| 最終更新日:2008.11.17 |
|
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||
楽器ひとくちメモ: VIGNERON |
|||||||||
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||
証明書はこちら 楽器ひとくちメモ: VOIRIN |
|||||||||
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||
短めで弾きやすく良い弓をお探しの方、小柄な方や女性にお薦め。 |
|||||||||
|
![]() |
||||||||
| セミオールドの分数弓で現存するものは珍しいです。状態は良好。オールド楽器に相応しい弓をお探しの方にもお薦め。 | |||||||||
|
![]() ![]() |
||||||||
弓製作の巨匠フランソワ・トゥルテ(1748−1835)と双璧をなすドミニク・ペカット(1810−1874)の作品です。状態は良好。世界中のプロ奏者があこがれる名品です。 証明書付 |
|||||||||
|
![]() ![]() |
||||||||
| ユージン・ニコラス・サルトリ(1871-1946)のオリジナルです。パーフェクトな状態の逸品です。これほどの状態のものはまずありません。 証明書はこちら 楽器ひとくちメモ: SARTORY |
|||||||||
|
![]() |
|
![]() ![]() |
||||||||||
| 珍しい7/8用の弓です。小ぶりなバイオリンに合う良い弓をお探しの方にお薦め。 DODDについてはこちら |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| P.GUILLAUMEのシルバーの中でもゴールドに近い性能のものです。P.GUILLAUMEのオリジナルケースをお付けします。 ※下段のケース写真をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
P.GUILLAUMEゴールドの新作(2006年)です。この価格でお出しできる最後の1本になりました。お早めにお問合せください。 |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
C.N.BAZIN(チャールス・ニコラス・バザン 1847-1915)の作品です。バザンは19世紀中頃から20世紀初頭にかけて活躍した製作者です。 証明書付 |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| 証明書付 | |||||||||||
|
![]() |
||||||||||
![]() |
|||||||||||
1910年頃にH.R.PFRETZSHNERが製作したPECCATTEモデルです。PECCATTEのオリジナルではないためこの価格でご提供できますが、PFRETZSHNERの卓越した技術により巧みに作られており、非常に優れたものです。 証明書あり ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 Hermann Richard PfretzschnerはMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。 1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。 現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。 "H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
|
|||||||||||
| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 | |||||||||||
![]() 所用で東京藝術大学教授・浦川宜也氏を訪問させていただいた折、試奏していただきました。 浦川宜也氏の感想 「フレッチナー作と言われなければ、ペカットのオリジナルで十分通用するかも知れない。素晴らしい弓だ」 ※バイオリンは浦川氏の愛器です。 浦川宜也氏の経歴はこちら |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 | |||||||||||
![]() 当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。 浦川宜也氏の感想 「この価格帯のものでは非常に良い弓だと思う」 浦川宜也氏の経歴はこちら |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| ドイツの有名メーカのものです。 | |||||||||||
| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 | |||||||||||
![]() 当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。 浦川宜也氏の感想 「しっとりとした良い感じの音が出る。スティックのコシもしっかりしている」 浦川宜也氏の経歴はこちら |
|||||||||||
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| 八角弓。ビオラ弓としては軽めで、弾力がある良い弓です。 | |||||||||||
|
![]() |
||||||||
![]() |
|||||||||
LUIS MORIZOTのオリジナルです。重量が68.6gとビオラ弓としてはやや軽めで、バランスが良く弾きやすい作品です。粘りのある音を出せます。弓によってこれだけ音が変わるのかと思わせてくれる逸品。女性の方にもお薦め。※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 LUIS MORIZOT(1874-1957):弓製作の巨匠ユージン・サルトリに師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。 RAFFINの証明書あり |
|||||||||
|
![]() |
||||||||||
| 非常に良い状態です。フロッグ等の金具がゴールドで、美しい外見の弓です。 | |||||||||||
| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 | |||||||||||
![]() 当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。 浦川宜也氏の感想 「少し軽めだ。女性に向いていると思う」 浦川宜也氏の経歴はこちら |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||
1855年、FRENCH・MIRECOURT製軽めで腰があり状態が良い弓をお探しの方にお薦め。これほどの弓は滅多に見つかりません。ロンドンの有名ディーラ・ANDREAS WOYWODの正式な証明書付です。 証明書はこちら 楽器ひとくちメモ: VIGNERON |
|||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||
| Prellはドイツ人ですが、サルトリの工房でも仕事をしていました証明書はフランス製になっておりサルトリの特徴を持っていますが、Prellの刻印が残っている非常に珍しい弓で価格も手頃です。質的にはサルトリと同等品です。 証明書はこちら |
|||||||||
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| アンサンブル金沢首席チェロ奏者 ルドヴィート・カンタ氏の感想 | |||||||||||
![]() 2004年製。 カンタ氏の感想 「フレンチ弓の新作としては、とても良いです」 証明書付 |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||
ドイツの優良メーカの近作です。良い材料を使用しており、バランスが非常に良い弓です。この価格帯では完璧と言ってよい作品です。
|
|||||||||
|
![]() |
||||||||
このメーカとしては珍しく銀糸を使用。チップはシルバーで高級感あふれる仕上になっています。非常に良い材料を使用しており、とても弾き易い弓です。 |
|||||||||
| チェロ奏者 ダニエル・クネアー氏の感想 | |||||||||
![]() 当社へ遊びに来られたドイツのプロチェロ奏者、ダニエル・クネアー氏に試奏していただきました。 クネアー氏の感想 「非常に好きな弓です。素晴らしいと思う」 |
|||||||||
|
![]() |
||||||||||
H.R.PFRETZSHNERの1930年頃の作品です。状態が非常に良いです。バランスが良く軽くて弾き易いので、女性や小柄な方にお薦めです。古い弓で状態が良く手頃な価格のものをお探しの方にお薦め。お問合せはお早めに。 ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 証明書はこちら Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。 1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。 現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。 "H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
|
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
現代の名工Pierre Guillaume氏による逸品です。卓越した技術を駆使し一本一本丁寧に仕上げているものです。オールドの名品と比較しても遜色ありません。良い弓をお探しの方に自信を持ってお薦めします。GUILLAUMEの専用ケース(下画像)付き。
Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison Bernardの工房を引継ぎました。 現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。 また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。 彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。
|
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
H.R.PFRETZSHNERが製作したものです。Hermann Richard Pfretzschner がJ.B.Vuillaumeの工房で修行していた時、同じ工房にFrancois Nicolas Voirinがいました。PfretzschnerはVoirinの卓越した技術だけではなくその人格にも深い感銘を覚えました。その尊敬の念を込めて、Voirinの了承の下、彼の名前で作成したもので、知る人ぞ知る有名な弓です。 証明書付 ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 Francois Nicolas Voirin(フランシス・ニコラ・ヴォアラン、1833-1885)はJ.B.Vuillaume(Jean Baptiste Vuillaume、1798-1875)の従兄弟で、パリにあったVuillaumeの工房で指導的役割を担っていました。Charles Francois Peccatteに対する指導やJoseph Alfred Lamyとの師弟関係など、弓製作の歴史でも重要な役割を果たしました。 楽器ひとくちメモ: VOIRIN |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
![]() |
|||||||||||
Ewald Weidhaas(エヴァルト・ヴァイドバス)の1900年から1920年頃の作品です。軽めでバランスが良く弾き易い弓です。女性や小柄な方にお薦め。状態良好です。 証明書あり ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。 Paul Weidhaas (1894-1962) 父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。 Siegfried Finkel(1927-) 1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。 四代目Johannes S.Finkel(1947-)は父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 参考:「Deutsche Bogenmacher」他
|
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
![]() |
|||||||||||
REICHEL(ライヒェル)のワークショップ作品で、1800年代のものです。状態は良好です。軽めでバランスが良く弾き易いので、女性や小柄な方にお薦め。 証明書あり ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
![]() |
|||||||||||
| 1970年頃の作品です。良い材料を使用しており、完璧な状態です。スティックの断面は八角形で底面が若干広め、PFRETZSHNERオリジナルの形態です。 特別価格でご提供します。この価格帯のものをお探しの方はお早めにお問合せください。 証明書あり ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。 1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。 現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。 "H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
|
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
| 1968年頃の作品です。良い材料を使用しています。重量は約81gで標準的なものです。状態は極めて良好です。この年代でこれだけ良い状態のものとしては破格の価格でご提供できます。お問合せはお早めに。 Johannes O.Paulusの仕事はMarkneukirchenの伝統的な作風に準じたものです。彼の弓には通常「JOHS.O.PAULUS」と刻印され、その前後に品質を示す星印があります。フロッグには羽を拡げた鷲の印章と彼の名前が刻印されています。また銀製のリング等に別の印章が刻印されているのも特徴です。 ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 PAULUSはドイツ・マルクノイキルヘン(Markneukirchen)の弓工房です。現在に至るまでPAULUS一族四代によって受け継がれてきました。 弓製作者としての初代Otto Paulusは1891年にMarkneukirchenの楽器工場を営む家に生まれました。彼は弓製作を専門に学び、6年間の修行期間中、August Rau(1866-1925) より高度で貴重な知識を得ました。その後、1923年には自身の会社を興し、1948年にマイスター試験に合格しました。 二代目Johannes O.Paulusは1916年生まれ。父親から弓製作の指導を受け、1930年から1934年までの間、MarkneukirchenのC.A.Schuster※工房で弓製作を学びました。修行を終えたJohannes O.Paulusは、第二次世界大戦で召集された後に捕虜となった長い中断を挟みながら、C.A.Schuster工房で働き続けました。捕虜生活から解放された後、彼はC.A.Schuster工房に復帰し、工房が閉鎖される1955年まで働きました。1950年、彼はMarkneukirchenの弓製作でのマイスター試験を全てパスしました。1955年にC.A.Schuster工房が閉鎖された時、彼と彼の父親はC.A.Schuster工房の部屋を引き継ぎ、彼ら自身のブランドで自分達の工房を始めました。Johannes O.Paulusは実績を評価され「Anerkannter Kunstschaffender」という称号を与えられました。本来の仕事に加え、彼はMarkneukirchenの弓製作マイスター試験の審査委員会メンバーでもありました。78歳で第一線からは引退しましたが、息子Gunter A. Paulusへの指導を続けました。 三代目Gunter A. Paulus(1949-2006)は幼少時から弓製作者に憧れ、父の的確な指導を受けました。1972年にマイスター試験に合格、1973年まで父の工房で働き、その後独立しました。 四代目Jens Paulusは1970年生まれ。彼もまた先代に習い弓製作者の道を歩みました。彼は父に弟子入りし、1992年に弓製作マイスター試験をパスしました。2000年から、Gunter A. PaulusとJens Paulusの親子で工房を続けていまたが、2006年にGunter A. Paulusが死去。現在は四代目Jens Paulusが工房を引き継ぎ活躍しています。 参考:「Deutsche Bogenmacher 1945-2000」他
|
|||||||||||
|
![]() |
|
![]() |
||||||||||
|
![]() |
||||||||||
![]() |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
1970年頃の作品で比較的新しいものです。良い材料を使用しています。 Johannes O.Paulusの仕事はMarkneukirchenの伝統的な作風に準じたものです。彼の弓には通常「JOHS.O.PAULUS」と刻印され、その前後に品質を示す星印があります。フロッグには羽を拡げた鷲の印章と彼の名前が刻印されています。また銀製のリング等に別の印章が刻印されているのも特徴です。 今回は特別にお手頃な価格でご提供します。お問合せはお早めに。 ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 PAULUSはドイツ・マルクノイキルヘン(Markneukirchen)の弓工房です。現在に至るまでPAULUS一族四代によって受け継がれてきました。 弓製作者としての初代Otto Paulusは1891年にMarkneukirchenの楽器工場を営む家に生まれました。彼は弓製作を専門に学び、6年間の修行期間中、August Rau(1866-1925) より高度で貴重な知識を得ました。その後、1923年には自身の会社を興し、1948年にマイスター試験に合格しました。 二代目Johannes O.Paulusは1916年生まれ。父親から弓製作の指導を受け、1930年から1934年までの間、MarkneukirchenのC.A.Schuster※工房で弓製作を学びました。修行を終えたJohannes O.Paulusは、第二次世界大戦で召集された後に捕虜となった長い中断を挟みながら、C.A.Schuster工房で働き続けました。捕虜生活から解放された後、彼はC.A.Schuster工房に復帰し、工房が閉鎖される1955年まで働きました。1950年、彼はMarkneukirchenの弓製作でのマイスター試験を全てパスしました。1955年にC.A.Schuster工房が閉鎖された時、彼と彼の父親はC.A.Schuster工房の部屋を引き継ぎ、彼ら自身のブランドで自分達の工房を始めました。Johannes O.Paulusは実績を評価され「Anerkannter Kunstschaffender」という称号を与えられました。本来の仕事に加え、彼はMarkneukirchenの弓製作マイスター試験の審査委員会メンバーでもありました。78歳で第一線からは引退しましたが、息子Gunter A. Paulusへの指導を続けました。 三代目Gunter A. Paulus(1949-2006)は幼少時から弓製作者に憧れ、父の的確な指導を受けました。1972年にマイスター試験に合格、1973年まで父の工房で働き、その後独立しました。 四代目Jens Paulusは1970年生まれ。彼もまた先代に習い弓製作者の道を歩みました。彼は父に弟子入りし、1992年に弓製作マイスター試験をパスしました。2000年から、Gunter A. PaulusとJens Paulusの親子で工房を続けていまたが、2006年にGunter A. Paulusが死去。現在は四代目Jens Paulusが工房を引き継ぎ活躍しています。 参考:「Deutsche Bogenmacher 1945-2000」他
|
|||||||||||
|
![]() |
||||||||||
![]() |
|||||||||||
| 1970年頃の作品です。軽めなので女性や小柄な方にお薦め。スティックの断面が角棹で、こしがしっかりしています。状態は完璧です。この価格帯でこれだけのものはありません。お問合せはお早めに。 ※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 DOLLING(デューリング)一族は弦楽器製作から出発しましたが、現在に至るまで四代、100年を超えて続いている弓メーカーとして高い名声を得ています。 1898年、Otto Dolling (1878-1966)が弓工房を始めました。二人の息子Kurt Dolling (1902-1952) とHeinz Dolling (1913-2001)は父の工房で修行しまいsた。 1947年にマイスター試験に合格したHeinz Dollingは彼自身の工房をMarkneukirchenに近いWernitzgrunで立ち上げ、1965年にErlbachへ移りました。 Heinz Dollingの息子Heinz Bernd Dolling(1942-)は1959年から1961年までの間、父Heinz Dollingより弓製作を学び、1972年にマイスター試験に合格しました。彼は、1985年にWernitzgrunで自分の工房を開くまで、Erlbachの父の工房で働きました。 Bernd Dollingは息子Michael Dolling(1968-、父の工房で修行し1992年にマイスター試験合格)とともに現在も製作活動を続けています。 1998年、Heinz Bernd Dollingと父Heinz、息子Michaelは、Dolling一族の弓製作100周年記念を祝いました。Heinz Bernd Dollingと息子Michaelは記念として、フロッグに彼ら三人の写真を埋め込んだ特別品を100本作成しました。 DOLLINGの作風はTourte、Voirin、Sartoryなどフランスの巨匠達にならったものですが、KnopfやBauschなどドイツメーカーの作風も引き継いでいます。その作品は高い評価を受けており、David Oistrach、Yehudi Menuhin、Ruggiero Ricci、Erkki Rautioなど超一流の演奏家がHeinz Dollingの弓を使用しました。また、Bernd Dollingはベース奏者Ludwig Streicherと長年に渡り友情関係を保っています。 参考:「Deutsche Bogenmacher」他
|
|||||||||||
| 以下4本のフレンチBASS Bowについて高騰前の旧レートでご提供します。お手頃な価格のフレンチBOWをお探しの方にお薦め。お問合せはお早めに。 |
|
|
|
|