の弓製作会社"HORST SCHICKER"をブーベンロイト近くのBaiersdorfで創立。1980年からは、エルランゲンの弓製作者審査委員会の名誉会員も務めています。

Michaela Schicker
Michaela Schicker(ミカエラ・シッカー)氏は、Horst Schicker氏の娘です。1987年から1990年まで、ブーベンロイト近くのBaiersdorfで、父Horst Schickerから弓製作技術を学びました。彼女は修行を終えた後も家族の工房で働き続けています。1994年、"HWK Nueremberg"が主催する弓製作の職人試験に彼女は合格しました。彼女は試験に合格した最初の女性の一人です。合格の後、彼女は自身が製作した弓に"MICHAELA I. SCHICKER"と刻印しています。
彼女の弓の仕事は、彼女が学んだ工房の「ドイツ派」の特徴を示しています。彼女の個々の作品ならびに全体に共通する形において、彼女自身の個性が明らかに表れているにも関わらず、父親による訓練の影響を依然として見ることができます。

Horst Schicker社公式サイト
ブーベンロイト・バイオリン博物館(※Schicker氏親子に案内していただいた)

種類 Vn Bow
GST-1164
ラベル CORNELISEN
製作地 NETHERLANDS
価格 応談
日本国内では珍しいオランダ製の弓です。フレンチ弓の流れをくみ、フレンチに匹敵する品質と性能のもの。フレンチ弓と同等のものをリーズナブルな価格でお探しの方にお薦め。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


種類 Vn Bow

ラベル KURT SCHAFFNER
製作地 GERMANY
価格 応談

Kurt Shaffner氏によるオリジナル状態が非常に良く、優れた弓です。


Kurt Shaffner(1929-、クルト・シェフナー)
弓製作者Martin Shaffner氏の息子です。1943年から1946年まで有名なPfretzschner工房で弓製作技術を学びました。BertholdならびにHorst Pfretzschner氏が、彼の修行を監督しました。彼は修行を終えた後、44年間もの間、Pfretzschner工房に留まりました。
東西ドイツの再統合によってもたらされた劇的変化の後、Kurt Shaffner氏はチャンスを活かして自身の工房を立ち上げました。その一方で、彼は工房を息子Dietmar Shaffner氏に譲り渡し、1991年からは息子と一緒に働いています。
Kurt Shaffner氏の弓は、Pfretzschner工房派の様式と製作方式に従って作られています。彼の弓には"K.SCAFFNER"の刻印に加え、持ち手部分の底面の端に"GERMANY"の刻印があります。


Hermann Richard PfretzschnerはMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。

"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら

H.R. Pfretzschnerの公式サイト(独語・英語)

種類 Vn Bow
GST-1177
ラベル CUNIOT-HURY
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

1885年頃、晩年のオリジナルです。状態はパーフェクト、非常に良い弓です。


証明書あり

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


CUNIOT-HURY
Eugene Cuniot(1861-1910、ユージン・クニオ)
工房作品の刻印に"CUNIOT-HURY"(クニオ・ユーリ)と記したところから、本名よりもこちらで知られています。これは、妻の旧姓"HURY"と自分の名前を組み合わせたものとされています。
1861年、ミルクール生まれ。父親は弓製作者Pierre Cuniotです。幼少期に父親が独立して工房を構え、彼は父親の下で修行を始めました。早くして才能を発揮し、少年時代より父親の助手を務めるようになったようです。
1884年、父親が亡くなり工房を継承しました。1901年頃、注文が増えたため職人を何人か雇いました。1906年頃には最盛期を迎え12人の職人を雇うまでに至りました。職人の中では、彼を長年支え続けたEmile Francois Oucahrd(1872-1951、エミール・フランソワ・ウーシャ)が有名です。
彼は職人達に自身のスタイルを基準にした平均的品質のものを強要せず、自由に製作させました。そのため、彼の工房作品には様々なスタイルのものがあります。
1910年、彼は若くして亡くなりました。彼の死後、工房は彼の妻とEmile Francois Oucahrdによって引き継がれました。1922年にCUNIOT-HURY工房は閉鎖され、翌1923年にEmile Francois Oucahrdは自身の工房を構えました。
Eugene Cuniotは、弓製作者としての実力は同世代のCharles Nicolas Bazin U(1847-1915)に敵いませんでしたが、優秀な職人達を育て高品質の弓を大量に製作しました。


種類 Vn Bow

ラベル P.GUILLAUME
製作地 BRUXELLES
価格 応談

P.GUILLAUME氏のオリジナル、2010年作です。バランスが良く、どの楽器にも合う、癖のない弾きやすい弓です。円高の恩恵で、お手頃な価格で提供できます。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison Bernardの工房を引継ぎました。

左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載)
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。

GUILLAUMEの公式サイト(日本語ページあり)

種類 Vn Bow

ラベル LEFIN
製作地 BRIENZ
価格 応談


2010年作、FINKEL工房の新作です。低価格帯ですが、この工房はワンクラス上の良い材料を使用しており、良い弓です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 Vn Bow
GRA-0004
ラベル A.LAMY
製作地 FRENCH
証明書はこちら


LAMY本人の作品で、1890年作です。状態が最高に良く、パーツ類はオリジナルのまま。バランスが非常に良い弓です。チョコレートブラウンの最高級の材料を使用。これほどのレベルのLAMYは日本国内では入手困難です。文句なしの最高級品で、プロの演奏にも十分に応える優れた名品です。
パリのラファン工房より直接購入したもので、ラファンの証明書(2010年10月13日付け)がついています。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。

Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。

Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。

Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。



Jean Francois Raffin(1947-、ジャン・フランシス・ラファン)
現代フランスで最高の製作者の一人です。弓研究ならびに鑑定でも国際的に非常に有名です。1947年、パリ生まれ。1969年、ミルクールに行き弦楽器製作を学び始めました。
Etienne Vatelot工房で1年間修行した後、Bernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)の下で第1助手として17年間働き、弓製作の専門技能(弓の修復、製作、専門知識全てについて)を上達させました。
1979年、彼はフランス最高職工人コンテスト(Meilleurs ouvriers de France)の銀賞を獲得、この仕事での実務的知識を取得しました。同年、彼はGLAAF(Groupement des Luthiers et Archetiers d'Art de France:Association of French stringed instruments & bowmakers、フランス弦楽器・弓製作者協会)の会員になりました。
1989年、パリのローマ通り68に自身の工房を構え、国際協定(the International Guild)のメンバーになりました。
1992年、コルマール市(Colmar)で、独仏の弦楽器製作者達の前で講演を行いました。
1993年、Jean Seyral氏とともにスペインとの国境に近いバイヨンヌ市(Bayonne)に新しい工房(支店)を作りました。そこは、弓の修復者と専門家が非常に不足しているスペインに近いため、弓と弦楽器の需要が多い場所です。
同年3月と翌年、カナダ・ケベック州のエラン弦楽器製作学校(Elan School of stringed instruments)で養成コースの教師を務め、ケベック周辺の若い弓製作者ならびに弦楽器製作者達を指導しました。
1996年、公的な専門家としての称号を得ました。
2001年、4年間に渡る苦労の結果、Bernard Millant氏と彼は共著「Les TOURTE et les Archetiers Francais de 1750-1950」(トゥルテとフレンチ弓1750-1950)を出版しました。その著作では、フランスの全ての弓製作者の人生と仕事に関して写真と文章で説明し、彼らが長年に渡って得た知識と経験を総合して見せました。 
現在、彼は単独で、鑑定と自身の弓製作に専念しています。
彼の娘Sandrine Raffin氏(1972-)が率いる工房が、弓製作ならびに古い弓の修復・修理を、新たに継続しています。彼の元助手達のうち何人かは、彼の教え・経験・助言指導を役立てながら、自身の工房を立ち上げました。

Sandrine Raffin(1972-)
現代フランスの若手の弓・弦楽器製作者。
1972年にパリ近郊で生まれ、少女期の多くをフランス東部のロレーヌ(Lorraine)で過ごしました。父親と同じように、ミルクールで弦楽器製作の修行をしました。
1991年に弦楽器製作の技術課程を修了し、Jean Yves Rouveyre氏(1948-)ならびにJean Jacques Pages氏に師事してさらに修行を続けました。その後、パリに戻り、父親の工房に共同経営者として入りました。
修復・修理技術ならびに対外交渉の才能に恵まれ、彼女は弓製作の見習いと家族の工房の経営を始めました。
15年間におよぶ父親との共同作業の後、彼女は自分の工房を立ち上げ、父親の名前を継承しました。

左:Sandrine Raffin氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)

Etienne Vatelot(1925-、エティエンヌ・ヴァトロ)
現代フランスで最高の弦楽器・弓製作者の一人で、イタリアン楽器鑑定の権威者です。
父親に手ほどきを受け、1942年頃より弦楽器製作を始めました。優れた才能を発揮し、その楽器はオイストラフや、アイザック・スターンに高く評価されました。1970年、ミルクールの弦楽器製作学校の設立に尽力。
彼の名前を冠したパリ国際弦楽器製作コンクール(「Etienne Vatelotコンクール」も行われています。

Jean Francois Raffin公式サイト
Millant-Raffinの公式サイト(仏語)
RAFFIN工房(Sandrine Raffin)
Jean Jacques Pages公式サイト
GLAAF公式サイト


種類 Vn Bow

ラベル NICOLAS MAIRE
製作地 FRENCH
Nicolas Remy Maireのオリジナル作品です。
添付されているPaul Childs氏(アメリカ、ニューヨーク)の証明書によれば、パリのトップメーカーだった"GAND & BERNARDEL"から委託を受けて1870年頃に製作されたものと考えられるようです。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Nicolas Remy Maire(1800-1878、ニコラ・レミー・メイヤー)
1800年、ミルクールで生まれました。父親は織物職人でした。Etienne Pajeot(1791-1849、エティネンヌ・パジョー)の下で修行したと思われます。1826年にミルクールで自身の工房を作りました。その後、フランス国内を覆った大不不況の影響を受け工房経営は困難な状態になりましたが、1844年頃には繁盛を極めるに至りました。最盛期には15人以上の職人を雇い、年間4000本におよぶ弓を製作していたようです。1849年、師匠のEtienne Pajeotが死去したことを契機にパリに出る決心をし、1853年にパリで工房を開きました。当時、彼はJ.B.VuillaumeChanot工房向けの弓も製作していました。1855年、店名を"FRANCOIS-MAIRE"に変更。1866年には"MAIRE"とさらに短い名前に変更しました。1878年に亡くなりました。彼の死後、彼が残した弓や材料はChanot工房に引き継がれました。
彼は大量の弓を製作しましたが、その水準は優れており、現在でも高く評価されています。


種類 Vn Bow1/2

ラベル H.SCHICKER
製作地 BAIERSDORF
価格 応談


現代ヨーロッパの代表的弓メーカの一つ、HORST SCHICKERの2009年作、1/2弓です。SCHICKER氏本人によるオリジナル。良い材料を使用しており、良い音を出せます。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Horst Schicker
Horst Schicker(ホルスト・シッカー)氏の弓は最高度の精度と細心の注意をもって作られた完全ハンドメイドです。このことは、全ての弓に作者がした署名で保証されています。
弓製作者としての彼のキャリアの根本は、ほとんどが彼が生まれ育った"Bohemian Music Area"と呼ばれる地域(チェコ共和国のEger近くにあるFassattengrun)にあります。
彼は、ドイツの弦楽器製作の中心地であるブーベンロイトで教育を受け修行しました。見習いとして長年働いた後、独立した弓製作職人になる試験に合格、ニュルンベルクの商工会議所から認定されました。
1971年に自身の弓製作会社"HORST SCHICKER"をブーベンロイト近くのBaiersdorfで創立。1980年からは、エルランゲンの弓製作者審査委員会の名誉会員も務めています。

Michaela Schicker
Michaela Schicker(ミカエラ・シッカー)氏は、Horst Schicker氏の娘です。1987年から1990年まで、ブーベンロイト近くのBaiersdorfで、父Horst Schickerから弓製作技術を学びました。彼女は修行を終えた後も家族の工房で働き続けています。1994年、"HWK Nueremberg"が主催する弓製作の職人試験に彼女は合格しました。彼女は試験に合格した最初の女性の一人です。合格の後、彼女は自身が製作した弓に"MICHAELA I. SCHICKER"と刻印しています。
彼女の弓の仕事は、彼女が学んだ工房の「ドイツ派」の特徴を示しています。彼女の個々の作品ならびに全体に共通する形において、彼女自身の個性が明らかに表れているにも関わらず、父親による訓練の影響を依然として見ることができます。

Horst Schicker社公式サイト
ブーベンロイト・バイオリン博物館(※Schicker氏親子に案内していただいた)

種類 Vn Bow
GAN-1113
ラベル EUGENE NICOLAS SARTORY
製作地 FRENCH
価格 応談


Eugene Nicolas Sartory
本人のオリジナル、1930年頃の作品です。国内では珍しいです。巨匠の名に恥じない素晴らしい弓です。
円高メリットで比較的お手頃な価格で提供できます。お問合せはお早めに。
※この弓は雑誌「サラサーテ」のVol.40(2011年6月号)の33ページにも掲載されています。

証明書はこちら

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

楽器ひとくちメモ:
SARTORY


種類 Vn Bow

ラベル PECCATTE SCHOOL
製作地 FRENCH
価格 応談

ペカット派の1890年頃の作品です。状態は完璧。バランスが良く、歯切れの良い音を出すことができます。コシは強め。反応が良い弓です。フロッグはビヨームスタイルとなっています。

証明書はこちら

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Charles Francois Peccatte(シャルル・フランソワ・ペカット 1850-1918)
Francois Peccatte(1821-1855)は19世紀の弓製作の巨匠Dominique Peccatte(1810-1874)の弟です。父は弓製作において兄にひけをとらない才能を発揮し、兄の工房で共に製作活動を行いましたが34歳で夭折しました。そのため叔父Dominique Peccatteの影響を強く受け、兄弟の中でただ一人弓製作の道に入りました。
ミルクールに生まれましたが、彼が生まれた翌年に一家はパリに移住。父が亡くなった後、一家は経済的に困窮したようです。彼の少年時代、弓製作者Auguste Lenobleが義父となり、彼は義父の下で修行を開始しました。間もなく15歳で、Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の工房に弟子入りしました。叔父Dominique PeccatteがVuillaume工房で働いていたことがあった縁もあったようです。彼はこの工房で指導的な役割を果たしていたFrancois Nicolas Voirinから指導されて急激に才能を開花させました。20歳になる頃から数年間、兵役に出たり他の仕事をしたりして弓製作のペースが落ちたり、義父に半ば利用されるような形で義父の工房で働いたりしていたようです。母が亡くなったタイミングで義父と絶縁した頃から彼の技術が認められるようになりました。30代半ばからは複数のコンクールで受賞するようになり、以後、1918年に亡くなるまで高品質の弓を大量に作り続けました。Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)が彼の工房に出入りして時期があったことも知られています。

Dominique Peccatte(ドミニク・ペカット 1810-1874)
Frabcois Xavier Tourte(1748-1835)と並ぶ19世紀の巨匠です。1810年、鬘職人の長男として生まれ12歳頃から美容師の修行を始めましたが、じきに弦楽器製作の興味を持つようになりました。1826年頃、当時のフランスで弦楽器ならびに弓製作で指導的な役割を担っていたJean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の工房に入り、弓製作の修行を開始しました。弓製作の技術指導は同じ工房にいたJean Pierre Persoit(c1783-1854?)がVuillaumeより依頼されて行いました。1839年頃、Francois Lupot U世(1774-1838)の工房を継承しました。


種類 Vn Bow
GST-1123
ラベル EUGENE NICOLAS SARTORY
製作地 FRENCH
価格 応談


Eugene Nicolas Sartory本人のオリジナル、1910年頃の作品です。サルトリの中で最高級品で、状態も抜群に良い逸品です。どのような楽器に対しても柔軟に最良の音を弾きだすことができる卓越した性能を持っています。プロ奏者の方にも自信を持ってお薦めできます。

証明書はこちら

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

楽器ひとくちメモ:
SARTORY


種類 Vn Bow

ラベル EUGENE NICOLAS SARTORY
製作地 FRENCH
価格 応談




Eugene Nicolas Sartory
本人のオリジナル、1935年の作品です。スティックは角棒。最高の状態です。重量は標準的で、こしは強め。サルトリ独特の味わいがあり、一方でサルトリの中でも濃い音が出ます。弾きやすい弓です。お問合せはお早めに。

証明書はこちら

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

楽器ひとくちメモ:
SARTORY


種類 Vn Bow
GLA-0001
ラベル EDUARDO CAMILATTO
製作地 BRAZIL
価格 応談


Eduardo Camilatto氏の作品。近年作で、アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。。
バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的。この弓についてはリーズナブルな価格でご提供できます。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Eduardo Camilatto
現代ブラジルの弓製作者です。2006年より弓製作の道に入りましたが、優れた能力を持っている若手です。現代ブラジルを代表する弓製作の一人であるManoel Francisco氏の指導監督の下で働いており、美しい弓を作る技術を磨きました。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vn Bow
GLA-0002
ラベル A.PRACALOSSI
製作地 BRAZIL
価格 応談

A.Pracalossi氏の作品。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的。この弓についてはリーズナブルな価格でご提供できます。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


A.Pracalossi
現代ブラジルの弓製作者だと思われますが、現時点では情報を確認できていません。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vn Bow
GLA-0003
ラベル LUAN RUY
製作地 BRAZIL
価格 応談


Luan Ruy氏の作品。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
ワンランク上の良い材料を使用しています。ラッピングにクジラの髭が使用されています。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Luan Ruy
現代ブラジルの弓製作者です。2005年より弓製作の道に入りました。彼は若手製作者ですが、類稀なる才能と技術をもっています。完璧な技巧と完璧な仕事によって、彼の作品はブラジル製弓の中で最高級品になりました。
彼はブラジルのBuzatto bows工房で修行を開始し、数年間働きました。2008年にManoel Francisco氏の下に来て、ラルシェブラジル社の弓製作の名人チームに参加しました。彼の技術力と品筆管理力が同社工房を導いています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vn Bow
GLA-0004
ラベル MANOEL FRANCISCO
製作地 BRAZIL
価格 応談


Manoel Francisco氏の作品です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
良い材料を使用しており、ラルシェブラジル社の取り扱っている高級弓の中でも、さらにワンランク上のものです。この弓は、フロッグの大きなパールアイが外見上の特徴。パジョスタイルです。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Manoel Ribeiro Francisco
現代ブラジルを代表する弓製作者の一人で、1995年にこの道に入り働いています。経験豊富な弓製作者であり、ブラジルのウォータ・バイオレット・ボー社(Water Violet Bows)の品質管理責任者として10年間働きました。ビトリア(Vitoria-ES Brazil)の近くに自身の工房をもっており、弓製作者として働き続けています。彼は疑いなくブラジル最高の弓製作者の一人です。彼の弓は、その弾きやすさと美しさで世界的に知られています。美しい仕上げと驚嘆すべき職人技が彼の弓の特徴とされています。ブラジルで作られたヘルナンブコ材の弓で最高級品の一つであることは間違いありません。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vn Bow
GST-1222
ラベル ARNOLD VOIGT
製作地 GERMANY MARKNEUKIRCHEN
価格 応談

ARNOLD VOIGTの1910年頃の作品です。
状態は完璧。スティックの断面は八角形。パーツはシルバーで、フロッグにはARNOLD VOIGTのマークがあります。バランスが良く弾きやすい弓です。こしはしっかりしています。重量は60gで標準的。

証明書あり

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Arnold Voigt(1864-1952、アーノルト・フォークト)
1864年、マルクノイキルヘンで生まれました。同地のHeberlein(ヘバライン)一族の工房に弟子入りして修行。1885年から1890年までの5年間ロンドンに在留し製作活動を行いました。その後、故郷マルクノイキルヘンに戻り、1890年から1927年まで工房を構え、その地で亡くなりました。非常に多数の弦楽器を制作し、クレモナの名器とりわけストラディバリウスモデルの優れた模倣を行いました。一方で、弓も製作しており、卓越した弓製作者として高く評価されていました。彼は科学的なやり方を厳密に守りました。彼は自分が手にして作業しているものに対して、はっきりした明確な考えを持っており、あらゆるグレードの楽器で平均的演奏者の要求を満たすものを製作しました。彼独自の調合によるオイルと精製されたニスを用い、前者は薄く用いられ後者はたいがい黄色みがかった色合いのものです。音質は多少硬めなものですが、演奏者の好みに応じ自在な音量で奏でることができると評価されています。

フォークト(Voigt)という名称は、マルクノイキルヘン最古の名門バイオリンメーカの一つで、ザクセン(Saxony)で300年以上に渡って続いてきた一族のものです。フォークト一族は、ロンドンを拠点とした同名の工房と結び付けられて考えられることが多いですが、一族がドイツのルーツを断ち切ることが決してなかったのは事実です。イギリスにおいてフォークトの弓はW.E.Hill&Sonsの強力なライバルで、品質で甲乙つけがたいものでした。弦楽器製作者としてのフォークトは本当に大きな一族で、フランスの弦楽器研究の権威Rene Vannes氏(1888-1956、ルネ・ヴァンヌ)は、43件にもおよぶ同名のメーカーを列挙しています。


種類 Vn Bow
GST-1220
ラベル E.M.PENZEL
製作地 GERMANY
価格 応談

E.M.PENZELの1910年頃の作品です。
状態は良好。スティックの断面は八角形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしはしっかりしています。重量は61gで標準的。

証明書あり

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Emil Max Penzel(1887-1953、エミール・マックス・ペンツェル)
PENZEL工房の創始者です。初期の弓は、当時、業界をリードしていたLAMYのものに準拠していました。しかし、間もなく彼は独自のデザインを発展させ、やがて "E.M.Penzel"の商標を確立しました。

PENZEL工房


種類 Vn Bow
GST-1221
ラベル A.E.PRAGER
製作地 GERMANY
価格 応談

A.E.PRAGERの1925年頃の作品です。
状態は良好。スティックの断面は八角形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしはしっかりしています。重量は60.5gで標準的。

証明書あり

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

August Edwin Prager(1875-1956、アウグスト・エドウィン・プラガー)
弓製作技法を父Friedrich Wilhelm Pragerから学びました。修行期間を終えた後、彼は、ライプツィッヒの有名なLudwig Bausch工房で働きました。世紀の変わり目にシェーンリント(Schonlind)で独立して働き始めました。1930年にマルクノイキルヘンに移り、優れた弓を作りました。


種類 Vn Bow
GST-1219
ラベル ERNST LIEBICH
製作地 GERMANY
価格 応談
ERNST LIEBICHの1930年頃の作品です。
状態は良好。スティックの断面は円形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め。重量は61gで標準的。

証明書あり

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Ernst Liebich T(1796-1876、エルンスト・リービッヒ)

Ernst Liebich U(1830-1884、エルンスト・リービッヒ)
Ernst Liebich Tの息子。

Ernst Liebich(1862-1895、エルンスト・リービッヒ)


種類 Vn Bow
GST-1223
ラベル MORIZOT BRANDED "A.DEBLAYE"
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

MORIZOT工房が1930年頃にA.DEBLAYE工房に提供したものだと思われます
状態は良好。スティックの断面は円形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め。重量は595gでやや軽めです。

証明書あり

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Albert Joseph Deblaye(1874-1929、アルバート・ヨゼフ・デライェ)
1874年、ミルクール近くのブズモン(Bouzemont)で生まれました。1897年から1900年にかけて、複数のパリの工房で働き、その後、トゥールーズ(Toulouse)のGautier工房で働きました。1900年、ミルクールで独立開業しました。1922年にDeblaye−Meunier合併工房の技術責任者になりました。1929年に亡くなりました。彼は、品質と価格の段階に応じた複数のモデルの弦楽器を製作しました。

Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。


種類 Vn Bow

ラベル ALBERT NURNBERGER
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 応談

NURNBERGERのオリジナル作品です。状態は完璧。重量は標準、こしは強めです。非常に弾きやすい弓です。円高メリットで比較的リーズナブルな価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

NURNBERGER一族の製作者の多くが、自分の作品に"Albert Nurnberger"の刻印を押しました。一族の作品は、初期のものの方が後代のものよりも優れています。一族の作品の中には、工房の違い以上に多様なものがあります。

Franz Albert Nurnberger T(1826-1894、フランツ・アルベルト・ニュルンベルガー)
Franz Albert Nurnbergerは、マルクノイキルヘンの弓製作者で重要人物の一人です。しかし、彼の作品を識別するのは非常に難しいとされています。
弓製作者としての訓練を、父Karl Gottlieb Nurnberger(1793-1868、Christian Gottlob Nurnberger。Johann Georg Nurnbergerの息子。1824年に弓製作業を始め、弓製作者一族Nurnberger一族の創始者です)よりうけました。
一族の記録によれば、父Christian Gottlob NurnbergerはC.W.Knopf工房で修行したようです。早くも1823年に、Christian Gottlob Nurnbergerはマルクノイキルヘンの住所録に弓製作者として登録されています。彼は弓製作者の名門一族"Nurnberger"の創始者として認められています。
Franz Albert Nurnbergerが最初に住所録にあらわれるのは1853年で、その後、1888年に弓製作者組合の主要リーダで創設者の一人として記録されています。彼はBauschの下で仕事を学んだと推定されています。マルクノイキルヘンで弓製作学校を創設し、そこで25年間に渡って教えました。

Johann Christoph Nurnberger (1839-1899)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。VuillaumeやPhilipp Paulの工房で5年間働き、1897年にマルクノイキルヘンで自身の工房を構えました。

Franz Albert Nurnberger U(1854-1931)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。父の下で修行し、父と共にマルクノイキルヘンで働きました。1880年頃に自身の工房を開きました。彼の工房は当時のドイツで最高の弓を製作しましたが、その作品はフレンチモデルに基づいたものでした。最も良く用いたのがTourte、Vuillaume、Voirinモデルでしたが、James Tubbsの優れたコピーも作りました。彼の代で"Albert Nurnberger"ブランドが確立したと言って良いでしょう。
彼はドイツ最高の弓製作者であると高く評価され、世界で最も傑出した弓製作者の一人になりました。Albertとして知られ、Nurnberger一族の中で最も偉大な製作者でした。
第一次世界大戦前(そして大戦後から彼が亡くなる1931年までも同様)に、NurnbergerはW.E.Hill & Sonsと並び競い合う規格となり、世界最高の弓製作工房となっていました。David OistrakhやFritz Kreislerを初めとした巨匠達も、彼の弓を愛用しました。
彼のブランドは息子であるKarl Albert Nurnberger(1885-1971)によっても用いられました。
現在、彼の弓には非常に高い人気があります。1931年以前に作られた彼ののオリジナルは貴重かつ高水準の品質で、高い価格がついています。

H.Robert Nurnberger(1862-?)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。Karl PfretzschnerならびにベルリンのTh.Heberleinの工房で働きました。


種類 Vn Bow

ラベル JEAN PASCAL NEHR
製作地 MARSEILLE
価格 応談

1998年頃の作品だと思われます。ヘルナンボクの良い材料を使用しています。弾き易い弓です。重量は標準的。コシは強め。シルバー。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Jean Pascal Nehr(1957-、ジャン・パスカル・ネル)
1957年生まれ。1974年、ミルクールの学校で弓製作者Bernard Ouchard氏(1925-1979)の下で修行を開始しました。1977年夏に修了。その後、パリで自分の工房を開き、弦楽器製作者の依頼で弓の修理修復を行い、Voirinに触発された彼自らの弓も製作しました。
1986年から1990年にかけ、自分の工房を移すまでの間、マルセイユのHommel氏の工房で働きました。ミッテンバルト(1989年)やマンチェスター(1992年)の展示館、1997年のDiplomas of Meilleur Ouvrier de Franceなど、国内外で受賞し高く評価されました。
現在も、南仏の港湾都市マルセイユ(Marseille)を拠点に、19世紀初頭のフレンチ弓(とりわけTourteモデル)により刺激された弓製作を行っています。

Jean-Pascal NehrArchetier d'art Bowmaker





種類 Baroque Vn Bow
GST-1099
ラベル TOURTE MODEL
製作地 ENGLISH




種類 Vla Bow
JPN-0004
ラベル A.OUCHARD
製作地 FRENCH

種類 Vla Bow
GST-1017
ラベル F.LOTTE
製作地 FRENCH

種類 Vla Bow
GST-1048
ラベル CUNIF HURY
製作地 FRENCH

種類 Vla Bow
GST-1018
ラベル VOIGT
製作地 WIEN
八角弓。ビオラ弓としては軽めで、弾力がある良い弓です。

種類 Vla Bow
GDA-1719
ラベル LOUIS MORIZOT
製作地 FRENCH

LOUIS MORIZOTのオリジナルです。重量が68.6gとビオラ弓としてはやや軽めで、バランスが良く弾きやすい作品です。粘りのある音を出せます。弓によってこれだけ音が変わるのかと思わせてくれる逸品。女性の方にもお薦め。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
LOUIS MORIZOT(1874-1957):弓製作の巨匠ユージン・サルトリに師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。
RAFFINの証明書あり

種類 Vla Bow

ラベル HEIKO WUNDERLICH
製作地 GERMANY
価格 応談

非常に良い状態です。フロッグ等の金具がゴールドで、美しい外見の弓です。



※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Heiko Wunderlich
(1967-)
彼は1984年から1986年まで、Markneukirchenの有名なH.R.Pfretzschener工房で弓製作を学びました。
修行期間を終えた後も、工房に残り製作活動を続けました。
1990年、Markneukirchen・HWKの元で弓製作者として登録されました。この後、彼は生まれ故郷のBad Brambach(Vogtland:ドイツのフォクトラント地方にある町)で自分の工房を開きました。
一人しかいない従業員の手を借りながら、あらゆる種類の弦楽器用弓を作っています。彼の作品は、詳細にいたるまでPfretzschener工房"スクール"の影響をはっきりと示しています。外見面での配慮にも当然見てとれますが、作品の明確さに対する彼のセンスからも表れているものです。

Heiko Wunderlichの公式サイト
東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想

当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。

浦川宜也氏の感想
「少し軽めだ。女性に向いていると思う」


浦川宜也氏の経歴はこちら

種類 Vla Bow

ラベル J.S.FINKEL
製作地 BRIENZ
価格 346,500円
(税抜330,000円)

Johannes S.Finkel(J.S・フィンケル)氏の2007年作です。良い材料を使用しています。バランスならびにファーストトーンと反応が良く、弾き易い弓です。
お問合せはお早めに。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 Vla Bow

ラベル A.VIGNERON
製作地 FRENCH
価格 応談


素晴らしい状態の弓です。これだけの水準のものはめったに入手できないと思います。
標準的な重さ。ビネロン特有の、弾きやすく、楽器の性能を自然に引き出してくれるもの。試奏していただければ、その素晴らしさをおわかりいただけるでしょう。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

楽器ひとくちメモ・VIGNERON


種類 Vla Bow
GDA-1718
ラベル C.H.K.SCHMIDT
製作地 GERMANY DRESDEN
価格 応談


バランスが良く弾きやすい弓です。円高メリットで比較的リーズナブルな価格で提供できます。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Christian Hans-Karl Schmidt(1940-、クリスチャン・ハンス・カール・シュミット)
1940年、エアルバッハ(Erlbach)生まれ。2世紀におよぶ弦楽器・弓製作一族の後継者です。養父Kurt Dollingに師事しました。1960年代末にマルクノイキルヘンを後にし、数年間FINKEL工房で働きました。旧東ドイツで公認技術者としての地位を確立し、モスクワでも活躍しました。その弓は最高レベルに近い評価を得ており、現代ドイツの弓では最高級品とされています。なお、息子Jochen SchmidtDanier Schmidtも父親の下で修行して弓製作者になり、後にそれぞれ独立しました。数々のコンクールで入賞するなど、息子達の弓も高い評価を得ています。


種類 Vla Bow

ラベル ARNOLD VOIGT
製作地 GERMANY MARKNEUKIRCHEN
価格 応談


作者オリジナルのものは国内では珍しいです。状態は完璧、丁寧な仕上げです。こしは強め。重量は標準的です。柔らかい音質で良い響きを出すことができます。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Arnold Voigt(1864-1952、アーノルト・フォークト)
1864年、マルクノイキルヘンで生まれました。同地のHeberlein(ヘバライン)一族の工房に弟子入りして修行。1885年から1890年までの5年間ロンドンに在留し製作活動を行いました。その後、故郷マルクノイキルヘンに戻り、1890年から1927年まで工房を構え、その地で亡くなりました。非常に多数の弦楽器を制作し、クレモナの名器とりわけストラディバリウスモデルの優れた模倣を行いました。一方で、弓も製作しており、卓越した弓製作者として高く評価されていました。彼は科学的なやり方を厳密に守りました。彼は自分が手にして作業しているものに対して、はっきりした明確な考えを持っており、あらゆるグレードの楽器で平均的演奏者の要求を満たすものを製作しました。彼独自の調合によるオイルと精製されたニスを用い、前者は薄く用いられ後者はたいがい黄色みがかった色合いのものです。音質は多少硬めなものですが、演奏者の好みに応じ自在な音量で奏でることができると評価されています。

フォークト(Voigt)という名称は、マルクノイキルヘン最古の名門バイオリンメーカの一つで、ザクセン(Saxony)で300年以上に渡って続いてきた一族のものです。フォークト一族は、ロンドンを拠点とした同名の工房と結び付けられて考えられることが多いですが、一族がドイツのルーツを断ち切ることが決してなかったのは事実です。イギリスにおいてフォークトの弓はW.E.Hill&Sonsの強力なライバルで、品質で甲乙つけがたいものでした。弦楽器製作者としてのフォークトは本当に大きな一族で、フランスの弦楽器研究の権威Rene Vannes氏(1888-1956、ルネ・ヴァンヌ)は、43件にもおよぶ同名のメーカーを列挙しています。


種類 Vla Bow
GST-0021
ラベル W.E.HILL&SONS
製作地 LONDON
価格 応談


W.E.HILL&SONS工房の最高級品です。状態が抜群に良いです。バランスが良く、こなれた良い弓です。チップ底面に点2つの刻印があります。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill & Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
Arthur Scarbrow(?-?) チップ底面に数字の0
Arthur Copley (1903-1976) チップ底面に数字の1
Edgar Bishop (1904-1943) チップ底面に数字の2
Albert Leeson (1904-1946) チップ底面に数字の3
Leslie Bailey (1919-?) チップ底面に数字の4
Arthur J Barnes (1888-1945) チップ底面に数字の5
Arthur Bultitude (1908-1990) チップ底面に数字の6
William Watson (1930-) チップ底面に数字の7
Malcolm M Taylor(?-?) チップ底面に数字の8
Arthur Brown(?-?) チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX
William C Retford (1875-1970) チップ底面に点が1つ
William R Retford (1899-1960) チップ底面に点が2つ
Frank Napier (1884-?) チップ底面に三つ葉模様
Sydney Yeoman (1876- 1948) ヘッド接合面の下部に1本の刻み目
Charles Leggatt (1880-1917) ヘッド接合面の中央に二本の刻み目
William G Johnston (1860-1944) ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目
Sam Allen (1838-? ) 印無し
William Napier (1848-1932) メーカ名刻印無し
James Tubbs (1835-1921) W E Hillの刻印(二つあるものも見られる)


チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。

スティック下面の刻印。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS

種類 Vla Bow
GS-1047
ラベル F.PECCATTE
製作地 FRENCH
価格 応談
F.PECCATTE工房の作品です。状態は完璧。バランスが良く、こしは強めです。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

種類 Vla Bow
GST-0009
ラベル PAJEOT SCHOOL
製作地 FRENCH
価格 応談
国内では珍しいPAJEOT工房の作品です。切れの良い音を出すことができます。
この弓については、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

種類 Vla Bow
GDA-1155
ラベル L.MORIZOT
製作地 FRENCH MIRECOURT
価格 応談

LOUIS MORIZOT工房の1930年頃の作品。重量は71.5グラムで標準的。バランスが良くて弾きやすく、クリアーな音を出すことができます。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。


種類 Vla Bow
GLA-0012
ラベル DE MARCHI
製作地 BRAZIL
価格 応談


Willian De Marchi氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
色はブラウンですが最高級の材料を使用しています。フロッグにマンモスを使用。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は71gで標準的。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Willian De Marchi
2005年より活動開始した弓製作者で、素晴らしい弓を製作してきました。"Water Violet Bows"の工房で弓製作者としてのキャリアを開始し、非凡な技量を身につけました。イタリアやフランスの弓製作工房でも働きました。彼は、2008年、ブラジル人初のアメリカ弦楽器協会技能証書(Certificate of Craftsmanship from the V.S.A of the United States)を受賞する栄誉に浴しました。
彼はまた、古いフランス弓についてあらゆるモデルおよび様式の非常に正確なコピーも製作しています。

V.S.A:The Violin Society of America


L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vla Bow
GLA-0011
ラベル MANOEL FRANCISCO
製作地 BRAZIL
価格 応談

Manoel Francisco氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しており、ねばりがあるクリアな音が出ます。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は71gで標準的。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Manoel Ribeiro Francisco
現代ブラジルを代表する弓製作者の一人で、1995年にこの道に入り働いています。経験豊富な弓製作者であり、ブラジルのウォータ・バイオレット・ボー社(Water Violet Bows)の品質管理責任者として10年間働きました。ビトリア(Vitoria-ES Brazil)の近くに自身の工房をもっており、弓製作者として働き続けています。彼は疑いなくブラジル最高の弓製作者の一人です。彼の弓は、その弾きやすさと美しさで世界的に知られています。美しい仕上げと驚嘆すべき職人技が彼の弓の特徴とされています。ブラジルで作られたヘルナンブコ材の弓で最高級品の一つであることは間違いありません。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vla Bow
GLA-0010
ラベル DE MARCHI
製作地 BRAZIL
価格 応談

Willian De Marchi氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。芯がしっかりしており、バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は71gで標準的。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Willian De Marchi
2005年より活動開始した弓製作者で、素晴らしい弓を製作してきました。"Water Violet Bows"の工房で弓製作者としてのキャリアを開始し、非凡な技量を身につけました。イタリアやフランスの弓製作工房でも働きました。彼は、2008年、ブラジル人初のアメリカ弦楽器協会技能証書(Certificate of Craftsmanship from the V.S.A of the United States)を受賞する栄誉に浴しました。
彼はまた、古いフランス弓についてあらゆるモデルおよび様式の非常に正確なコピーも製作しています。

V.S.A:The Violin Society of America


L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vla Bow
GLA-0008
ラベル FORNACIARI JUNIOR
製作地 BRAZIL
価格 応談


Jayme Fornaciari Junior氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は72gで標準的。この価格帯では良い弓です。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Jayme Fornaciari Junior
2005年より活動開始したブラジル人弓製作者です。"Water Violet Bows"の工房で働いた後、"L'ARCHET BRASIL"に参加しました

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vla Bow
GLA-0009
ラベル JACHSON FORNACIARI
製作地 BRAZIL
価格 応談


Jackson Fornaciari氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は71gで標準的。この価格帯では自信を持ってお薦めできる良い弓です。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Jackson Fornaciari
2004年より活動開始したブラジル人弓製作者です。"Water Violet Bows"の工房で働いた後、"L'ARCHET BRASIL"に参加しました

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。

L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)


種類 Vla Bow

ラベル JEAN PASCAL NEHR
製作地 MARSEILLE
価格 応談

1998年の作品です。ヘルナンボクの良い材料を使用しています。バランスが良く、とても弾き易い弓です。重量は標準的。コシは強め。ゴールド。プロ奏者にもお薦めです。
Nehr氏本人の証明書付き。

証明書はこちら。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Jean Pascal Nehr(1957-、ジャン・パスカル・ネル)
1957年生まれ。1974年、ミルクールの学校で弓製作者Bernard Ouchard氏(1925-1979)の下で修行を開始しました。1977年夏に修了。その後、パリで自分の工房を開き、弦楽器製作者の依頼で弓の修理修復を行い、Voirinに触発された彼自らの弓も製作しました。
1986年から1990年にかけ、自分の工房を移すまでの間、マルセイユのHommel氏の工房で働きました。ミッテンバルト(1989年)やマンチェスター(1992年)の展示館、1997年のDiplomas of Meilleur Ouvrier de Franceなど、国内外で受賞し高く評価されました。
現在も、南仏の港湾都市マルセイユ(Marseille)を拠点に、19世紀初頭のフレンチ弓(とりわけTourteモデル)により刺激された弓製作を行っています。

Jean-Pascal NehrArchetier d'art Bowmaker





種類 VC Bow
GST-0001
ラベル A.LAMY
製作地 FRENCH

種類 VC Bow
GDA-1161
ラベル GABRIEL
製作地 GERMANY

種類 VC Bow
GDA-1154
ラベル T.G.ACKER
製作地 GERMANY

種類 VC Bow
GST-1055
ラベル A.VIGNERON
製作地 FRENCH

種類 VC Bow4/4
JPN-2305
ラベル N.SIMON
製作地 FRENCH

1855年、FRENCH・MIRECOURT製。軽めで腰があり状態が良い弓をお探しの方にお薦め。これほどの弓は滅多に見つかりません。ロンドンの有名ディーラ・ANDREAS WOYWODの正式な証明書付です。
証明書はこちら

楽器ひとくちメモ:
VIGNERON

種類 VC Bow
GAN-1122
ラベル H.W.Prell
製作地 FRENCH
Prellはドイツ人ですが、サルトリの工房でも仕事をしていました証明書はフランス製になっておりサルトリの特徴を持っていますが、Prellの刻印が残っている非常に珍しい弓で価格も手頃です。質的にはサルトリと同等品です。
証明書はこちら

種類 VC Bow
GAN-1120
ラベル E.A.OUCHARD
製作地 FRENCH

証明書はこちら

種類 VC Bow

ラベル J.J.AUGAGNER D.BERGEROU
製作地 FRENCH LYON
アンサンブル金沢首席チェロ奏者 ルドヴィート・カンタ氏の感想

2004年製。

カンタ氏の感想
「フレンチ弓の新作としては、とても良いです」

証明書付


種類 VC Bow

ラベル JOSEF PETER GABRIEL
製作地 ERLANGEN

ドイツの優良メーカの近作です。良い材料を使用しており、バランスが非常に良い弓です。この価格帯では完璧と言ってよい作品です。

JOSEF PETER GABRIELの公式サイト(独語)

種類 VC Bow

ラベル STEFFEN KUHNLA
製作地 GERMANY

このメーカとしては珍しく銀糸を使用。チップはシルバーで高級感あふれる仕上になっています。非常に良い材料を使用しており、とても弾き易い弓です。
チェロ奏者 ダニエル・クネアー氏の感想

当社へ遊びに来られたドイツのプロチェロ奏者、ダニエル・クネアー氏に試奏していただきました。

クネアー氏の感想
「非常に好きな弓です。素晴らしいと思う」

種類 VC Bow
GST-1150
ラベル H.R.PFRETZSHNER
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 630,000円
(税抜600,000円)

H.R.PFRETZSHNERの1930年頃の作品です。状態が非常に良いです。バランスが良く軽くて弾き易いので、女性や小柄な方にお薦めです。古い弓で状態が良く手頃な価格のものをお探しの方にお薦め。お問合せはお早めに。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

証明書はこちら

Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。

"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら

H.R. Pfretzschnerの公式サイト(独語・英語)

種類 VC Bow

ラベル P.GUILLAUME
製作地 BRUXELLES
価格 892,500円
(税抜850,000円)

現代の名工Pierre Guillaume氏による逸品です。卓越した技術を駆使し一本一本丁寧に仕上げているものです。オールドの名品と比較しても遜色ありません。良い弓をお探しの方に自信を持ってお薦めします。GUILLAUMEの専用ケース(下画像)付き。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison Bernardの工房を引継ぎました。
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。

GUILLAUMEの公式サイト(日本語ページあり)

種類 VC Bow

ラベル F.N.VOIRIN
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 応談

H.R.PFRETZSHNERが製作したものです。Hermann Richard Pfretzschner がJ.B.Vuillaumeの工房で修行していた時、同じ工房にFrancois Nicolas Voirinがいました。PfretzschnerはVoirinの卓越した技術だけではなくその人格にも深い感銘を覚えました。その尊敬の念を込めて、Voirinの了承の下、彼の名前で作成したもので、知る人ぞ知る有名な弓です。

証明書付

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Francois Nicolas Voirin(フランシス・ニコラ・ヴォアラン、1833-1885)はJ.B.Vuillaume(Jean Baptiste Vuillaume、1798-1875)の従兄弟で、パリにあったVuillaumeの工房で指導的役割を担っていました。Charles Francois Peccatteに対する指導やJoseph Alfred Lamyとの師弟関係など、弓製作の歴史でも重要な役割を果たしました。

楽器ひとくちメモ:
VOIRIN


種類 VC Bow

ラベル EWALD WEIDHAAS
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 応談

Ewald Weidhaas(エヴァルト・ヴァイドバス)の1900年から1920年頃の作品です。軽めでバランスが良く弾き易い弓です。女性や小柄な方にお薦め。状態良好です。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
四代目Johannes S.Finkel(1947-)は父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

参考:「Deutsche Bogenmacher」他


Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク、1872-1933)
Victor Francois Fetiqueは、1872年にミルクールで生まれました。
なお、弟Jules Fetique(ジュール・フェティーク、1875-1951) も優れた弓製作者でした。息子Marcel Gaston Fetique(1899-1977)も父の指導を受け弓製作者になりました。
Victor Francois Fetiqueは、父Charles Claude Fetique(1853-1911) ならびにHusson一族の工房で修行し、Charles Nicolas BazinU(1847-1915)の工房で研鑽を積みました。 1901年、Bazin工房での修行を終え、パリに出てCARESSA&FRANCAIS工房で12年間働きました。1913年、41歳の時にパリで独立しました。独立後まもなく、高い評価を得て成功。注文数が彼一人ではこなしきれなくなったため、弟をはじめ、ミルクールの中心的な製作者に委託生産をしてもらったこともあるようです。1933年、60歳で亡くなりました。
彼は若くして卓越した才能を発揮し、Bazin工房での研鑽を経て一級の弓製作者になりました。フランスの優秀な職人に贈られる「Unedes meilleurs ouvriers de France」も受賞しています。一方、フランス弓の伝統を引き継ぐ優秀な弟子を多く育てました。彼の作品は非常に高く評価されていますが、本人(ならびに愛弟子)作、工房作、委託生産品(ミルクール製を彼が仕上げたもの)の3種類があるとされています。本人作はもちろんですが、息子や甥Andre Georges Richaume(アンドレ・リショーム、1905-1966)と共同で製作したものも高く評価されています。


FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 VC Bow

ラベル REICHEL WORKSHOP
製作地 GERMANY
価格 応談

REICHEL(ライヒェル)のワークショップ作品で、1800年代のものです
。状態は良好です。軽めでバランスが良く弾き易いので、女性や小柄な方にお薦め。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

種類 VC Bow

ラベル H.R.PFRETZSHNER
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 367,500円
(税抜350,000円)
1970年頃の作品です。良い材料を使用しており、完璧な状態です。スティックの断面は八角形で底面が若干広め、PFRETZSHNERオリジナルの形態です。
特別価格でご提供します。この価格帯のものをお探しの方はお早めにお問合せください。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。

"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら

H.R. Pfretzschnerの公式サイト(独語・英語)

種類 VC Bow

ラベル JOHS.O.PAULUS 4 Stars
製作地 GERMANY
価格 315,000円
(税抜300,000円)

1968年頃の作品です。良い材料を使用しています。重量は約81gで標準的なものです。状態は極めて良好です。この年代でこれだけ良い状態のものとしては破格の価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

Johannes O.Paulusの仕事はMarkneukirchenの伝統的な作風に準じたものです。彼の弓には通常「JOHS.O.PAULUS」と刻印され、その前後に品質を示す星印があります。フロッグには羽を拡げた鷲の印章と彼の名前が刻印されています。また銀製のリング等に別の印章が刻印されているのも特徴です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

PAULUSはドイツ・マルクノイキルヘン(Markneukirchen)の弓工房です。現在に至るまでPAULUS一族四代によって受け継がれてきました。
弓製作者としての初代Otto Paulusは1891年にMarkneukirchenの楽器工場を営む家に生まれました。彼は弓製作を専門に学び、6年間の修行期間中、August Rau(1866-1925) より高度で貴重な知識を得ました。その後、1923年には自身の会社を興し、1948年にマイスター試験に合格しました。
二代目Johannes O.Paulusは1916年生まれ。父親から弓製作の指導を受け、1930年から1934年までの間、MarkneukirchenのC.A.Schuster※工房で弓製作を学びました。修行を終えたJohannes O.Paulusは、第二次世界大戦で召集された後に捕虜となった長い中断を挟みながら、C.A.Schuster工房で働き続けました。捕虜生活から解放された後、彼はC.A.Schuster工房に復帰し、工房が閉鎖される1955年まで働きました。1950年、彼はMarkneukirchenの弓製作でのマイスター試験を全てパスしました。1955年にC.A.Schuster工房が閉鎖された時、彼と彼の父親はC.A.Schuster工房の部屋を引き継ぎ、彼ら自身のブランドで自分達の工房を始めました。Johannes O.Paulusは実績を評価され「Anerkannter Kunstschaffender」という称号を与えられました。本来の仕事に加え、彼はMarkneukirchenの弓製作マイスター試験の審査委員会メンバーでもありました。78歳で第一線からは引退しましたが、息子Gunter A. Paulusへの指導を続けました。
三代目Gunter A. Paulus(1949-2006)は幼少時から弓製作者に憧れ、父の的確な指導を受けました。1972年にマイスター試験に合格、1973年まで父の工房で働き、その後独立しました。
四代目Jens Paulusは1970年生まれ。彼もまた先代に習い弓製作者の道を歩みました。彼は父に弟子入りし、1992年に弓製作マイスター試験をパスしました。2000年から、Gunter A. PaulusとJens Paulusの親子で工房を続けていまたが、2006年にGunter A. Paulusが死去。現在は四代目Jens Paulusが工房を引き継ぎ活躍しています。

参考:「Deutsche Bogenmacher 1945-2000」他

PAULUS工房の公式サイト(独語・英語)

種類 VC Bow

ラベル NEUDORFER
製作地 BUBENREUTH
価格 840,000円
(税抜800,000円)

NEUDORFERの2004年作です。リングなど金属部品にゴールドを使用。良い材料を使い、優れた技術で仕上げてある逸品です。ファーストトーンが良く、的確に反応します。
国内ではあまり流通していませんが、非常に評価が高い作者です。作者の年齢からすると最後の作品の一つとなるかも知れません。興味のある方はお早めにお問い合わせください。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



上:NEUDORFERのパンフレット。
左:Rudolf Neudorfer氏(上記パンフレットより転載)



Rudolf Neudorfer(1936-)
Rudolf Neudorfer氏は弦楽器製作者Neudorfer一族の三代目です。祖父はJosef Neudorfer、父はKarl Neudorferです。 彼は1936年に生まれ、1951年から1953年まで、H.SchmirlerとB.Pecharが指導するLuby(Schonbach)の楽器製作学校で弓製作を学びました。その後、Kraslice(Graslitz)の製造業向けビジネススクールでも学び、当時のチェコスロヴァキア国営「Cremona」社に常務として雇われました。
1964年、彼はドイツ連邦共和国(FRG、当時の西ドイツ)に移住しました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。その後、1966年から2年間、Bubenreuthの0.Seifert工房で主任を務め、1968年から1973年まではBrienz(スイス)のSiegfried Finkel工房で働きました。1973年に、E.Wernerがかって所有していたBubenreuthの工房を引き継ぎ独立、現在に至ります。
彼は国際的な弓コンクールにも積極的に参加し、評価を得ました。1980年ならびに82年、アメリカのVSA(Violin Society of America)弓コンクールで彼の弓は高く評価されました。1983年と86年、Wiesbadenの国内コンクールで、彼のバイオリン弓は金賞を受賞しました。
彼の作品は、Tourte、PeccatteやSartoryなどのフレンチ弓の作風をモデルにしているものが多いです。また、イギリスのJ.Tubbsのそれをモデルにしたものもあります。
なお、彼の弟子の一人に、2008年に若くして亡くなった杉藤浩司氏がいました。
※故・杉藤浩司氏については杉藤楽弓社サイトをご覧ください。


種類 VC Bow
GST-1044
ラベル N.F.VOIRIN
製作地 FRENCH

リングなど金属部品にゴールドを使用。フロッグはオリジナルです。状態は非常に良好。重量は少し軽めです。
女性や小柄な方で良いフレンチ弓をお探しの方にお薦め。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Francois Nicolas Voirin(フランシス・ニコラ・ヴォアラン、1833-1885)はJean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の従兄弟で、パリのVuillaume工房で指導的役割を担っていました。Charles Francois Peccatteに対する指導やJoseph Alfred Lamyとの師弟関係など、弓製作の歴史でも重要な役割を果たしました。Francois Xavier Tourteをはじめとする19世紀の巨匠達の名品を研究し、それらの忠実なコピー製作も行いました。彼のコピー作品は当時「Modern Tourte」として知られていました。

1833年10月1日、Francois Nicolas Voirinはミルクールに生まれました。父Nicolas Voirinはオルガン製作者でした。12歳の頃にJean Simonの工房へ徒弟に入り弓製作を学びました。1855年頃、パリに出て従兄弟Jean Baptiste Vuillaumeの工房で働き始めました。彼はVuillaumeの工房で指導的役割を担い、次の時代を担う多くの弓製作者に影響を与えました。その中には20世紀最高の弓製作者の一人として知られるCharles Francois Peccatteや、現在もその子孫がラベルを引き継いでいるHermann Richard Pfretzschner達がいます。この頃の彼の作品はVuillaumeのラベルで売られていました。

しかし、後にVuillaumeとの人間関係がうまくいかなくなり、1870年頃に独立しパリで工房を構えました。独立してまもなくLouis Joseph Thomassin(ルイ・ジョゼフ・トーマッサン 1856-c1904)が彼の工房に入りました。1876年頃にはJoseph Alfred Lamy(1850-1919)も彼の工房に入り、3人で共同して弓製作に従事しました。ただし、共同作業で製作するものと、Voirin独自で製作するものとは厳密に分けており、独自製作のものについては全て一人で完成させたようです。40代半ばにはTourteコピーを製作しています。1885年、52歳でパリで亡くなりました。彼の死後、数年間はLouis Joseph Thomassinが彼の工房を引き継いでいたようです。
未亡人となった妻はLamyらが工房で製作した弓にVoirinの刻印を押して販売したことがあります。それらは通称「Voirin de la Veuve」(ヴォアランの未亡人)と呼ばれています。 

Francois Nicolas Voirinの作品は、力強いPeccatte派(Dominique Peccatte)の作風と、柔らな印象のVuillaume風の長所を併せ持ったものとされています。また、Francois Xavier Tourteの作品を研究しコピーを製作する一方、Tourteとは根本的に異なるスタイルの弓を生み出しましたともされています。ヘッドはよりスリムで、スティックの反りはヘッドに近くなりました。スティックの強度が増すとともに、シャフトの特にヒール部分の厚みが減りました。中でも大きな改革はVuillaumeスタイルのフロッグを完成させたことです。彼の弓は卓越した品質をもっており、現在も数多くの偉大なソリスト達に愛用され続けています。

Joseph Voirin(ジョセフ・ヴォアラン 1837-c1895)も腕のある弓製作者になりましたが、兄とはやや異なった経歴を辿り、パリに出て若いうちに自分の工房を開きました。1867年頃、Pierre Louis Gautrotの工房で働くためパリ郊外のシャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)へ行きました。その工房で彼の助手を勤めたのがJoseph Alfred Lamyでした。LamyがパリのFrancois Nicolas Voirin工房に移った後もGautrotの工房に残っていたようですが、晩年はパリに戻ったようです。兄とは異なり、Vuillaumeの工房には入りませんでした。彼の晩年はあまりよくわかっていませんが60歳代を目前にして亡くなったようです。
なお、Francois Nicolas Voirinの子供たちは誰も楽器製作に関わりませんでしたので、弓製作者としてのVoirinは兄弟一代で終わりました。



種類 VC Bow
GST-1046
ラベル J&A BEARE
製作地 LONDON
価格 1,365,000円
(税抜1,300,000円)
1900年頃の作品です。BEARE社がHILL工房に製作を委託したものの一本で、これらについてはヨーロッパでは通称Hill-Bowとして知られているものです。スティックの断面は八角形、リングはシルバーです。状態は非常に良好。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


J&A BEARE(John & Arthur Beare)
J&A BEARE社は、1892創業の有名な楽器商です。
BEARE社の公式サイト

W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill & Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
W.E.HILL&SONS


種類 VC Bow

ラベル P.GUILLAUME
製作地 BRUXELLES
価格 892,500円
(税抜850,000円)

現代の名工Pierre Guillaume氏の2008年作です。腰がしっかりしており、フレンチ弓の正当な伝統を受け継ぐ名品です。卓越した技術を駆使し丁寧に仕上げているもので、オールドの名品と比較しても遜色ありません。試奏していただければ、この弓の価値をおわかりいただけと思います。良い弓をお探しの方に自信を持ってお薦めします。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison Bernardの工房を引継ぎました。

左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載)
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。

GUILLAUMEの公式サイト(日本語ページあり)

種類 VC Bow

ラベル HARTMUT KNOLL
製作地 GERMANY
価格 315,000円
(税抜300,000円)
KNOLL社の当代Hartmut Knoll氏の2007年作(一つ星)です。腰がしっかりしています。お手頃な価格で良い弓をお探しの方にお薦め。
KNOLL社オリジナルクロス附属。

※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。

左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載)

Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。

Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。

Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。


種類 VC Bow3/4

ラベル ALFRED KNOLL
製作地 GERMANY
価格 105,000円
(税抜100,000円)
KNOLL社の初代Arfred Knollの作品です。3/4用で、しっかりした良いものをお探しの方にお薦めします。


※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。

Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼は工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。

Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。


種類 VC Bow

ラベル FINKEL ATELIER
製作地 BRIENZ
価格 応談

Finkel工房の2004年作です。こしがしっかりしています。この価格帯では非常に良い弓です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 VC Bow
JPN-2569
ラベル HILL
製作地 LONDON
価格 1,155,000円
(税抜1,100,000円)

HILLのチェロ弓です。完璧な状態。レスポンスが良く、濃い音がします。
これだけの状態のHILL弓で、この価格帯のものは珍しいです。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill & Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
Arthur Scarbrow(?-?) チップ底面に数字の0
Arthur Copley (1903-1976) チップ底面に数字の1
Edgar Bishop (1904-1943) チップ底面に数字の2
Albert Leeson (1904-1946) チップ底面に数字の3
Leslie Bailey (1919-?) チップ底面に数字の4
Arthur J Barnes (1888-1945) チップ底面に数字の5
Arthur Bultitude (1908-1990) チップ底面に数字の6
William Watson (1930-) チップ底面に数字の7
Malcolm M Taylor(?-?) チップ底面に数字の8
Arthur Brown(?-?) チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX
William C Retford (1875-1970) チップ底面に点が1つ
William R Retford (1899-1960) チップ底面に点が2つ
Frank Napier (1884-?) チップ底面に三つ葉模様
Sydney Yeoman (1876- 1948) ヘッド接合面の下部に1本の刻み目
Charles Leggatt (1880-1917) ヘッド接合面の中央に二本の刻み目
William G Johnston (1860-1944) ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目
Sam Allen (1838-? ) 印無し
William Napier (1848-1932) メーカ名刻印無し
James Tubbs (1835-1921) W E Hillの刻印(二つあるものも見られる)


チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。

スティック下面の刻印。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

W.E.HILL&SONS

種類 VC Bow
GST-1176
ラベル TOURTE MODEL
製作地 GERMANY
価格 応談

ドイツ製で1930年頃の作品です。
スティックのフロッグ上部分に刻印がありますが判然とせず作者は不明です。こしのしっかりした弓で状態はパーフェクト。重さは80gで、柔らかい音がします。状態が良く、柔らかい音がする弓をお探しの方にお薦め。
円高時(2009年)に仕入たため、リーズナブルな価格でご提供できます。お問合せはお早めに。

証明書あり

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


種類 VC Bow

ラベル J.S.FINKEL GOLD240GEM
製作地 BRIENZ
価格 応談

Finkel工房の2007年作です。ゴールドラベルのチェロ弓は珍しく、国内では入手困難です。ゴールドに相応しく非常に良い材料を使用し完璧に仕上げられた逸品です。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Johannes S.Finkel
(1947-)

弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。

Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。

Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。

Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。


参考:「Deutsche Bogenmacher」他

FINKEL-WEIDHAASの公式サイト(英語)

種類 VC Bow

ラベル H.R.PFRETZSHNER
製作地 MARKNEUKIRCHEN
価格 応談

ラベルと証明書はありませんが、PFRETZSHNEの特徴を備えており、PFRETZSHNER工房オリジナルの作品だと思われます。比較的お手頃な価格でご提供できますので、お早めにお問合せください。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。

"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら

H.R. Pfretzschnerの公式サイト(独語・英語)

種類 VC Bow
GAN-1119
ラベル A.LAMY
製作地 FRENCH
証明書はこちら

世界的に有名なLAMY工房の名品です。状態が抜群に良く、完璧と言ってもいいと思います。どの楽器にもマッチします。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。

Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。

Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。

Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。


種類 VC Bow

ラベル J.P.BERNARD
製作地 BRUXELLES
価格 応談

J.P.BERNARD
はP.GUILLAUME工房のブランドの一つです。P.GUILLAUME氏は自ら弓製作を行うとともに、氏が企画監督する工房製品としてJ.P.BERNARDならびにBERNARDブランドの弓も提供しています。これらの工房ブランド弓は、比較的手頃な価格でありながら、良い材料を使用し、P.GUILLAUME氏の技術指導の下で生み出された高品質のものです。
この弓は1998年頃の製造で、近年作。状態はパーフェクトです。バランスが良く、少し柔らかめ。当社で毛替え・調整済です。
お手頃な価格でご提供できますので、お問合せはお早めに。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。




Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison Bernardの工房を引継ぎました。

左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載)
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。

GUILLAUMEの公式サイト(日本語ページあり)

種類 VC Bow
GDA-1754
ラベル CH.F.CHAROTTE
製作地 FRENCH
価格 応談

CH.F.CHAROTTE PARISという刻印がある、1890年から1920年頃のフレンチ弓です。LAMYの作品に非常に良く似た特徴を持っており、品質もLAMYに迫る素晴らしいものだと思います。刻印と内容の組み合わせに興味深く珍しいものがあります。刻印に該当するメーカもしくはブランドの情報は未確認ですが、良い弓です。

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


この弓との関係は不明ですが、ご参考までにCHAROTTE工房についてご紹介します。

Victor Joseph Charotte(c1850-1925)
ミルクールに生まれました。彼が作ったものとされる一番古いバイオリンには1870年作とありますので、この頃にはミルクールで活動していたものと思われます。彼が作ったバイオリン(特に1733年ガルネリモデル)とビオラは完璧な外形です。全ての曲線は調和のとれた芸術的なものです。とても透明でしなやかなストラディバリウスを彷彿とさせるニスが綺麗に形作られた木材を際立たせ、色合いの純度を高めています。
彼の現役時代、CHAROTTE工房は当時の主要メーカとして評価されており、彼の仕事は栄誉賞をいくつか得ていました。例えば、1900年にパリ国際展示会で金賞、1925年にはフランス最高の職人賞を贈られました。
Victor Joseph Charotteの死後、CHAROTTE工房はGeorges Apparut(1877-1948)に引き継がれ、数年間続きました。

Charles Francois Charotte
CHAROTTE工房の創業者。1721年にCharles Francois CharotteがミルクールでCHAROTTE工房を創業しました。後にナンシーへ活動拠点を移したようです


種類 VC Bow

ラベル J.B..VUILLAUME
製作地 FRENCH
価格 応談
証明書はこちら

Charles Claude Hussonが、J.B..VUILLAUME工房で製作したものです。状態は完璧。どの楽器にも柔軟に反応し、明るく伸びやかな音を出せます。


※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。

Charles Claude Husson(1846-c1915)
1846年、ミルクール生まれ。Claude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の息子です。父親の元で弓製作を学び、義理の弟であったJoseph Arthur Vigneron(1851-1905)と共に修行しました。
1873年頃にはJean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の工房で働いており、他にもLamyやGand&Bernadel兄弟の工房にも出入りして弓製作の勉強を続けていました。Jean Baptiste Vuillaumeの他界により、1875年頃にVoirin工房に移りました。1880年、パリに出て自身の工房を開きました。死亡時期ははっきりしませんが、1915年頃までは製作活動を続けていたようです。
彼の作品のスタイルは、活動時期に応じてVuillaume、Vorinのそれによるものでした。後年にはVigneronの影響を受けたスタイルになりました。彼の作品として明確にわかるものは、少数しか残っていません。しかし、丁寧に仕上げられた彼の弓は現在も高く評価されています。

Claude Charles Nicolas Husson(1823-1872)
ミルクールやパリの若い職人を沢山雇い育て、弓製作の発展に大きく貢献しました。同時期にBAZIN一族が弓製作の発展に尽力していたので、互いに協力し合い、職人の育成に努めました。
1823年、ミルクールに生まれました。父親は、レース編み職人でした。ちなみにレース産業は、弦楽器・弓製作と並んで、19世紀ミルクールの主要産業でした。
彼は幼少時より弓製作職人の元で弓製作を学びました。弟Pierreも同じ道を歩みました。
最初の妻との間にできた息子がCharles Claude Husson(1846-c1915)です。後に再婚相手の連れ子Joseph Arthur Vigneron(1851-1905)を息子として認知し、彼の工房で弓製作を教えました。実子Charles Claude Hussonが父親から独立してパリに出た後、工房は衰退していき、1872に49歳という若さでClaude Charles Nicolas Hussonは亡くなりました。
彼自身の作品はあまり知られていません。作品よりも、Joseph Arthur Vigneronをはじめとする大勢の優秀な職人を育て、フレンチ弓の発展に大きく寄与したことで評価されています。

Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875)
1798年ミルクール生まれ。父Claude Francoisはバイオリン製作者でした。当時の例に漏れず少年時代に徒弟に入り弓をはじめとする楽器製作の修行を始めました。20歳の頃にパリに出て楽器職人としてNicolas Antoine Leteの店で雇われました。その後、頭角を現し、1823年に彼の作ったバイオリンがコンクールで入賞しました。その頃、彼は弓に注目し研究し始めたようです。ほどなくして、Jean Pierre Marie PersoitやDominique Peccattと共に働き始めました。 1827年、Leteから独立して工房を構えました。
彼がフランスの弓製作史において果たした役割が極めて大きいという点では異論がないところでしょう。彼自身は、弓製作者ではなくバイオリン製作者でした。しかし、彼は弓を重視し、弓の性能向上のために数々の工夫をしました。彼自身は一切製作せず、発案した物の製作は工房の優秀な職人達にさせていました。彼の工房で生み出した弓の中で特に卓越したものは「腕の延長」のようである評され、彼の研究や発案が当時いかに先進的なものであったかを示しています。


種類 VC Bow
GVO-0001
ラベル VOINSON JACQUOT
製作地 FRENCH PARIS
価格 応談

VOINSON工房のVOINSON JACQUOT、2009年作です。良い材料を使用し、優れた技術によるしっかりとした作りです。さすが弓の国フランスだと思わせる品質。良く鳴ります。
比較的手頃な価格で提供できます。この価格帯では素晴らしい品質と性能の弓です。
この工房の弓は、恐らく日本初入荷だと思います。お問合せはお早めに。
なお、バイオリン弓、ビオラ弓も近日中に入荷予定です。

証明書はこちら

※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。



Jean Pierre Voinson(ジャン・ピエール・ヴォアンソン)
ミルクールを拠点に活躍する弦楽器製作者です。
1975年にミルクールで弦楽器製作を学んだ後、別の工房で働きました。そこで彼は、フランスの伝統的四重奏のための弦楽器製作に熟達しました。1993年、修行で得た豊かな経験を基に、ミルクールのすぐ近くにあるヴィッテル(Vittel)で自身の最初の工房を開きました。
1999年からミルクールに工房を構えています。

左:Jean Pierre Voinson氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)

ちなみに、フランスでは弦楽器製作職人を「Luthier(リュティエール)」、弓製作専門職人を「Archetier(アルシュテール)」と正式に呼びます。
弦楽器製作職人で弓も製作する人は多くいますが、工房サイトや名刺・書類等に表記された称号を見れば、どちらが専門かどうかはすぐにわかります。ヴォアンソンは弦楽器製作職人で、弓も製作しています。

VOINSON工房公式サイト
同上
VOINSON工房の紹介動画(仏語)


種類 VC Bow

ラベル LOUIS BAZIN
製作地 FRENCH PARIS
価格 応談