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| 最終更新日:2010.02.24 |
| ストラディ金沢お薦めの弓です。 |
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| 種類 |
Vn Bow |
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JPN-1467 |
| ラベル |
P.GUILLAUME(G) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GDA-1164 |
| ラベル |
S.T.KUHNLA(S) |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GDA-1162 |
| ラベル |
S.T.KUHNLA(G) |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GDA-1160 |
| ラベル |
A.VIGNERON |
| 製作地 |
FRENCH |
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楽器ひとくちメモ:
VIGNERON |
| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1081 |
| ラベル |
F.PECCATIE |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GAN-1111 |
| ラベル |
E.SARTORY |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GPA-1139 |
| ラベル |
E.SARTORY |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-0054 |
| ラベル |
W.E.HILL |
| 製作地 |
ENGLISH |
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| 種類 |
Vn Bow |
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JPN-0058 |
| ラベル |
F.N.VOIRIN |
| 製作地 |
FRENCH |
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証明書はこちら
楽器ひとくちメモ:
VOIRIN |
| 種類 |
Vn Bow |
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GAN- |
| ラベル |
NURNBERGER |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1102 |
| ラベル |
ALBERT.NURNBERGER |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1103 |
| ラベル |
JAMES.TUBBS |
| 製作地 |
LONDON |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1104 |
| ラベル |
PFRETZSCHNER |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1105 |
| ラベル |
ALBIN HUMES |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1106 |
| ラベル |
OLD GERMAN |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1107 |
| ラベル |
BUILLAUME |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vn Bow |
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GAN- |
| ラベル |
DODD |
| 製作地 |
ENGLAND |
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| 種類 |
Vn Bow 4/4 |
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| ラベル |
P.GUILLAUME
(ゴールド) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
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| 種類 |
Vn Bow 4/4 |
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| ラベル |
P.GUILLAUME
(シルバー) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
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| 種類 |
Vn Bow 4/4 |
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| ラベル |
A.LAMY |
| 製作地 |
FRENCH |
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短めで弾きやすく良い弓をお探しの方、小柄な方や女性にお薦め。 |
| 種類 |
Vn Bow 3/4 |
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| ラベル |
(ノーラベル)
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| 製作地 |
GERMANY |
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| セミオールドの分数弓で現存するものは珍しいです。状態は良好。オールド楽器に相応しい弓をお探しの方にもお薦め。 |
| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1124 |
| ラベル |
DOMINIQUE PECCATTE |
| 製作地 |
FRENCH |
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弓製作の巨匠フランソワ・トゥルテ(1748−1835)と双璧をなすドミニク・ペカット(1810−1874)の作品です。状態は良好。世界中のプロ奏者があこがれる名品です。
証明書付 |
| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1123 |
| ラベル |
EUGENE NICOLAS SARTORY |
| 製作地 |
FRENCH |
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ユージン・ニコラス・サルトリ(1871-1946)のオリジナルです。パーフェクトな状態の逸品です。これほどの状態のものはまずありません。
証明書はこちら
楽器ひとくちメモ:
SARTORY
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1125 |
| ラベル |
CH.PECCATTE SCHOOL |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vn Bow 7/8 |
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GST-1129 |
| ラベル |
DODD LONDON |
| 製作地 |
ENGLAND |
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珍しい7/8用の弓です。小ぶりなバイオリンに合う良い弓をお探しの方にお薦め。
DODDについてはこちら |
| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
P.GUILLAUME
(ゴールド) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
840,000円
(税抜800,000円) |
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
P.GUILLAUME
(シルバー) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
787,500円
(税抜750,000円) |
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P.GUILLAUMEのシルバーの中でもゴールドに近い性能のものです。P.GUILLAUMEのオリジナルケースをお付けします。
※下段のケース写真をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack
Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison
Bernardの工房を引継ぎました。
左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載) |
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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JPN-2467 |
| ラベル |
P.GUILLAUME
(ゴールド) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
840,000円
(税抜800,000円) |
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P.GUILLAUMEゴールドの新作(2006年)です。この価格でお出しできる最後の1本になりました。お早めにお問合せください。
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1139 |
| ラベル |
C.N.BAZIN |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
630,000円
(税抜600,000円) |
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C.N.BAZIN(チャールス・ニコラス・バザン 1847-1915)の作品です。バザンは19世紀中頃から20世紀初頭にかけて活躍した製作者です。
証明書付
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1140 |
| ラベル |
HILL |
| 製作地 |
ENGLAND |
| 価格 |
472,500円
(税抜450,000円) |
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証明書付 |
| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1161 |
| ラベル |
PECCATTE BY
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
1,050,000円
(税抜1,000,000円) |
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1910年頃にH.R.PFRETZSHNERが製作したPECCATTEモデルです。PECCATTEのオリジナルではないためこの価格でご提供できますが、PFRETZSHNERの卓越した技術により巧みに作られており、非常に優れたものです。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Hermann Richard PfretzschnerはMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
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| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 |

所用で東京藝術大学教授・浦川宜也氏を訪問させていただいた折、試奏していただきました。
浦川宜也氏の感想
「フレッチナー作と言われなければ、ペカットのオリジナルで十分通用するかも知れない。素晴らしい弓だ」
※バイオリンは浦川氏の愛器です。
浦川宜也氏の経歴はこちら |
| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1160 |
| ラベル |
J.B.VUILLAUME |
| 製作地 |
PARIS |
| 価格 |
1,260,000円
(税抜1,200,000円) |
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J.B.VUILLAUMEのオリジナルで1890年頃の作品です。重厚でクリアな音、指に伝わる独特の振動など、J.B.VUILLAUMEの特色がよくわかるもので、逸品です。
円高ピーク時に入手したため、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875) 1798年ミルクール生まれ。父Claude
Francoisはバイオリン製作者でした。当時の例に漏れず少年時代に徒弟に入り弓をはじめとする楽器製作の修行を始めました。20歳の頃にパリに出て楽器職人としてNicolas
Antoine
Leteの店で雇われました。その後、頭角を現し、1823年に彼の作ったバイオリンがコンクールで入賞しました。その頃、彼は弓に注目し研究し始めたようです。ほどなくして、Jean
Pierre Marie PersoitやDominique Peccattと共に働き始めました。
1827年、Leteから独立して工房を構えました。
彼がフランスの弓製作史において果たした役割が極めて大きいという点では異論がないところでしょう。彼自身は、弓製作者ではなくバイオリン製作者でした。しかし、彼は弓を重視し、弓の性能向上のために数々の工夫をしました。彼自身は一切製作せず、発案した物の製作は工房の優秀な職人達にさせていました。彼の工房で生み出した弓の中で特に卓越したものは「腕の延長」のようである評され、彼の研究や発案が当時いかに先進的なものであったかを示しています。 |
| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
BAUSCH SCHOOL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 |

当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。
浦川宜也氏の感想
「この価格帯のものでは非常に良い弓だと思う」
浦川宜也氏の経歴はこちら |
| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
NURNBERGER |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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| ドイツの有名メーカのものです。 |
| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 |

当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。
浦川宜也氏の感想
「しっとりとした良い感じの音が出る。スティックのコシもしっかりしている」
浦川宜也氏の経歴はこちら |
| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
NURNBERGER SCHOOL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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重量は61.5gで標準的です。こしのある良い材料を使用しています。状態良好。
証明書はこちら(添付画像)
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
MILLANT |
| 製作地 |
PARIS |
| 価格 |
315,000円
(税抜300,000円) |
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Bernard Millantの1998年頃の作品です。現代フレンチ弓の第一人者による近作。こしがあって弾きやすく、良い弓です。状態もパーフェクト。
この内容のMillant製弓で、お手頃な価格でご提供できるのものは珍しいです。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Bernard Millant(1929-、ベルナルド・ミラン)
Jean Jacques Millantの従弟。父であるMax Millantは弦楽器製作者で、叔父Roger Millantとともにパリで活動していました。
Mirecourtで修行し、MORIZOT工房でも弓製作を学びました。従兄であるJean Jacques
Millantの死後、フレンチ弓製作の第一人者として今も活躍しています。卓越した弓製作者としてだけでなく、フレンチ弓の権威ある鑑定者としても有名です。
Jean Jacques Millant(1928-1998、ジャン・ジャック・ミラン)
1928年、パリ生まれ。父Roger Millantはパリに工房を持つ弦楽器製作者でした。1946年から1948年までの2年間、MirecourtのMORIZOT工房で修行しました。修行後にパリへ戻り1950年頃まで、父の工房で叔父Max
Millanとともに働きました。その後、パリで独立。1970年、フランス最優秀職人賞(「Un
de Meilleurs Ouvriers de France」)を受賞。その後、同賞の審査員を務めました。1998年、69歳で逝去。
Dominique Peccatteスクールの有力な弓製作者で、20世紀フランスを代表する名工の一人でした。従弟のBernard
Millantと同スタイルである「Millant」ラベルの弓を製作しました。
フレンチ弓の優れた技術を継承するとともに、独自の工夫による材料の選択・重さ・強さ・柔軟性の絶妙なコンビネーションでPeccatteの名品に匹敵するものを製作しました。近年まで活躍していたこともあり、その弓を愛用しているプロ演奏家は少なくありません。彼は20世紀後半で最も偉大な弓製作者として評価されています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
J.S.FINKEL |
| 製作地 |
BRIENZ |
| 価格 |
315,000円
(税抜300,000円) |
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Johannes S.Finkel(J.S・フィンケル)氏の2004年作です。当社で毛替済。完璧な状態です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried
Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam
Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 |
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
Vn Bow3/4 |
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| ラベル |
HARTMUT KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
241,500円
(税抜230,000円) |
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KNOLL社の当代Hartmut Knoll氏製作の3/4用弓です。分数3/4用弓で良いものをお探しの方にお薦め。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。
左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載) |
Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。
Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred
Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。
Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1162 |
| ラベル |
R.WEICHOLD |
| 製作地 |
GERMANY DRESDEN |
| 価格 |
応談 |
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1880年頃の作品。卓越した技術を持ち、Tourteなどフレンチ弓の名品にも匹敵するものを作った工房の作品です。状態良好。
証明書はこちら
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
August Richard Weichold(リヒャルト・バイコルト、1823-1902)
August Richard Weicholdは、1823年生まれ。父親はDresdenで弦楽器工房を構えていたAugust Friedrich Weichold(1800-1862)です。August Richard WeicholdはMarkneukirchenでCarl G.Pfretzschenerに師事し弦楽器製造を学びました。パリ周辺まで旅行した修行遍歴の時代(彼は、旅先で・・・の生徒としばしば自称しました)を経て、彼はDresdenの父の工房に戻りました。
父August Friedrich Weicholdは、その工房をRampischen Gasseで1834年に開きました。移転する1850年までの工房第一期より、彼は弓製作者として記録されています。しかし残念ながら、弓の作例は確認されていません。1851年、August Friedrich WeicholdはSachsen教会の正式弦楽器製作者の称号を得ました。
1859年にAugust Richard Weicholdが父の工房を引き継ぎ、1862年に父が亡くなった後には父の地位も継承しました。
1860年頃から1890年までに製作された弓には「A.R.WEICHOLD DRESDEN.」の刻印があります。これらの弓はTourteモデルに基づいていますが、Weichord工房が外に外注したか、あるいは工房で働いていた別の職人が作ったと明らかに認められるものもあります。
1882年、August Richard Weicholdは健康上の理由で製作現場から退き、後に工房を継承するLiebhold Meyerに経営を任せました。この後、工房は「Richard Weichold」の名前で登録されました。同時期以降、作品の多くに「R.WEICHOLD DRESDEN und TOURTE IMITATION」の刻印が押されるようになりました。
1893年、Liebhold Meyerは工房の商権をMarkneukirchenの楽器商August Paulusに売りました。1903年にAugust Richard Weicholdが亡くなると、供給元(Hoflieferant)のタイトルも継承しました。1891年までに工房はPrager通りに移転し、1945年に第二次世界大戦の爆撃(戦争末期に連合国軍によって為された無差別爆撃。これによりドレスデンの街は徹底的に破壊され多くの市民が亡くなりました)で破壊されるまで、その地にありました。
「Richard Weichold Dresden」ブランドのビジネスはAugust Paulusに引き継がれ成功をおさめました。Weicholdブランドは1932年にAugust Paulusの息子Rudolf Paulusが引き継がれ、1945年に工房が灰燼に帰すまで使われました。
Richard Weicholdが作成したTourteモデル弓は、19世紀末のドイツ製では最も優れたものの一つとして高く評価されていました。最高傑作とされるものはTourteの名品に迫るとまで言われたようです。残念ながら現存するものは多くありません。
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1126 |
| ラベル |
C.N.BAZIN |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
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C.N.BAZIN(チャールス・ニコラス・バザン 1847-1915)工房の1900年頃の作品です。部品も含め全てオリジナルのままです。状態は完璧。明るいクリアな音がします。
証明書はこちら
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
W.E.HILLS&SONS |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
応談 |
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HILL最高ランクの弓です。スティックの断面は八角形。パーツは全てオリジナルです。状態は非常に良いです。
比較的お手頃な価格でご提供できますので、お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
| Arthur Scarbrow(?-?) |
チップ底面に数字の0 |
| Arthur Copley (1903-1976) |
チップ底面に数字の1 |
| Edgar Bishop (1904-1943) |
チップ底面に数字の2 |
| Albert Leeson (1904-1946) |
チップ底面に数字の3 |
| Leslie Bailey (1919-?) |
チップ底面に数字の4 |
| Arthur J Barnes (1888-1945) |
チップ底面に数字の5 |
| Arthur Bultitude (1908-1990) |
チップ底面に数字の6 |
| William Watson (1930-) |
チップ底面に数字の7 |
| Malcolm M Taylor(?-?) |
チップ底面に数字の8 |
| Arthur Brown(?-?) |
チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX |
| William C Retford (1875-1970) |
チップ底面に点が1つ |
| William R Retford (1899-1960) |
チップ底面に点が2つ |
| Frank Napier (1884-?) |
チップ底面に三つ葉模様 |
| Sydney Yeoman (1876- 1948) |
ヘッド接合面の下部に1本の刻み目 |
| Charles Leggatt (1880-1917) |
ヘッド接合面の中央に二本の刻み目 |
| William G Johnston (1860-1944) |
ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目 |
| Sam Allen (1838-? ) |
印無し |
| William Napier (1848-1932) |
メーカ名刻印無し |
| James Tubbs (1835-1921) |
W E Hillの刻印(二つあるものも見られる) |

チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。 |

スティック下面の刻印。
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| ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
J.ALFRED.LAMY |
| 製作地 |
PARIS |
| 価格 |
応談 |
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JOSEPH ALFRED LAMYの1910年頃の作品です。息子GEORGE LEON LAMYと共同で製作したものと思われます。状態は完璧。こしがしっかりしており、良い弓です。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。
Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。
Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。
Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
LAMY |
| 製作地 |
PARIS |
| 価格 |
応談 |
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JOSEPH ALFRED LAMYの甥にあたるALFRED LAMYの1920年頃の作品です。重さが59.5gで少し軽めです。女性や小柄な方にお薦め。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。
Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
HILL |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
応談 |
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刻印はありませんが、W.E.HILL&SONS工房の1930年から1940年頃の作品です。状態は完璧。重さは60.5gで標準的、スティックの断面は八角形。どの楽器にも素直に応じてくれる素晴らしい弓です。
リーズナブルな価格でご提供できます。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
| Arthur Scarbrow(?-?) |
チップ底面に数字の0 |
| Arthur Copley (1903-1976) |
チップ底面に数字の1 |
| Edgar Bishop (1904-1943) |
チップ底面に数字の2 |
| Albert Leeson (1904-1946) |
チップ底面に数字の3 |
| Leslie Bailey (1919-?) |
チップ底面に数字の4 |
| Arthur J Barnes (1888-1945) |
チップ底面に数字の5 |
| Arthur Bultitude (1908-1990) |
チップ底面に数字の6 |
| William Watson (1930-) |
チップ底面に数字の7 |
| Malcolm M Taylor(?-?) |
チップ底面に数字の8 |
| Arthur Brown(?-?) |
チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX |
| William C Retford (1875-1970) |
チップ底面に点が1つ |
| William R Retford (1899-1960) |
チップ底面に点が2つ |
| Frank Napier (1884-?) |
チップ底面に三つ葉模様 |
| Sydney Yeoman (1876- 1948) |
ヘッド接合面の下部に1本の刻み目 |
| Charles Leggatt (1880-1917) |
ヘッド接合面の中央に二本の刻み目 |
| William G Johnston (1860-1944) |
ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目 |
| Sam Allen (1838-? ) |
印無し |
| William Napier (1848-1932) |
メーカ名刻印無し |
| James Tubbs (1835-1921) |
W E Hillの刻印(二つあるものも見られる) |

チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。 |

スティック下面の刻印。
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| ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
LEON PIQUE |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
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LEON PIQUEの刻印がある1910年から1920年頃の作品です。Mirecourutで作られたものだと思われます。重量は60.5gで標準的。どの楽器にも順応します。良いフレンチ弓をお手頃な価格でお探しの方にお薦め。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
E.SARTORY PARIS |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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E.SARTORY PARISの刻印がありますが、ドイツ製で1920年頃の作品です。状態はパーフェクト。少し軽めなので、女性や小柄な方にお薦め。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
J.ALFRED.LAMY |
| 製作地 |
PARIS |
| 価格 |
応談 |
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JOSEPH ALFRED LAMYの1900年作です。状態は完璧。こしがしっかりしており、良い弓です。弾きやすく、どの楽器にもマッチしやすく、お薦めです。
比較的お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
Bernard Millant氏による証明書はこちら(Millant氏については下記参照)
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。
Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。
Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。
Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。
Bernard Millant(1929-)
パリで活動する世界的に有名な弓製作者で、Max Millantの息子。ペカットモデルが特に高く評価されており、20世紀フレンチ弓の巨匠Jean Jacques Millant(1928-1998)氏の従弟にあたります。ミルクールのAmedee Dieudonne工房で弦楽器製作を学び、Louis Morizot工房でMorizotの息子達とともに弓製作を学びました。現代フレンチ弓のマエストロ・第一人者として高く評価されています。従兄のJean Jacques Millant氏の作品もそうですが、Bernard Millant氏の作品はプロ演奏家達に支持され、愛用する演奏家が多数います。また、一流フレンチ弓に関する確かな証明書により鑑定家としても高く評価されています。
Jean Jacques Millant(1928-1998)
1928年、パリで生まれました。父親Roger Millantは弦楽器製作者で、パリで自分の工房を持っていました。第二次世界大戦終了後の18歳頃、ミルクールのLouis Morizot工房で2年間ほど修行しました。その後、パリに戻り父親の工房で働き始めました。1951年に独立しパリで工房を開きました。1970年、フランス最優秀職人賞を受賞し、同賞の審査員になりました。20世紀のフレンチ弓を代表する卓越した製作者の一人であり、フレンチの伝統を正当に継承しながらも自らの個性を発揮した優れた作品を残しました。特にペカットモデルが高く評価されています。
■Le Canu Millant公式サイト
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
F.C.NEUVEVILLE |
| 製作地 |
BRIENZ |
| 価格 |
241,500円
(税抜230,000円) |
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F.C.Neuveville氏の作品です。F.C.Neuveville氏はFINKEL工房に関わった名工の一人で、他にJ.M.Luthi、W.Ernst、Markus.Fischerの各氏がおり、作品にそれぞれの名前が刻印されていることが多いようです。
良い材料を使用しており、フロッグはアイボリーです。この価格帯では非常に良い弓です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried
Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam
Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 |
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
KURT DOLLING |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
262,500円
(税抜250,000円) |
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やや硬めで男性的な感じ。濃い音を出せます。このタイプでは状態が非常に良いです。また、フロッグのリングに彫刻がしてある珍しいものです。
お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
●この弓は、雑誌「サラサーテ」Vol.31:2009年12月号の45ページにも掲載されています。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Kurt Dolling(1902-1952)
Otto Dolling(1878-1966)の息子。生涯を通じて父親の工房で働きました。
DOLLING(デューリング)一族は弦楽器製作から出発しましたが、現在に至るまで四代、100年を超えて続いている弓メーカーとして高い名声を得ています。
1898年、Otto Dolling (1878-1966)がDOLLING工房を始めました。Otto Dollingは、弦楽器製作者Hermann Dollingの息子として生まれ、マルクノイキルヒェン(MARKNEUKIRCHEN)のHermann August Monnigの工場で弓製作を学びました。1898年にマルクノイキルヒェンで独立し自分の工房を開きました。彼は老齢に至るまで一人で弓製作を続けましたが、職人を雇っていた時代もありました。
Otto Dollingはたいてい彼独自の形で弓を作りましたが、時々トルテモデルも作りました。もっとも、両方ともに、20世紀初頭のマルクノイキルヒェン派弓製作の特徴が疑いもなく明白に残っていました。彼は、その作品のうちかなりの割合を首尾よくアメリカに輸出しました。
二人の息子Kurt Dolling (1902-1952) とHeinz Dolling (1913-2001)は父の工房で修行しました。 1947年にマイスター試験に合格したHeinz Dollingは彼自身の工房をMarkneukirchenに近いWernitzgrunで立ち上げ、1965年にErlbachへ移りました。一方、兄、Kurt Dollingは生涯に渡って父親と一緒に働きました。
Heinz Dollingの息子Heinz Bernd Dolling(1942-)は1959年から1961年までの間、父Heinz Dollingより弓製作を学び、1972年にマイスター試験に合格しました。彼は、1985年にWernitzgrunで自分の工房を開くまで、Erlbachの父の工房で働きました。
Heinz Bernd Dollingは息子Michael Dolling(1968-、父の工房で修行し1992年にマイスター試験合格)とともに現在も製作活動を続けています。
1998年、Heinz Bernd Dollingと父Heinz、息子Michaelは、Dolling一族の弓製作100周年記念を祝いました。Heinz
Bernd Dollingと息子Michaelは記念として、フロッグに彼ら三人の写真を埋め込んだ特別品を100本作成しました。
DOLLINGの作風はTourte、Voirin、Sartoryなどフランスの巨匠達にならったものですが、KnopfやBauschなどドイツメーカーの作風も引き継いでいます。その作品は高い評価を受けており、David Oistrach、Yehudi Menuhin、Ruggiero Ricci、Erkki Rautioなど超一流の演奏家がHeinz Dollingの弓を使用しました。また、Bernd Dollingはベース奏者Ludwig Streicherと長年に渡り友情関係を保っています。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
■DOLLING工房の公式サイト(独語・英語)
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| 種類 |
Vn Bow 1/2 |
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| ラベル |
VINCENT |
| 製作地 |
FRENCH LYON |
| 価格 |
応談 |
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JEAN FRANCOIS DABER工房のVINCENT(Franck Vincent)シリーズで、2005年ぐらいの作品です。フレンチの1/2弓は国内では珍しいです。良い弓なので、コンクール出場を目指すお子様にお薦め。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jean Francois Daber(ジャン・フランソワ・ダベール)
ダベール工房は、Jean Schmittによって1981年に創業されたリヨンの弓メーカです。現在はVincent TricouとGilles Sauraisによって率いられています。
世界中の最も優秀な演奏家達が自身の芸術的感性の最も深い部分を表現し、また彼らの楽器から最高のものを引き出すことを支援できるよう二人は目指しています。工房は、経験豊富な弓メーカと職人達のチームが持つ技術力により高く評価されています。
Vincent Tricouは、現代フランスで最も優れた弓製作者の一人です。彼は1981年にダベール工房で弓製作のの道へ入り、18年間に渡り職人チームを指導してきました。その後、彼は独立し自らの工房を開きました。現在は、ダベール工房に戻って働いています。彼は、量産と品質の双方は、フランチ弓製作の伝統による最も過酷な基準に直面すると見なしています。彼は卓越した弦楽器奏者でもあり、ありとあらゆる弓を自ら試し、演奏家の需要を確実に満たせるように調整します。ソリストに用いられる弓の場合、彼は弓の音響的特性と、素晴らしい楽器本体に一体化させる方法について特別の注意を払います。
Gilles Sauraisは、工房経営の重役の地位にあり、会社の顧客管理を担当し、ダベール工房製品を弦楽器メーカが販売促進する際の支援をしています。彼は弦楽器メーカの名匠達と会う一方、オーダメードの弓を入手したがっている演奏家達にも会います。また、彼は全ての原料仕入先管理も担当し、工房が発注したもので最上級のもののみを確実に仕入れるようにしています。彼は、木材の選択で吟味を重ねています。
タベール工房の弓には以下に記す4つのシリーズがあり、入門者向け製品からソリストレベルの最上級者製品まで提供しています。
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Franck Vincent
Nicolas Delaune
Jean-Francois Daber
Jean-Francois Daber - Vincent Tricou |
■JEAN FRANCOIS DABER工房の公式サイト
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
FRANCOIS LOTTE |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
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Francois Lotteの晩年、1960年頃の作品。バランスが良く、どの楽器にも合う万能性のある弓です。スティックの断面は八角形です。
お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Francois Lotte(1889-1970、フランシス・ロッテ)
ミルクール生まれ。父Georges Lotteは弦楽器製作者で、J.B.VUILLAUME工房の下請けもしていました。Francois Lotteは、1919年に高名な弓製作者・Emile Auguste Ouchard(1900-1969)の姉と結婚しました。BAZIN工房で修行を重ね、1922年頃からCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)の工房で働きました。1925年頃、CUNIOT-HURY工房を出て別の弓製作者と共同経営の工房を開きましたが上手くいかなかったようです。1926年に彼単独の工房をミルクールで開きました。1956年、息子Roger Francois Lotteに工房を譲り、1960年に71歳で引退しました。1970年3月、81歳で亡くなりました。
彼は大量に弓を作りましたが、その中には非常に優れた作品もあります。
Roger Francois Lotte(1922-?)
父親の下で修行し、1956年に工房を継承しました。
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1024 |
| ラベル |
L.MORIZOT |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
735,000円
(税抜700,000円) |
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LOUIS MORIZOT工房の1950年頃の作品。少し軽めなので、女性や小柄な方にお薦め。
MORIZOTとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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GST-1128 |
| ラベル |
L.MORIZOT |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
840,000円
(税抜800,000円) |
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LOUIS MORIZOT工房の1945年頃の作品。しっかりとしており、濃い音が出ます。
MORIZOTとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
LOUIS BAZIN |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
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LOUIS BAZIN工房の1910年頃の作品。全てオリジナルのままで、パーフェクトな状態です。
BAZINとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Louis Bazin(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン)
1881年、ミルクール生まれ。Charles Nicolas Bazin IIの三男です。(長男Gustave Bazinは弦楽器製作者、次男Emile Joseph Bazinは弓製作者になりました)
12歳の頃より、父親から弓製作を学びBazin工房で働き始めました。1907年、26歳で父親の工房を継承しました。1915年頃までに、工房移転や、多数の職人を雇っての規模拡大などを行いましたが、第一次世界大戦で召集されて製作活動の中断を余儀なくされました。
1918年に復員し、製作活動を再開しました。1921年頃には、新たに大勢の職人を雇い、さらに大量の注文に応じるようになりました。しかし、ミルクールの弦楽器産業の衰退傾向と並行して、1936年頃には工房の職人が4人にまで減ってしまいました。1951年、71歳で引退し、1953年11月に亡くなりました。
彼は父親同様、大勢の弟子を育てたことで高く評価されています。しかし、彼自身の作品は父親ほどの評価はうけていないようです。なお、彼には息子が二人いましたが、長男Rene Bazinは弦楽器製作者、次男Charles Alfred BazinはBazin工房で修行し弓製作者になりました。
Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
LEFIN |
| 製作地 |
BRIENZ |
| 価格 |
105,000円
(税抜100,000円) |
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2009年作、FINKEL工房の新作です。価格は非常にお手頃ですが、良い弓です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried
Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam
Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 |
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
LABERTE |
| 製作地 |
FRENCH PARIS |
| 価格 |
応談 |
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LABERTE工房の1935年頃の作品です。
状態が非常に良いです。バランスが良く弾きやすい弓です。
Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら(※同氏の説明は下の別記参照)
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Marc Laberte(1880-1963)
1880年、ミルクール生まれ。LABERTE-HUMBERT FRERES工房の拡張で指導的役割を果たしました。
若く活動的な彼は、クレモナの名器を模倣し複製することに飽くなき情熱を注ぎ、その困難さを克服するための先鋒役を演じました。その試みを成功に終わらせるため(ミルクールの先人達による怪しい模造品の場合とは全く異なり)、貴重なオリジナルの名作を持つことが必要でした。1702年製のストラディバリ、1736年製のガルネリ、1650年製のアマティ、1690年製のルジェーリ、1755年生のガダニーニ、シュタイナー、ガリアーノ、テストーレその他という、申し分のない見本を集めるのに2年間を費やしました。
それぞれ特徴がある見本を一度分解して調査する繊細な手順を踏み、研究しました。不屈の努力と驚くべき着想により、彼は、オリジナルの外形とニスの驚くべき模写 多彩な音色の明確な魅力を模倣するひらめきを発揮しました。
LABERTE-HUMBERT FRERES
1780年、Marc Laberteの祖先によって開かれた工房です。後にMaurice Emile Laberte (1856-1898)によって大きくなりました。それに続き、1920年には、他の工房(NicholasやDerazeyや他のブランド)と合併し非常に大きく発展しました。バイオリンからベースまで、全てのイタリアンモデルとフレンチモデル、考える全ての色あいのニスのものを生産しました。それぞれのグレードに応じて、全ての製品は一貫して優れた品質でした。
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| 種類 |
Vn Bow |
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| ラベル |
J.T.LAMY |
| 製作地 |
FRENCH PARIS |
| 価格 |
応談 |
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J.T.Lamy(J.T.L.)工房の1940年頃の製品です。
状態が非常に良いです。バランスが良く弾きやすい弓です。
Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら(※同氏の説明は下の別記参照)
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jerome Thibouville Lamy(1833-c1905、ジェローム・チボヴィーユ・ラミー)
彼自身は製作者というよりは、楽器工場による大量生産を成功させた経営者の一人として有名です。ミルクールならびにパリで修行。ミルクールにあった様々な工場の経営権を取得し、1865年に会社を立ち上げました。
彼は機械を活用した大量生産を行いました。彼の機械製作の楽器は世界各地で評価され、事業は拡大を続けました。最盛期には3つの工場があり、Grenelle工場で金管楽器(1880年頃にCトランペット、1905年から4バルブのトランペットを発売)、La
Couture工場で木管楽器(息子Martin Thibouvilleによって工場開設。後に父親が工場を経営。クラリネットとオーボエ製造で有名)、ミルクール工場で弦楽器(同地で1890年に職業学校を開校)をそれぞれ大量生産していました。
その製品のグレードや品質は各種あり、非常に優れたものもあります。また、工場で働いた職人の中には、独立してハンドメイドの楽器製作者として有名になった人物が少なくありません。
しかし、世界恐慌から第二次世界大戦前後の混乱、大量生産楽器での競争力低下などから事業は衰退へ向かいました。金管楽器工場は1961年に閉鎖され、他工場も1968年までに閉鎖。現在、J.T.Lamy(J.T.L)はロンドン(1880年に支店として開設)を拠点に、楽器ケースやアクセサリー等を販売しています。
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| RAFFIN |
Jean Francois Raffin(1947-、ジャン・フランシス・ラファン)
現代フランスで最高の製作者の一人です。弓研究ならびに鑑定でも国際的に非常に有名です。1947年、パリ生まれ。1969年、ミルクールに行き弦楽器製作を学び始めました。
Etienne Vatelot工房で1年間修行した後、Bernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)の下で第1助手として17年間働き、弓製作の専門技能(弓の修復、製作、専門知識全てについて)を上達させました。
1979年、彼はフランス最高職工人コンテスト(Meilleurs ouvriers de France)の銀賞を獲得、この仕事での実務的知識を取得しました。同年、彼はGLAAF(Groupement des Luthiers et Archetiers d'Art de France:Association of French stringed instruments & bowmakers、フランス弦楽器・弓製作者協会)の会員になりました。
1989年、パリのローマ通り68に自身の工房を構え、国際協定(the International Guild)のメンバーになりました。
1992年、コルマール市(Colmar)で、独仏の弦楽器製作者達の前で講演を行いました。
1993年、Jean Seyral氏とともにスペインとの国境に近いバイヨンヌ市(Bayonne)に新しい工房(支店)を作りました。そこは、弓の修復者と専門家が非常に不足しているスペインに近いため、弓と弦楽器の需要が多い場所です。
同年3月と翌年、カナダ・ケベック州のエラン弦楽器製作学校(Elan School of stringed instruments)で養成コースの教師を務め、ケベック周辺の若い弓製作者ならびに弦楽器製作者達を指導しました。
1996年、公的な専門家としての称号を得ました。
2001年、4年間に渡る苦労の結果、Bernard Millant氏と彼は共著「Les TOURTE et les Archetiers Francais de 1750-1950」(トゥルテとフレンチ弓1750-1950)を出版しました。その著作では、フランスの全ての弓製作者の人生と仕事に関して写真と文章で説明し、彼らが長年に渡って得た知識と経験を総合して見せました。
現在、彼は単独で、鑑定と自身の弓製作に専念しています。
彼の娘Sandrine Raffin氏(1972-)が率いる工房が、弓製作ならびに古い弓の修復・修理を、新たに継続しています。彼の元助手達のうち何人かは、彼の教え・経験・助言指導を役立てながら、自身の工房を立ち上げました。
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Sandrine Raffin(1972-)
現代フランスの若手の弓・弦楽器製作者。
1972年にパリ近郊で生まれ、少女期の多くをフランス東部のロレーヌ(Lorraine)で過ごしました。父親と同じように、ミルクールで弦楽器製作の修行をしました。
1991年に弦楽器製作の技術課程を修了し、Jean Yves Rouveyre氏(1948-)ならびにJean Jacques Pages氏に師事してさらに修行を続けました。その後、パリに戻り、父親の工房に共同経営者として入りました。
修復・修理技術ならびに対外交渉の才能に恵まれ、彼女は弓製作の見習いと家族の工房の経営を始めました。
15年間におよぶ父親との共同作業の後、彼女は自分の工房を立ち上げ、父親の名前を継承しました。
左:Sandrine Raffin氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)
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Etienne Vatelot(1925-、エティエンヌ・ヴァトロ)
現代フランスで最高の弦楽器・弓製作者の一人で、イタリアン楽器鑑定の権威者です。
父親に手ほどきを受け、1942年頃より弦楽器製作を始めました。優れた才能を発揮し、その楽器はオイストラフや、アイザック・スターンに高く評価されました。1970年、ミルクールの弦楽器製作学校の設立に尽力。
彼の名前を冠したパリ国際弦楽器製作コンクール(「Etienne Vatelotコンクール」も行われています。
■Jean Francois Raffin公式サイト
■Millant-Raffinの公式サイト(仏語)
■RAFFIN工房(Sandrine Raffin)
■Jean Jacques Pages公式サイト
■GLAAF公式サイト
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| 種類 |
Baroque Vn Bow |
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GST-1099 |
| ラベル |
TOURTE MODEL |
| 製作地 |
ENGLISH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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GS-1047 |
| ラベル |
F.PECCATIE |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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GST-0009 |
| ラベル |
PAJEOT |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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JPN-0004 |
| ラベル |
A.OUCHARD |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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GST-1017 |
| ラベル |
F.LOTTE |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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GST-0021 |
| ラベル |
W.E.HILL |
| 製作地 |
ENGLISH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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GST-1048 |
| ラベル |
CUNIF HURY |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
Vla Bow |
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GST-1018 |
| ラベル |
VOIGT |
| 製作地 |
WIEN |
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| 八角弓。ビオラ弓としては軽めで、弾力がある良い弓です。 |
| 種類 |
Vla Bow |
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GDA-1719 |
| ラベル |
LOUIS MORIZOT |
| 製作地 |
FRENCH |
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LOUIS MORIZOTのオリジナルです。重量が68.6gとビオラ弓としてはやや軽めで、バランスが良く弾きやすい作品です。粘りのある音を出せます。弓によってこれだけ音が変わるのかと思わせてくれる逸品。女性の方にもお薦め。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
LOUIS MORIZOT(1874-1957):弓製作の巨匠ユージン・サルトリに師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。
RAFFINの証明書あり |
| 種類 |
Vla Bow |
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| ラベル |
HEIKO WUNDERLICH |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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非常に良い状態です。フロッグ等の金具がゴールドで、美しい外見の弓です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Heiko Wunderlich(1967-)
彼は1984年から1986年まで、Markneukirchenの有名なH.R.Pfretzschener工房で弓製作を学びました。
修行期間を終えた後も、工房に残り製作活動を続けました。
1990年、Markneukirchen・HWKの元で弓製作者として登録されました。この後、彼は生まれ故郷のBad
Brambach(Vogtland:ドイツのフォクトラント地方にある町)で自分の工房を開きました。 |
一人しかいない従業員の手を借りながら、あらゆる種類の弦楽器用弓を作っています。彼の作品は、詳細にいたるまでPfretzschener工房"スクール"の影響をはっきりと示しています。外見面での配慮にも当然見てとれますが、作品の明確さに対する彼のセンスからも表れているものです。
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| 東京藝術大学教授・バイオリン奏者 浦川宜也氏の感想 |

当社へ遊びに来られた東京藝術大学教授・浦川宜也氏に試奏していただきました。
浦川宜也氏の感想
「少し軽めだ。女性に向いていると思う」
浦川宜也氏の経歴はこちら |
| 種類 |
Vla Bow |
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| ラベル |
J.S.FINKEL |
| 製作地 |
BRIENZ |
| 価格 |
346,500円
(税抜330,000円) |
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Johannes S.Finkel(J.S・フィンケル)氏の2007年作です。良い材料を使用しています。バランスならびにファーストトーンと反応が良く、弾き易い弓です。
お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried
Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam
Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 |
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
VC Bow |
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GST-0001 |
| ラベル |
A.LAMY |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
VC Bow |
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GDA-1161 |
| ラベル |
GABRIEL |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
VC Bow |
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GDA-1154 |
| ラベル |
T.G.ACKER |
| 製作地 |
GERMANY |
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| 種類 |
VC Bow |
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GST-1055 |
| ラベル |
A.VIGNERON |
| 製作地 |
FRENCH |
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| 種類 |
VC Bow4/4 |
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JPN-2305 |
| ラベル |
N.SIMON |
| 製作地 |
FRENCH |
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1855年、FRENCH・MIRECOURT製。軽めで腰があり状態が良い弓をお探しの方にお薦め。これほどの弓は滅多に見つかりません。ロンドンの有名ディーラ・ANDREAS
WOYWODの正式な証明書付です。
証明書はこちら
楽器ひとくちメモ:
VIGNERON
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| 種類 |
VC Bow |
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GAN-1122 |
| ラベル |
H.W.Prell |
| 製作地 |
FRENCH |
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Prellはドイツ人ですが、サルトリの工房でも仕事をしていました証明書はフランス製になっておりサルトリの特徴を持っていますが、Prellの刻印が残っている非常に珍しい弓で価格も手頃です。質的にはサルトリと同等品です。
証明書はこちら |
| 種類 |
VC Bow |
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GAN-1120 |
| ラベル |
E.A.OUCHARD |
| 製作地 |
FRENCH |

証明書はこちら |
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
J.J.AUGAGNER D.BERGEROU |
| 製作地 |
FRENCH LYON |
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| アンサンブル金沢首席チェロ奏者 ルドヴィート・カンタ氏の感想 |

2004年製。
カンタ氏の感想
「フレンチ弓の新作としては、とても良いです」
証明書付
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
JOSEF PETER GABRIEL |
| 製作地 |
ERLANGEN |
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ドイツの優良メーカの近作です。良い材料を使用しており、バランスが非常に良い弓です。この価格帯では完璧と言ってよい作品です。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
STEFFEN KUHNLA |
| 製作地 |
GERMANY |
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このメーカとしては珍しく銀糸を使用。チップはシルバーで高級感あふれる仕上になっています。非常に良い材料を使用しており、とても弾き易い弓です。 |
| チェロ奏者 ダニエル・クネアー氏の感想 |

当社へ遊びに来られたドイツのプロチェロ奏者、ダニエル・クネアー氏に試奏していただきました。
クネアー氏の感想
「非常に好きな弓です。素晴らしいと思う」 |
| 種類 |
VC Bow |
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GST-1150 |
| ラベル |
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
630,000円
(税抜600,000円) |
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H.R.PFRETZSHNERの1930年頃の作品です。状態が非常に良いです。バランスが良く軽くて弾き易いので、女性や小柄な方にお薦めです。古い弓で状態が良く手頃な価格のものをお探しの方にお薦め。お問合せはお早めに。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
証明書はこちら
Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
P.GUILLAUME |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
892,500円
(税抜850,000円) |
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現代の名工Pierre Guillaume氏による逸品です。卓越した技術を駆使し一本一本丁寧に仕上げているものです。オールドの名品と比較しても遜色ありません。良い弓をお探しの方に自信を持ってお薦めします。GUILLAUMEの専用ケース(下画像)付き。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack
Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison
Bernardの工房を引継ぎました。
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
F.N.VOIRIN |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
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H.R.PFRETZSHNERが製作したものです。Hermann Richard Pfretzschner がJ.B.Vuillaumeの工房で修行していた時、同じ工房にFrancois
Nicolas Voirinがいました。PfretzschnerはVoirinの卓越した技術だけではなくその人格にも深い感銘を覚えました。その尊敬の念を込めて、Voirinの了承の下、彼の名前で作成したもので、知る人ぞ知る有名な弓です。
証明書付
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Francois Nicolas Voirin(フランシス・ニコラ・ヴォアラン、1833-1885)はJ.B.Vuillaume(Jean Baptiste Vuillaume、1798-1875)の従兄弟で、パリにあったVuillaumeの工房で指導的役割を担っていました。Charles Francois Peccatteに対する指導やJoseph Alfred Lamyとの師弟関係など、弓製作の歴史でも重要な役割を果たしました。
楽器ひとくちメモ:
VOIRIN
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
EWALD WEIDHAAS |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
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Ewald Weidhaas(エヴァルト・ヴァイドバス)の1900年から1920年頃の作品です。軽めでバランスが良く弾き易い弓です。女性や小柄な方にお薦め。状態良好です。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
四代目Johannes S.Finkel(1947-)は父Siegfried Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
REICHEL WORKSHOP |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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REICHEL(ライヒェル)のワークショップ作品で、1800年代のものです。状態は良好です。軽めでバランスが良く弾き易いので、女性や小柄な方にお薦め。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
367,500円
(税抜350,000円) |
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1970年頃の作品です。良い材料を使用しており、完璧な状態です。スティックの断面は八角形で底面が若干広め、PFRETZSHNERオリジナルの形態です。
特別価格でご提供します。この価格帯のものをお探しの方はお早めにお問合せください。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
JOHS.O.PAULUS 4 Stars |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
315,000円
(税抜300,000円) |
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1968年頃の作品です。良い材料を使用しています。重量は約81gで標準的なものです。状態は極めて良好です。この年代でこれだけ良い状態のものとしては破格の価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
Johannes O.Paulusの仕事はMarkneukirchenの伝統的な作風に準じたものです。彼の弓には通常「JOHS.O.PAULUS」と刻印され、その前後に品質を示す星印があります。フロッグには羽を拡げた鷲の印章と彼の名前が刻印されています。また銀製のリング等に別の印章が刻印されているのも特徴です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
PAULUSはドイツ・マルクノイキルヘン(Markneukirchen)の弓工房です。現在に至るまでPAULUS一族四代によって受け継がれてきました。
弓製作者としての初代Otto Paulusは1891年にMarkneukirchenの楽器工場を営む家に生まれました。彼は弓製作を専門に学び、6年間の修行期間中、August
Rau(1866-1925) より高度で貴重な知識を得ました。その後、1923年には自身の会社を興し、1948年にマイスター試験に合格しました。
二代目Johannes O.Paulusは1916年生まれ。父親から弓製作の指導を受け、1930年から1934年までの間、MarkneukirchenのC.A.Schuster※工房で弓製作を学びました。修行を終えたJohannes
O.Paulusは、第二次世界大戦で召集された後に捕虜となった長い中断を挟みながら、C.A.Schuster工房で働き続けました。捕虜生活から解放された後、彼はC.A.Schuster工房に復帰し、工房が閉鎖される1955年まで働きました。1950年、彼はMarkneukirchenの弓製作でのマイスター試験を全てパスしました。1955年にC.A.Schuster工房が閉鎖された時、彼と彼の父親はC.A.Schuster工房の部屋を引き継ぎ、彼ら自身のブランドで自分達の工房を始めました。Johannes
O.Paulusは実績を評価され「Anerkannter Kunstschaffender」という称号を与えられました。本来の仕事に加え、彼はMarkneukirchenの弓製作マイスター試験の審査委員会メンバーでもありました。78歳で第一線からは引退しましたが、息子Gunter
A. Paulusへの指導を続けました。
三代目Gunter A. Paulus(1949-2006)は幼少時から弓製作者に憧れ、父の的確な指導を受けました。1972年にマイスター試験に合格、1973年まで父の工房で働き、その後独立しました。
四代目Jens Paulusは1970年生まれ。彼もまた先代に習い弓製作者の道を歩みました。彼は父に弟子入りし、1992年に弓製作マイスター試験をパスしました。2000年から、Gunter
A. PaulusとJens Paulusの親子で工房を続けていまたが、2006年にGunter A. Paulusが死去。現在は四代目Jens
Paulusが工房を引き継ぎ活躍しています。
参考:「Deutsche Bogenmacher 1945-2000」他
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
NEUDORFER |
| 製作地 |
BUBENREUTH |
| 価格 |
840,000円
(税抜800,000円) |
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NEUDORFERの2004年作です。リングなど金属部品にゴールドを使用。良い材料を使い、優れた技術で仕上げてある逸品です。ファーストトーンが良く、的確に反応します。
国内ではあまり流通していませんが、非常に評価が高い作者です。作者の年齢からすると最後の作品の一つとなるかも知れません。興味のある方はお早めにお問い合わせください。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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上:NEUDORFERのパンフレット。
左:Rudolf Neudorfer氏(上記パンフレットより転載)
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Rudolf Neudorfer(1936-)
Rudolf Neudorfer氏は弦楽器製作者Neudorfer一族の三代目です。祖父はJosef Neudorfer、父はKarl Neudorferです。 彼は1936年に生まれ、1951年から1953年まで、H.SchmirlerとB.Pecharが指導するLuby(Schonbach)の楽器製作学校で弓製作を学びました。その後、Kraslice(Graslitz)の製造業向けビジネススクールでも学び、当時のチェコスロヴァキア国営「Cremona」社に常務として雇われました。
1964年、彼はドイツ連邦共和国(FRG、当時の西ドイツ)に移住しました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。その後、1966年から2年間、Bubenreuthの0.Seifert工房で主任を務め、1968年から1973年まではBrienz(スイス)のSiegfried
Finkel工房で働きました。1973年に、E.Wernerがかって所有していたBubenreuthの工房を引き継ぎ独立、現在に至ります。
彼は国際的な弓コンクールにも積極的に参加し、評価を得ました。1980年ならびに82年、アメリカのVSA(Violin Society of America)弓コンクールで彼の弓は高く評価されました。1983年と86年、Wiesbadenの国内コンクールで、彼のバイオリン弓は金賞を受賞しました。
彼の作品は、Tourte、PeccatteやSartoryなどのフレンチ弓の作風をモデルにしているものが多いです。また、イギリスのJ.Tubbsのそれをモデルにしたものもあります。
なお、彼の弟子の一人に、2008年に若くして亡くなった杉藤浩司氏がいました。
※故・杉藤浩司氏については杉藤楽弓社サイトをご覧ください。
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| 種類 |
VC Bow |
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GST-1044 |
| ラベル |
V.FETIQUE |
| 製作地 |
FRENCH |
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リングなど金属部品にゴールドを使用。フロッグはオリジナルです。状態は非常に良好。重量は少し軽めです。
女性や小柄な方で良いフレンチ弓をお探しの方にお薦め。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
※この弓は以前より掲載していますが、今回、写真差し替え、作者説明を追加しました。
Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク、1872-1933)
Victor Francois Fetiqueは、1872年にミルクールで生まれました。
なお、弟Jules Fetique(ジュール・フェティーク、1875-1951) も優れた弓製作者でした。息子Marcel Gaston Fetique(1899-1977)も父の指導を受け弓製作者になりました。
Victor Francois Fetiqueは、父Charles Claude Fetique(1853-1911) ならびにHusson一族の工房で修行し、Charles Nicolas BazinU(1847-1915)の工房で研鑽を積みました。 1901年、Bazin工房での修行を終え、パリに出てCARESSA&FRANCAIS工房で12年間働きました。1913年、41歳の時にパリで独立しました。独立後まもなく、高い評価を得て成功。注文数が彼一人ではこなしきれなくなったため、弟をはじめ、ミルクールの中心的な製作者に委託生産をしてもらったこともあるようです。1933年、60歳で亡くなりました。
彼は若くして卓越した才能を発揮し、Bazin工房での研鑽を経て一級の弓製作者になりました。フランスの優秀な職人に贈られる「Unedes meilleurs ouvriers de France」も受賞しています。一方、フランス弓の伝統を引き継ぐ優秀な弟子を多く育てました。彼の作品は非常に高く評価されていますが、本人(ならびに愛弟子)作、工房作、委託生産品(ミルクール製を彼が仕上げたもの)の3種類があるとされています。本人作はもちろんですが、息子や甥Andre Georges Richaume(アンドレ・リショーム、1905-1966)と共同で製作したものも高く評価されています。
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| 種類 |
VC Bow |
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GST-1046 |
| ラベル |
J&A BEARE |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
1,365,000円
(税抜1,300,000円) |
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1900年頃の作品です。BEARE社がHILL工房に製作を委託したものの一本で、これらについてはヨーロッパでは通称Hill-Bowとして知られているものです。スティックの断面は八角形、リングはシルバーです。状態は非常に良好。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
J&A BEARE(John & Arthur Beare)
J&A BEARE社は、1892創業の有名な楽器商です。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
P.GUILLAUME |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
892,500円
(税抜850,000円) |
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現代の名工Pierre Guillaume氏の2008年作です。腰がしっかりしており、フレンチ弓の正当な伝統を受け継ぐ名品です。卓越した技術を駆使し丁寧に仕上げているもので、オールドの名品と比較しても遜色ありません。試奏していただければ、この弓の価値をおわかりいただけと思います。良い弓をお探しの方に自信を持ってお薦めします。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack
Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison
Bernardの工房を引継ぎました。
左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載) |
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
HARTMUT KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
315,000円
(税抜300,000円) |
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KNOLL社の当代Hartmut Knoll氏の2007年作(一つ星)です。腰がしっかりしています。お手頃な価格で良い弓をお探しの方にお薦め。
KNOLL社オリジナルクロス附属。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。
左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載) |
Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。
Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred
Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。
Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。
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| 種類 |
VC Bow3/4 |
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| ラベル |
ALFRED KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
105,000円
(税抜100,000円) |
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KNOLL社の初代Arfred Knollの作品です。3/4用で、しっかりした良いものをお探しの方にお薦めします。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。
Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼は工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。
Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
FINKEL ATELIER |
| 製作地 |
BRIENZ |
| 価格 |
応談 |
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Finkel工房の2004年作です。こしがしっかりしています。この価格帯では非常に良い弓です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried
Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam
Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 |
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
HILL |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
1,155,000円
(税抜1,100,000円) |
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HILLのチェロ弓です。完璧な状態。レスポンスが良く、濃い音がします。
これだけの状態のHILL弓で、この価格帯のものは珍しいです。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
| Arthur Scarbrow(?-?) |
チップ底面に数字の0 |
| Arthur Copley (1903-1976) |
チップ底面に数字の1 |
| Edgar Bishop (1904-1943) |
チップ底面に数字の2 |
| Albert Leeson (1904-1946) |
チップ底面に数字の3 |
| Leslie Bailey (1919-?) |
チップ底面に数字の4 |
| Arthur J Barnes (1888-1945) |
チップ底面に数字の5 |
| Arthur Bultitude (1908-1990) |
チップ底面に数字の6 |
| William Watson (1930-) |
チップ底面に数字の7 |
| Malcolm M Taylor(?-?) |
チップ底面に数字の8 |
| Arthur Brown(?-?) |
チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX |
| William C Retford (1875-1970) |
チップ底面に点が1つ |
| William R Retford (1899-1960) |
チップ底面に点が2つ |
| Frank Napier (1884-?) |
チップ底面に三つ葉模様 |
| Sydney Yeoman (1876- 1948) |
ヘッド接合面の下部に1本の刻み目 |
| Charles Leggatt (1880-1917) |
ヘッド接合面の中央に二本の刻み目 |
| William G Johnston (1860-1944) |
ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目 |
| Sam Allen (1838-? ) |
印無し |
| William Napier (1848-1932) |
メーカ名刻印無し |
| James Tubbs (1835-1921) |
W E Hillの刻印(二つあるものも見られる) |

チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。 |

スティック下面の刻印。
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| ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
TOURTE MODEL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
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ドイツ製で1930年頃の作品です。スティックのフロッグ上部分に刻印がありますが判然とせず作者は不明です。こしのしっかりした弓で状態はパーフェクト。重さは80gで、柔らかい音がします。状態が良く、柔らかい音がする弓をお探しの方にお薦め。
円高ピーク時に仕入たため、リーズナブルな価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
証明書あり
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
J.S.FINKEL GOLD240GEM |
| 製作地 |
BRIENZ |
| 価格 |
応談 |
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Finkel工房の2007年作です。ゴールドラベルのチェロ弓は珍しく、国内では入手困難です。ゴールドに相応しく非常に良い材料を使用し完璧に仕上げられた逸品です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Johannes S.Finkel(1947-)
弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の四代目です。父Siegfried
Finkelの下で修行した後、ロンドンのJ&A Beare、ロサンゼルスのHans Weisshaar、フィラデルフィアのWilliam
Moennig & Sonの工房で修行を重ね、1975年にスイスに戻り現在に至ります。 |
Siegfried Finkel(1927-)
1868年より続く弓メーカの名門「FINKEL-WEIDHAAS」(フィンケル・ヴァイドバス)の三代目で、Paul
WeidhaasとともにEwald Weidhaasの下で働き、Paul Weidhaasの養子になりました。彼もまたEwald
Weidhaasの技術を引き継ぎ、Peccatteモデルのドイツバージョンとも言える優れた弓を作りました。彼の一族は1952年にMarkneukirchenからスイスのBrienzに移住し、その地で工房を構えました。
Paul Weidhaas (1894-1962)
父Ewald Weidhaasより、Markneukirchenにおいて1908年から1911年までの間、弓製作を学びました。1911年から1913年までBreslauのE.Liebichの工房で働き、1913年から1915年までHamburgのWinterlingの工房で働きました。1918年にHamburgのマイスター試験に合格。その後、Markneukirchenに戻り、父の工房の経営を引き継ぎました。1920年代と30年代、彼は自身の知識を深めるため、とても長い旅に出ました。HollandでM.Moller、Vedral、J.Stuberと一緒に働きました。パリではBauschとVictor
Francois Fetique(1872-1933)の工房で学びました。この旅で得た経験は彼の仕事にはっきりとした影響を与え、外国とのビジネスを立ち上げることに役立ちました。弓の高い品質と、優れたビジネスセンスにより、彼は20世紀中盤のドイツ弓メーカーの中で最も重要な一人となりました。
Ewald Weidhaas(1869-1939)は、Markneukirchenの弓製作者です。Paul Weidhaasの父であり、Siegfried
Finkelの義理の祖父、Johannes S.Finkelの義理の曾祖父にあたります。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
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ラベルと証明書はありませんが、PFRETZSHNEの特徴を備えており、PFRETZSHNER工房オリジナルの作品だと思われます。比較的お手頃な価格でご提供できますので、お早めにお問合せください。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
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| 種類 |
VC Bow |
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GAN-1119 |
| ラベル |
A.LAMY |
| 製作地 |
FRENCH |
| 証明書はこちら |
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世界的に有名なLAMY工房の名品です。状態が抜群に良く、完璧と言ってもいいと思います。どの楽器にもマッチします。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。
Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。
Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。
Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
J.P.BERNARD |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
応談 |
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J.P.BERNARDはP.GUILLAUME工房のブランドの一つです。P.GUILLAUME氏は自ら弓製作を行うとともに、氏が企画監督する工房製品としてJ.P.BERNARDならびにBERNARDブランドの弓も提供しています。これらの工房ブランド弓は、比較的手頃な価格でありながら、良い材料を使用し、P.GUILLAUME氏の技術指導の下で生み出された高品質のものです。
この弓は1998年頃の製造で、近年作。状態はパーフェクトです。バランスが良く、少し柔らかめ。当社で毛替え・調整済です。
お手頃な価格でご提供できますので、お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack
Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison
Bernardの工房を引継ぎました。
左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載) |
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
CH.F.CHAROTTE |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
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CH.F.CHAROTTE PARISという刻印がある、1890年から1920年頃のフレンチ弓です。LAMYの作品に非常に良く似た特徴を持っており、品質もLAMYに迫る素晴らしいものだと思います。刻印と内容の組み合わせに興味深く珍しいものがあります。刻印に該当するメーカもしくはブランドの情報は未確認ですが、良い弓です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
この弓との関係は不明ですが、ご参考までにCHAROTTE工房についてご紹介します。
Victor Joseph Charotte(c1850-1925)
ミルクールに生まれました。彼が作ったものとされる一番古いバイオリンには1870年作とありますので、この頃にはミルクールで活動していたものと思われます。彼が作ったバイオリン(特に1733年ガルネリモデル)とビオラは完璧な外形です。全ての曲線は調和のとれた芸術的なものです。とても透明でしなやかなストラディバリウスを彷彿とさせるニスが綺麗に形作られた木材を際立たせ、色合いの純度を高めています。
彼の現役時代、CHAROTTE工房は当時の主要メーカとして評価されており、彼の仕事は栄誉賞をいくつか得ていました。例えば、1900年にパリ国際展示会で金賞、1925年にはフランス最高の職人賞を贈られました。
Victor Joseph Charotteの死後、CHAROTTE工房はGeorges Apparut(1877-1948)に引き継がれ、数年間続きました。
Charles Francois Charotte
CHAROTTE工房の創業者。1721年にCharles Francois CharotteがミルクールでCHAROTTE工房を創業しました。後にナンシーへ活動拠点を移したようです
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
J.B..VUILLAUME |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
| 証明書はこちら |
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Charles Claude Hussonが、J.B..VUILLAUME工房で製作したものです。状態は完璧。どの楽器にも柔軟に反応し、明るく伸びやかな音を出せます。
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※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Claude Husson(1846-c1915)
1846年、ミルクール生まれ。Claude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の息子です。父親の元で弓製作を学び、義理の弟であったJoseph Arthur Vigneron(1851-1905)と共に修行しました。
1873年頃にはJean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の工房で働いており、他にもLamyやGand&Bernadel兄弟の工房にも出入りして弓製作の勉強を続けていました。Jean Baptiste Vuillaumeの他界により、1875年頃にVoirin工房に移りました。1880年、パリに出て自身の工房を開きました。死亡時期ははっきりしませんが、1915年頃までは製作活動を続けていたようです。
彼の作品のスタイルは、活動時期に応じてVuillaume、Vorinのそれによるものでした。後年にはVigneronの影響を受けたスタイルになりました。彼の作品として明確にわかるものは、少数しか残っていません。しかし、丁寧に仕上げられた彼の弓は現在も高く評価されています。
Claude Charles Nicolas Husson(1823-1872)
ミルクールやパリの若い職人を沢山雇い育て、弓製作の発展に大きく貢献しました。同時期にBAZIN一族が弓製作の発展に尽力していたので、互いに協力し合い、職人の育成に努めました。
1823年、ミルクールに生まれました。父親は、レース編み職人でした。ちなみにレース産業は、弦楽器・弓製作と並んで、19世紀ミルクールの主要産業でした。
彼は幼少時より弓製作職人の元で弓製作を学びました。弟Pierreも同じ道を歩みました。
最初の妻との間にできた息子がCharles Claude Husson(1846-c1915)です。後に再婚相手の連れ子Joseph
Arthur Vigneron(1851-1905)を息子として認知し、彼の工房で弓製作を教えました。実子Charles
Claude Hussonが父親から独立してパリに出た後、工房は衰退していき、1872に49歳という若さでClaude
Charles Nicolas Hussonは亡くなりました。
彼自身の作品はあまり知られていません。作品よりも、Joseph Arthur Vigneronをはじめとする大勢の優秀な職人を育て、フレンチ弓の発展に大きく寄与したことで評価されています。
Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875)
1798年ミルクール生まれ。父Claude Francoisはバイオリン製作者でした。当時の例に漏れず少年時代に徒弟に入り弓をはじめとする楽器製作の修行を始めました。20歳の頃にパリに出て楽器職人としてNicolas
Antoine Leteの店で雇われました。その後、頭角を現し、1823年に彼の作ったバイオリンがコンクールで入賞しました。その頃、彼は弓に注目し研究し始めたようです。ほどなくして、Jean
Pierre Marie PersoitやDominique Peccattと共に働き始めました。 1827年、Leteから独立して工房を構えました。
彼がフランスの弓製作史において果たした役割が極めて大きいという点では異論がないところでしょう。彼自身は、弓製作者ではなくバイオリン製作者でした。しかし、彼は弓を重視し、弓の性能向上のために数々の工夫をしました。彼自身は一切製作せず、発案した物の製作は工房の優秀な職人達にさせていました。彼の工房で生み出した弓の中で特に卓越したものは「腕の延長」のようである評され、彼の研究や発案が当時いかに先進的なものであったかを示しています。
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
VOINSON JACQUOT |
| 製作地 |
FRENCH PARIS |
| 価格 |
応談 |
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VOINSON工房のVOINSON JACQUOT、2009年作です。良い材料を使用し、優れた技術によるしっかりとした作りです。さすが弓の国フランスだと思わせる品質。良く鳴ります。
比較的手頃な価格で提供できます。この価格帯では素晴らしい品質と性能の弓です。
この工房の弓は、恐らく日本初入荷だと思います。お問合せはお早めに。
なお、バイオリン弓、ビオラ弓も近日中に入荷予定です。
証明書はこちら
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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Jean Pierre Voinson(ジャン・ピエール・ヴォアンソン)
ミルクールを拠点に活躍する弦楽器製作者です。
1975年にミルクールで弦楽器製作を学んだ後、別の工房で働きました。そこで彼は、フランスの伝統的四重奏のための弦楽器製作に熟達しました。1993年、修行で得た豊かな経験を基に、ミルクールのすぐ近くにあるヴィッテル(Vittel)で自身の最初の工房を開きました。
1999年からミルクールに工房を構えています。
左:Jean Pierre Voinson氏(2010年1月、工房訪問時に撮影) |
ちなみに、フランスでは弦楽器製作職人を「Luthier(リュティエール)」、弓製作専門職人を「Archetier(アルシュテール)」と正式に呼びます。
弦楽器製作職人で弓も製作する人は多くいますが、工房サイトや名刺・書類等に表記された称号を見れば、どちらが専門かどうかはすぐにわかります。ヴォアンソンは弦楽器製作職人で、弓も製作しています。
■VOINSON工房公式サイト
■同上
■VOINSON工房の紹介動画(仏語)
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| 種類 |
VC Bow |
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| ラベル |
LOUIS BAZIN |
| 製作地 |
FRENCH PARIS |
| 価格 |
応談 |
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Louis Bazinの1920年頃のオリジナル作品です。
状態は完璧。良い材料を使用しています。しっかりとした音が出ます。
重量は約77gで少し軽め(ヨーロッパ人の体格に合わせて、80から82gが標準)、女性や小柄な方にお薦めです。ヨーロッパで軽めの弓はあまり作られないので、この弓は特注品である可能性もあり、珍しいものです。
お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら(※同氏の説明は下の別記参照)
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Louis Bazin(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン)
1881年、ミルクール生まれ。Charles Nicolas Bazin IIの三男です。(長男Gustave Bazinは弦楽器製作者、次男Emile Joseph Bazinは弓製作者になりました)
12歳の頃より、父親から弓製作を学びBazin工房で働き始めました。1907年、26歳で父親の工房を継承しました。1915年頃までに、工房移転や、多数の職人を雇っての規模拡大などを行いましたが、第一次世界大戦で召集されて製作活動の中断を余儀なくされました。
1918年に復員し、製作活動を再開しました。1921年頃には、新たに大勢の職人を雇い、さらに大量の注文に応じるようになりました。しかし、ミルクールの弦楽器産業の衰退傾向と並行して、1936年頃には工房の職人が4人にまで減ってしまいました。1951年、71歳で引退し、1953年11月に亡くなりました。
彼は父親同様、大勢の弟子を育てたことで高く評価されています。しかし、彼自身の作品は父親ほどの評価はうけていないようです。なお、彼には息子が二人いましたが、長男Rene Bazinは弦楽器製作者、次男Charles Alfred BazinはBazin工房で修行し弓製作者になりました。
Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。
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| RAFFIN |
Jean Francois Raffin(1947-、ジャン・フランシス・ラファン)
現代フランスで最高の製作者の一人です。弓研究ならびに鑑定でも国際的に非常に有名です。1947年、パリ生まれ。1969年、ミルクールに行き弦楽器製作を学び始めました。
Etienne Vatelot工房で1年間修行した後、Bernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)の下で第1助手として17年間働き、弓製作の専門技能(弓の修復、製作、専門知識全てについて)を上達させました。
1979年、彼はフランス最高職工人コンテスト(Meilleurs ouvriers de France)の銀賞を獲得、この仕事での実務的知識を取得しました。同年、彼はGLAAF(Groupement des Luthiers et Archetiers d'Art de France:Association of French stringed instruments & bowmakers、フランス弦楽器・弓製作者協会)の会員になりました。
1989年、パリのローマ通り68に自身の工房を構え、国際協定(the International Guild)のメンバーになりました。
1992年、コルマール市(Colmar)で、独仏の弦楽器製作者達の前で講演を行いました。
1993年、Jean Seyral氏とともにスペインとの国境に近いバイヨンヌ市(Bayonne)に新しい工房(支店)を作りました。そこは、弓の修復者と専門家が非常に不足しているスペインに近いため、弓と弦楽器の需要が多い場所です。
同年3月と翌年、カナダ・ケベック州のエラン弦楽器製作学校(Elan School of stringed instruments)で養成コースの教師を務め、ケベック周辺の若い弓製作者ならびに弦楽器製作者達を指導しました。
1996年、公的な専門家としての称号を得ました。
2001年、4年間に渡る苦労の結果、Bernard Millant氏と彼は共著「Les TOURTE et les Archetiers Francais de 1750-1950」(トゥルテとフレンチ弓1750-1950)を出版しました。その著作では、フランスの全ての弓製作者の人生と仕事に関して写真と文章で説明し、彼らが長年に渡って得た知識と経験を総合して見せました。
現在、彼は単独で、鑑定と自身の弓製作に専念しています。
彼の娘Sandrine Raffin氏(1972-)が率いる工房が、弓製作ならびに古い弓の修復・修理を、新たに継続しています。彼の元助手達のうち何人かは、彼の教え・経験・助言指導を役立てながら、自身の工房を立ち上げました。
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Sandrine Raffin(1972-)
現代フランスの若手の弓・弦楽器製作者。
1972年にパリ近郊で生まれ、少女期の多くをフランス東部のロレーヌ(Lorraine)で過ごしました。父親と同じように、ミルクールで弦楽器製作の修行をしました。
1991年に弦楽器製作の技術課程を修了し、Jean Yves Rouveyre氏(1948-)ならびにJean Jacques Pages氏に師事してさらに修行を続けました。その後、パリに戻り、父親の工房に共同経営者として入りました。
修復・修理技術ならびに対外交渉の才能に恵まれ、彼女は弓製作の見習いと家族の工房の経営を始めました。
15年間におよぶ父親との共同作業の後、彼女は自分の工房を立ち上げ、父親の名前を継承しました。
左:Sandrine Raffin氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)
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Etienne Vatelot(1925-、エティエンヌ・ヴァトロ)
現代フランスで最高の弦楽器・弓製作者の一人で、イタリアン楽器鑑定の権威者です。
父親に手ほどきを受け、1942年頃より弦楽器製作を始めました。優れた才能を発揮し、その楽器はオイストラフや、アイザック・スターンに高く評価されました。1970年、ミルクールの弦楽器製作学校の設立に尽力。
彼の名前を冠したパリ国際弦楽器製作コンクール(「Etienne Vatelotコンクール」も行われています。
■Jean Francois Raffin公式サイト
■Millant-Raffinの公式サイト(仏語)
■RAFFIN工房(Sandrine Raffin)
■Jean Jacques Pages公式サイト
■GLAAF公式サイト
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| 種類 |
BASS Bow |
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GST-1059 |
| ラベル |
SEFERT |
| 製作地 |
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| 種類 |
BASS Bow |
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JPN-0009 |
| ラベル |
GONTER HOYER |
| 製作地 |
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| 種類 |
BASS Bow |
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| ラベル |
JOHS.O.PAULUS 3 Stars |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
399,000円
(税抜380,000円) |
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1970年頃の作品で比較的新しいものです。良い材料を使用しています。 Johannes O.Paulusの仕事はMarkneukirchenの伝統的な作風に準じたものです。彼の弓には通常「JOHS.O.PAULUS」と刻印され、その前後に品質を示す星印があります。フロッグには羽を拡げた鷲の印章と彼の名前が刻印されています。また銀製のリング等に別の印章が刻印されているのも特徴です。
今回は特別にお手頃な価格でご提供します。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
PAULUSはドイツ・マルクノイキルヘン(Markneukirchen)の弓工房です。現在に至るまでPAULUS一族四代によって受け継がれてきました。
弓製作者としての初代Otto Paulusは1891年にMarkneukirchenの楽器工場を営む家に生まれました。彼は弓製作を専門に学び、6年間の修行期間中、August
Rau(1866-1925) より高度で貴重な知識を得ました。その後、1923年には自身の会社を興し、1948年にマイスター試験に合格しました。
二代目Johannes O.Paulusは1916年生まれ。父親から弓製作の指導を受け、1930年から1934年までの間、MarkneukirchenのC.A.Schuster※工房で弓製作を学びました。修行を終えたJohannes
O.Paulusは、第二次世界大戦で召集された後に捕虜となった長い中断を挟みながら、C.A.Schuster工房で働き続けました。捕虜生活から解放された後、彼はC.A.Schuster工房に復帰し、工房が閉鎖される1955年まで働きました。1950年、彼はMarkneukirchenの弓製作でのマイスター試験を全てパスしました。1955年にC.A.Schuster工房が閉鎖された時、彼と彼の父親はC.A.Schuster工房の部屋を引き継ぎ、彼ら自身のブランドで自分達の工房を始めました。Johannes
O.Paulusは実績を評価され「Anerkannter Kunstschaffender」という称号を与えられました。本来の仕事に加え、彼はMarkneukirchenの弓製作マイスター試験の審査委員会メンバーでもありました。78歳で第一線からは引退しましたが、息子Gunter
A. Paulusへの指導を続けました。
三代目Gunter A. Paulus(1949-2006)は幼少時から弓製作者に憧れ、父の的確な指導を受けました。1972年にマイスター試験に合格、1973年まで父の工房で働き、その後独立しました。
四代目Jens Paulusは1970年生まれ。彼もまた先代に習い弓製作者の道を歩みました。彼は父に弟子入りし、1992年に弓製作マイスター試験をパスしました。2000年から、Gunter
A. PaulusとJens Paulusの親子で工房を続けていまたが、2006年にGunter A. Paulusが死去。現在は四代目Jens
Paulusが工房を引き継ぎ活躍しています。
参考:「Deutsche Bogenmacher 1945-2000」他
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| 種類 |
BASS Bow |
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GDA-1725 |
| ラベル |
HEINZ BERND DOLLING |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
315,000円
(税抜300,000円) |
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1970年頃の作品です。軽めなので女性や小柄な方にお薦め。スティックの断面が角棹で、こしがしっかりしています。状態は完璧です。この価格帯でこれだけのものはありません。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
DOLLING(デューリング)一族は弦楽器製作から出発しましたが、現在に至るまで四代、100年を超えて続いている弓メーカーとして高い名声を得ています。
1898年、Otto Dolling (1878-1966)が弓工房を始めました。二人の息子Kurt Dolling (1902-1952) とHeinz Dolling (1913-2001)は父の工房で修行しました。 1947年にマイスター試験に合格したHeinz
Dollingは彼自身の工房をMarkneukirchenに近いWernitzgrunで立ち上げ、1965年にErlbachへ移りました。
Heinz Dollingの息子Heinz Bernd Dolling(1942-)は1959年から1961年までの間、父Heinz Dollingより弓製作を学び、1972年にマイスター試験に合格しました。彼は、1985年にWernitzgrunで自分の工房を開くまで、Erlbachの父の工房で働きました。
Bernd Dollingは息子Michael Dolling(1968-、父の工房で修行し1992年にマイスター試験合格)とともに現在も製作活動を続けています。
1998年、Heinz Bernd Dollingと父Heinz、息子Michaelは、Dolling一族の弓製作100周年記念を祝いました。Heinz Bernd Dollingと息子Michaelは記念として、フロッグに彼ら三人の写真を埋め込んだ特別品を100本作成しました。
DOLLINGの作風はTourte、Voirin、Sartoryなどフランスの巨匠達にならったものですが、KnopfやBauschなどドイツメーカーの作風も引き継いでいます。その作品は高い評価を受けており、David
Oistrach、Yehudi Menuhin、Ruggiero Ricci、Erkki Rautioなど超一流の演奏家がHeinz
Dollingの弓を使用しました。また、Bernd Dollingはベース奏者Ludwig Streicherと長年に渡り友情関係を保っています。
参考:「Deutsche Bogenmacher」他
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| 種類 |
BASS Bow |
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| ラベル |
HNILICA P |
| 製作地 |
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| 価格 |
420,000円
(税抜400,000円) |
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スロヴァキア等の旧東欧圏製(作者はPETR HNILICAか?)かも知れません。現在のところ、作者等の詳細は不明ですが、良い材料を使用しており、コシもしっかりしています。標準的なサイズ、重量です。お手頃な価格でご提供できます。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
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| 以下4本のフレンチBASS Bowについて高騰前の旧レートでご提供します。お手頃な価格のフレンチBOWをお探しの方にお薦め。お問合せはお早めに。 |
| 種類 |
BASS Bow |
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GST-1058 |
| ラベル |
W-SEIFERT |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
189,000円
(税抜180,000円) |
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| 種類 |
BASS Bow |
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GST-1057 |
| ラベル |
GOTZ |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
157,500円
(税抜150,000円) |
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| 種類 |
BASS Bow |
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GST-1051 |
| ラベル |
GOTZ |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
126,000円
(税抜120,000円) |
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| 種類 |
BASS Bow |
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GDA-1750 |
| ラベル |
KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
73,500円
(税抜70,000円) |
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