|
|
|
|
|
 |
| 最終更新日:2012.05.05 |
| ストラディ金沢お薦めの弓です。 |
|
|
|
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GDA-1164 |
| ラベル |
S.T.KUHNLA(S) |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1081 |
| ラベル |
F.PECCATIE |
| 製作地 |
FRENCH |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GAN- |
| ラベル |
NURNBERGER |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1102 |
| ラベル |
ALBERT.NURNBERGER |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1104 |
| ラベル |
PFRETZSCHNER |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1105 |
| ラベル |
ALBIN HUMES |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1106 |
| ラベル |
OLD GERMAN |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow 3/4 |
|
|
| ラベル |
(ノーラベル)
|
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| セミオールドの分数弓で現存するものは珍しいです。状態は良好。オールド楽器に相応しい弓をお探しの方にもお薦め。 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1125 |
| ラベル |
CH.PECCATTE SCHOOL |
| 製作地 |
FRENCH |
|
 |
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
P.GUILLAUME
(シルバー) |
| 製作地 |
BRUXELLES |
| 価格 |
787,500円
(税抜750,000円) |
|

 |
P.GUILLAUMEのシルバーの中でもゴールドに近い性能のものです。P.GUILLAUMEのオリジナルケースをお付けします。
※下段のケース写真をクリックすると拡大画像が表示されます。
 |
Pierre Guillaume氏はブリュッセルを拠点に活躍する現代最高の弓製作者です。彼はフランスで、C.A.Bazin、L.Morizot、J.Ouchard達に師事し、1980年にJack
Bernardにその才能を見出されました。1986年、楽器製作者Jan Strickと共にMaison
Bernardの工房を引継ぎました。
左:Pierre Guillaume氏(「LES LUTHIERS FRANCAIS」より転載) |
現在はブリュッセルのアトリエで、ヴァイオリンやチェロ用の弓を製作しています。彼は弦楽器・弓製作マイスター国際同盟(EILA)会員であり、オールド弓の研究・鑑定ならびに修理・修復、弓製作者の育成でも中心的な役割を果たしています。
また、彼は最良のヘルナン材(フェルナンブコ材)だけを使用し、材料を選択するために彼自らブラジルを定期的に訪問し、豊富な材料をストックしているそうです。彼はIPCI(「国際ペルナンブコ保護運動」=弓用材料を産出する森林保護を推進する協会)でも活躍しています。
彼の技術は現代において卓越したものであり、素晴らしい性能と完璧な仕上げによる美しさで非常に高い評価を得ています。またオールド弓の鑑定でも超一流とされ国際的に評価されています。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
NURNBERGER SCHOOL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
|
 |
重量は61.5gで標準的です。こしのある良い材料を使用しています。状態良好。
証明書はこちら(添付画像)
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
|
| 種類 |
Vn Bow3/4 |
|
|
| ラベル |
HARTMUT KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
241,500円
(税抜230,000円) |
|
 |
KNOLL社の当代Hartmut Knoll氏製作の3/4用弓です。分数3/4用弓で良いものをお探しの方にお薦め。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
 |
Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。
左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載) |
Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。
Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred
Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。
Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。
|
| 種類 |
Vn Bow 1/2 |
|
|
| ラベル |
VINCENT |
| 製作地 |
FRENCH LYON |
| 価格 |
応談 |
|

 |
JEAN FRANCOIS DABER工房のVINCENT(Franck Vincent)シリーズで、2005年ぐらいの作品です。フレンチの1/2弓は国内では珍しいです。良い弓なので、コンクール出場を目指すお子様にお薦め。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jean Francois Daber(ジャン・フランソワ・ダベール)
ダベール工房は、Jean Schmittによって1981年に創業されたリヨンの弓メーカです。現在はVincent TricouとGilles Sauraisによって率いられています。
世界中の最も優秀な演奏家達が自身の芸術的感性の最も深い部分を表現し、また彼らの楽器から最高のものを引き出すことを支援できるよう二人は目指しています。工房は、経験豊富な弓メーカと職人達のチームが持つ技術力により高く評価されています。
Vincent Tricouは、現代フランスで最も優れた弓製作者の一人です。彼は1981年にダベール工房で弓製作のの道へ入り、18年間に渡り職人チームを指導してきました。その後、彼は独立し自らの工房を開きました。現在は、ダベール工房に戻って働いています。彼は、量産と品質の双方は、フランチ弓製作の伝統による最も過酷な基準に直面すると見なしています。彼は卓越した弦楽器奏者でもあり、ありとあらゆる弓を自ら試し、演奏家の需要を確実に満たせるように調整します。ソリストに用いられる弓の場合、彼は弓の音響的特性と、素晴らしい楽器本体に一体化させる方法について特別の注意を払います。
Gilles Sauraisは、工房経営の重役の地位にあり、会社の顧客管理を担当し、ダベール工房製品を弦楽器メーカが販売促進する際の支援をしています。彼は弦楽器メーカの名匠達と会う一方、オーダメードの弓を入手したがっている演奏家達にも会います。また、彼は全ての原料仕入先管理も担当し、工房が発注したもので最上級のもののみを確実に仕入れるようにしています。彼は、木材の選択で吟味を重ねています。
タベール工房の弓には以下に記す4つのシリーズがあり、入門者向け製品からソリストレベルの最上級者製品まで提供しています。
|
Franck Vincent
Nicolas Delaune
Jean-Francois Daber
Jean-Francois Daber - Vincent Tricou |
■JEAN FRANCOIS DABER工房の公式サイト
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1128 |
| ラベル |
L.MORIZOT |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
840,000円
(税抜800,000円) |
|

|
LOUIS MORIZOT工房の1945年頃の作品。しっかりとしており、濃い音が出ます。
MORIZOTとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis
Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
LOUIS BAZIN |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
|

 |
LOUIS BAZIN工房の1910年頃の作品。全てオリジナルのままで、パーフェクトな状態です。
BAZINとしては、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Louis Bazin(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン)
1881年、ミルクール生まれ。Charles Nicolas Bazin IIの三男です。(長男Gustave Bazinは弦楽器製作者、次男Emile Joseph Bazinは弓製作者になりました)
12歳の頃より、父親から弓製作を学びBazin工房で働き始めました。1907年、26歳で父親の工房を継承しました。1915年頃までに、工房移転や、多数の職人を雇っての規模拡大などを行いましたが、第一次世界大戦で召集されて製作活動の中断を余儀なくされました。
1918年に復員し、製作活動を再開しました。1921年頃には、新たに大勢の職人を雇い、さらに大量の注文に応じるようになりました。しかし、ミルクールの弦楽器産業の衰退傾向と並行して、1936年頃には工房の職人が4人にまで減ってしまいました。1951年、71歳で引退し、1953年11月に亡くなりました。
彼は父親同様、大勢の弟子を育てたことで高く評価されています。しかし、彼自身の作品は父親ほどの評価はうけていないようです。なお、彼には息子が二人いましたが、長男Rene Bazinは弦楽器製作者、次男Charles Alfred BazinはBazin工房で修行し弓製作者になりました。
Charles Nicolas Bazin II(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン2世)
ミルクール生まれ。父親は弓製作者Francois Xavier Bazin。少年時代に父親の工房に入り働き始めました。1865年頃、父親が亡くなったため、父の友人だったClaude Charles Nicolas Husson(1823-1872)の支援を受けながら、若くして工房を引き継ぎました。その後もミルクールで製作活動を続け成功をおさめるとともに、Charles Louis Bazin(1881-1953 彼の三男)、 Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク 1872-1933)、Louis Joseph Morizot(ルイ・ジョゼフ・モリゾー 1874-1957)など数多くの弟子を育てました。また弓ならびに楽器製作者の地位向上に努め、楽器製作学校の設立も目指しました(残念ながら彼の存命中には実現しませんでした)。人望も厚く、町議会の議員に選ばれたほどです。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
|
 |
H.R.PFRETZSHNER本人によるオリジナル、1890年頃の作品です。非常に優れたものです。楽器の性能を自然に引き出してくれる弓で、濃い音色を出すことができます。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Hermann Richard PfretzschnerはMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
JPO-1072 |
| ラベル |
H.SCHICKER |
| 製作地 |
BAIERSDORF |
| 価格 |
応談 |
|
 |
現代ヨーロッパの代表的弓メーカの一つ、HORST SCHICKERの2005年頃の作品です。フロッグがべっこう製で、良い弓です。シャープな音をお求めの方にお薦め。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
 |
Horst Schicker
Horst Schicker(ホルスト・シッカー)氏の弓は最高度の精度と細心の注意をもって作られた完全ハンドメイドです。このことは、全ての弓に作者がした署名で保証されています。
弓製作者としての彼のキャリアの根本は、ほとんどが彼が生まれ育った"Bohemian Music Area"と呼ばれる地域(チェコ共和国のEger近くにあるFassattengrun)にあります。
彼は、ドイツの弦楽器製作の中心地であるブーベンロイトで教育を受け修行しました。見習いとして長年働いた後、独立した弓製作職人になる試験に合格、ニュルンベルクの商工会議所から認定されました。
1971年に自身の弓製作会社"HORST SCHICKER"をブーベンロイト近くのBaiersdorfで創立。1980年からは、エルランゲンの弓製作者審査委員会の名誉会員も務めています。 |
Michaela Schicker
Michaela Schicker(ミカエラ・シッカー)氏は、Horst Schicker氏の娘です。1987年から1990年まで、ブーベンロイト近くのBaiersdorfで、父Horst
Schickerから弓製作技術を学びました。彼女は修行を終えた後も家族の工房で働き続けています。1994年、"HWK
Nueremberg"が主催する弓製作の職人試験に彼女は合格しました。彼女は試験に合格した最初の女性の一人です。合格の後、彼女は自身が製作した弓に"MICHAELA
I. SCHICKER"と刻印しています。
彼女の弓の仕事は、彼女が学んだ工房の「ドイツ派」の特徴を示しています。彼女の個々の作品ならびに全体に共通する形において、彼女自身の個性が明らかに表れているにも関わらず、父親による訓練の影響を依然として見ることができます。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1164 |
| ラベル |
CORNELISEN |
| 製作地 |
NETHERLANDS |
| 価格 |
応談 |
|
 |
日本国内では珍しいオランダ製の弓です。フレンチ弓の流れをくみ、フレンチに匹敵する品質と性能のもの。フレンチ弓と同等のものをリーズナブルな価格でお探しの方にお薦め。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
PECCATTE SCHOOL |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
|

 |
ペカット派の1890年頃の作品です。状態は完璧。バランスが良く、歯切れの良い音を出すことができます。コシは強め。反応が良い弓です。フロッグはビヨームスタイルとなっています。
証明書はこちら
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Francois Peccatte(シャルル・フランソワ・ペカット 1850-1918)
父Francois Peccatte(1821-1855)は19世紀の弓製作の巨匠Dominique Peccatte(1810-1874)の弟です。父は弓製作において兄にひけをとらない才能を発揮し、兄の工房で共に製作活動を行いましたが34歳で夭折しました。そのため叔父Dominique Peccatteの影響を強く受け、兄弟の中でただ一人弓製作の道に入りました。
ミルクールに生まれましたが、彼が生まれた翌年に一家はパリに移住。父が亡くなった後、一家は経済的に困窮したようです。彼の少年時代、弓製作者Auguste Lenobleが義父となり、彼は義父の下で修行を開始しました。間もなく15歳で、Jean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の工房に弟子入りしました。叔父Dominique PeccatteがVuillaume工房で働いていたことがあった縁もあったようです。彼はこの工房で指導的な役割を果たしていたFrancois Nicolas Voirinから指導されて急激に才能を開花させました。20歳になる頃から数年間、兵役に出たり他の仕事をしたりして弓製作のペースが落ちたり、義父に半ば利用されるような形で義父の工房で働いたりしていたようです。母が亡くなったタイミングで義父と絶縁した頃から彼の技術が認められるようになりました。30代半ばからは複数のコンクールで受賞するようになり、以後、1918年に亡くなるまで高品質の弓を大量に作り続けました。Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)が彼の工房に出入りして時期があったことも知られています。
Dominique Peccatte(ドミニク・ペカット 1810-1874)
Frabcois Xavier Tourte(1748-1835)と並ぶ19世紀の巨匠です。1810年、鬘職人の長男として生まれ12歳頃から美容師の修行を始めましたが、じきに弦楽器製作の興味を持つようになりました。1826年頃、当時のフランスで弦楽器ならびに弓製作で指導的な役割を担っていたJean Baptiste Vuillaume(1798-1875)の工房に入り、弓製作の修行を開始しました。弓製作の技術指導は同じ工房にいたJean Pierre Persoit(c1783-1854?)がVuillaumeより依頼されて行いました。1839年頃、Francois Lupot U世(1774-1838)の工房を継承しました。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1123 |
| ラベル |
EUGENE NICOLAS SARTORY |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
|


 |
Eugene Nicolas Sartory本人のオリジナル、1910年頃の作品です。サルトリの中で最高級品で、状態も抜群に良い逸品です。どのような楽器に対しても柔軟に最良の音を弾きだすことができる卓越した性能を持っています。プロ奏者の方にも自信を持ってお薦めできます。
証明書はこちら
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
楽器ひとくちメモ:
SARTORY
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GLA-0002 |
| ラベル |
A.PRACALOSSI |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
A.Pracalossi氏の作品。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的。この弓についてはリーズナブルな価格でご提供できます。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
A.Pracalossi
現代ブラジルの弓製作者だと思われますが、現時点では情報を確認できていません。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1222 |
| ラベル |
ARNOLD VOIGT |
| 製作地 |
GERMANY MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
|

 |
ARNOLD VOIGTの1910年頃の作品です。
状態は完璧。スティックの断面は八角形。パーツはシルバーで、フロッグにはARNOLD VOIGTのマークがあります。バランスが良く弾きやすい弓です。こしはしっかりしています。重量は60gで標準的。
証明書あり
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Arnold Voigt(1864-1952、アーノルト・フォークト)
1864年、マルクノイキルヘンで生まれました。同地のHeberlein(ヘバライン)一族の工房に弟子入りして修行。1885年から1890年までの5年間ロンドンに在留し製作活動を行いました。その後、故郷マルクノイキルヘンに戻り、1890年から1927年まで工房を構え、その地で亡くなりました。非常に多数の弦楽器を制作し、クレモナの名器とりわけストラディバリウスモデルの優れた模倣を行いました。一方で、弓も製作しており、卓越した弓製作者として高く評価されていました。彼は科学的なやり方を厳密に守りました。彼は自分が手にして作業しているものに対して、はっきりした明確な考えを持っており、あらゆるグレードの楽器で平均的演奏者の要求を満たすものを製作しました。彼独自の調合によるオイルと精製されたニスを用い、前者は薄く用いられ後者はたいがい黄色みがかった色合いのものです。音質は多少硬めなものですが、演奏者の好みに応じ自在な音量で奏でることができると評価されています。
フォークト(Voigt)という名称は、マルクノイキルヘン最古の名門バイオリンメーカの一つで、ザクセン(Saxony)で300年以上に渡って続いてきた一族のものです。フォークト一族は、ロンドンを拠点とした同名の工房と結び付けられて考えられることが多いですが、一族がドイツのルーツを断ち切ることが決してなかったのは事実です。イギリスにおいてフォークトの弓はW.E.Hill&Sonsの強力なライバルで、品質で甲乙つけがたいものでした。弦楽器製作者としてのフォークトは本当に大きな一族で、フランスの弦楽器研究の権威Rene Vannes氏(1888-1956、ルネ・ヴァンヌ)は、43件にもおよぶ同名のメーカーを列挙しています。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1220 |
| ラベル |
E.M.PENZEL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
|

 |
E.M.PENZELの1910年頃の作品です。
状態は良好。スティックの断面は八角形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしはしっかりしています。重量は61gで標準的。
証明書あり
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Emil Max Penzel(1887-1953、エミール・マックス・ペンツェル)
PENZEL工房の創始者です。初期の弓は、当時、業界をリードしていたLAMYのものに準拠していました。しかし、間もなく彼は独自のデザインを発展させ、やがて
"E.M.Penzel"の商標を確立しました。
■PENZEL工房
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1221 |
| ラベル |
A.E.PRAGER |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
|

 |
A.E.PRAGERの1925年頃の作品です。
状態は良好。スティックの断面は八角形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしはしっかりしています。重量は60.5gで標準的。
証明書あり
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
August Edwin Prager(1875-1956、アウグスト・エドウィン・プラガー)
弓製作技法を父Friedrich Wilhelm Pragerから学びました。修行期間を終えた後、彼は、ライプツィッヒの有名なLudwig
Bausch工房で働きました。世紀の変わり目にシェーンリント(Schonlind)で独立して働き始めました。1930年にマルクノイキルヘンに移り、優れた弓を作りました。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1219 |
| ラベル |
ERNST LIEBICH |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
|
 |
ERNST LIEBICHの1930年頃の作品です。
状態は良好。スティックの断面は円形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め。重量は61gで標準的。
証明書あり
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Ernst Liebich T(1796-1876、エルンスト・リービッヒ)
Ernst Liebich U(1830-1884、エルンスト・リービッヒ)
Ernst Liebich Tの息子。
Ernst Liebich(1862-1895、エルンスト・リービッヒ)
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
GST-1223 |
| ラベル |
MORIZOT BRANDED "A.DEBLAYE" |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
|

 |
MORIZOT工房が1930年頃にA.DEBLAYE工房に提供したものだと思われます。
状態は良好。スティックの断面は円形。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め。重量は595gでやや軽めです。
証明書あり
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Albert Joseph Deblaye(1874-1929、アルバート・ヨゼフ・デライェ)
1874年、ミルクール近くのブズモン(Bouzemont)で生まれました。1897年から1900年にかけて、複数のパリの工房で働き、その後、トゥールーズ(Toulouse)のGautier工房で働きました。1900年、ミルクールで独立開業しました。1922年にDeblaye−Meunier合併工房の技術責任者になりました。1929年に亡くなりました。彼は、品質と価格の段階に応じた複数のモデルの弦楽器を製作しました。
Louis Joseph Morizot(1874-1957、ルイ・ジョゼフ・モリゾー)
弓製作の巨匠Eugene Nicolas Sartory(1871-1946、ユージン・サルトリ)に師事。独立後はサルトリのライバルとして活躍した、フランスを代表する弓専門の大作家です。彼の弓は、技術と品質ならびに材料で非常に優れており、現在も多くの演奏家に高く評価されています。彼には6人の息子がおり、1人は弦楽器製作者、他の5人は弓製作者になりました。5人の息子達は父の工房を引き継ぎ、兄弟で協力して大量の弓を作りました。
Louis Joseph Morizotは、1874年にフランスのDarneyで生まれました。父親は金属加工の職人で、母親は弓製作者Nicolas Maline(182-1877)の妹です。Louis MorizotはCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)で弓製作を学びました。1901年、Charles Nicolas Bazin II(チャールズ・ニコラス・バザン2世 1847-1915)の工房に弟子入りし、研鑽を積みました。
1914年にBAZIN工房を出て、Eugene Nicolas Sartory(1871-1946)の助手になりましたが、第一次世界大戦により制作活動を一時中止せざるを得ませんでした。大戦後、Sartoryの助手として製作活動を再開。
1919年、45歳の時に独立し、ミルクールに自分の工房を持ちました。その後、息子達が工房を手伝い始め、1925年頃には息子達と協力して大量の弓を製作し、工房の名前を世に知らしめました。1927年、職人競技大会"Artisanale"で優勝。
1933年、息子達と工房を共同経営するようになり、工房の名前を"Louis MORIZOT &fils"に変えました。
視力の衰え等により1947年に弓製作の第一線から引退し、息子達のサポート役に回りました。1957年、83歳で亡くなりました。
Louis MorizotがEugene Nicolas Sartoryから独立した後、両者が協力し合うことは一切無かったようです。その理由は、Louis Morizotがかってサルトリ工房で助手を勤めていたことを自己宣伝に使ったため、両者の年齢が近かったこともあって、サルトリが不快感をもち、対立に近い関係になってしまったためだとされています。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
ALBERT NURNBERGER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
|

 |
NURNBERGERのオリジナル作品です。状態は完璧。重量は標準、こしは強めです。非常に弾きやすい弓です。円高メリットで比較的リーズナブルな価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
NURNBERGER一族の製作者の多くが、自分の作品に"Albert Nurnberger"の刻印を押しました。一族の作品は、初期のものの方が後代のものよりも優れています。一族の作品の中には、工房の違い以上に多様なものがあります。
Franz Albert Nurnberger T(1826-1894、フランツ・アルベルト・ニュルンベルガー)
Franz Albert Nurnbergerは、マルクノイキルヘンの弓製作者で重要人物の一人です。しかし、彼の作品を識別するのは非常に難しいとされています。
弓製作者としての訓練を、父Karl Gottlieb Nurnberger(1793-1868、Christian Gottlob Nurnberger。Johann Georg Nurnbergerの息子。1824年に弓製作業を始め、弓製作者一族Nurnberger一族の創始者です)よりうけました。
一族の記録によれば、父Christian Gottlob NurnbergerはC.W.Knopf工房で修行したようです。早くも1823年に、Christian Gottlob Nurnbergerはマルクノイキルヘンの住所録に弓製作者として登録されています。彼は弓製作者の名門一族"Nurnberger"の創始者として認められています。
Franz Albert Nurnbergerが最初に住所録にあらわれるのは1853年で、その後、1888年に弓製作者組合の主要リーダで創設者の一人として記録されています。彼はBauschの下で仕事を学んだと推定されています。マルクノイキルヘンで弓製作学校を創設し、そこで25年間に渡って教えました。
Johann Christoph Nurnberger (1839-1899)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。VuillaumeやPhilipp Paulの工房で5年間働き、1897年にマルクノイキルヘンで自身の工房を構えました。
Franz Albert Nurnberger U(1854-1931)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。父の下で修行し、父と共にマルクノイキルヘンで働きました。1880年頃に自身の工房を開きました。彼の工房は当時のドイツで最高の弓を製作しましたが、その作品はフレンチモデルに基づいたものでした。最も良く用いたのがTourte、Vuillaume、Voirinモデルでしたが、James
Tubbsの優れたコピーも作りました。彼の代で"Albert Nurnberger"ブランドが確立したと言って良いでしょう。
彼はドイツ最高の弓製作者であると高く評価され、世界で最も傑出した弓製作者の一人になりました。Albertとして知られ、Nurnberger一族の中で最も偉大な製作者でした。
第一次世界大戦前(そして大戦後から彼が亡くなる1931年までも同様)に、NurnbergerはW.E.Hill & Sonsと並び競い合う規格となり、世界最高の弓製作工房となっていました。David OistrakhやFritz Kreislerを初めとした巨匠達も、彼の弓を愛用しました。
彼のブランドは息子であるKarl Albert Nurnberger(1885-1971)によっても用いられました。
現在、彼の弓には非常に高い人気があります。1931年以前に作られた彼ののオリジナルは貴重かつ高水準の品質で、高い価格がついています。
H.Robert Nurnberger(1862-?)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。Karl PfretzschnerならびにベルリンのTh.Heberleinの工房で働きました。
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
JEAN PASCAL NEHR |
| 製作地 |
MARSEILLE |
| 価格 |
応談 |
|

 |
1998年頃の作品だと思われます。ヘルナンボクの良い材料を使用しています。弾き易い弓です。重量は標準的。コシは強め。シルバー。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jean Pascal Nehr(1957-、ジャン・パスカル・ネル)
1957年生まれ。1974年、ミルクールの学校で弓製作者Bernard Ouchard氏(1925-1979)の下で修行を開始しました。1977年夏に修了。その後、パリで自分の工房を開き、弦楽器製作者の依頼で弓の修理修復を行い、Voirinに触発された彼自らの弓も製作しました。
1986年から1990年にかけ、自分の工房を移すまでの間、マルセイユのHommel氏の工房で働きました。ミッテンバルト(1989年)やマンチェスター(1992年)の展示館、1997年のDiplomas of Meilleur Ouvrier de Franceなど、国内外で受賞し高く評価されました。
現在も、南仏の港湾都市マルセイユ(Marseille)を拠点に、19世紀初頭のフレンチ弓(とりわけTourteモデル)により刺激された弓製作を行っています。
■Jean-Pascal NehrArchetier d'art Bowmaker
|
| 種類 |
Vn Bow |
|
|
| ラベル |
FRANCOIS LOTTE |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Francois Lotteの1950年頃の作品。重量は60.5gで標準的。コシは強め。バランスが良く、弾きやすい弓です。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Francois Lotte(1889-1970、フランシス・ロッテ)
ミルクール生まれ。父Georges Lotteは弦楽器製作者で、J.B.VUILLAUME工房の下請けもしていました。Francois Lotteは、1919年に高名な弓製作者・Emile Auguste Ouchard(1900-1969)の姉と結婚しました。BAZIN工房で修行を重ね、1922年頃からCUNIOT-HURY工房(Eugene Cuniot、1861-1910)の工房で働きました。1925年頃、CUNIOT-HURY工房を出て別の弓製作者と共同経営の工房を開きましたが上手くいかなかったようです。1926年に彼単独の工房をミルクールで開きました。1956年、息子Roger Francois Lotteに工房を譲り、1960年に71歳で引退しました。1970年3月、81歳で亡くなりました。
彼は大量に弓を作りましたが、その中には非常に優れた作品もあります。
Roger Francois Lotte(1922-1989)
父親の下で修行し、1956年に工房を継承しました。
|
| 種類 |
Baroque Vn Bow |
|
GST-1099 |
| ラベル |
TOURTE MODEL |
| 製作地 |
ENGLISH |
|
 |
| 種類 |
Vla Bow |
|
GST-0021 |
| ラベル |
W.E.HILL&SONS |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
応談 |
|


 |
W.E.HILL&SONS工房の最高級品です。状態が抜群に良いです。バランスが良く、こなれた良い弓です。チップ底面に点2つの刻印があります。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
| Arthur Scarbrow(?-?) |
チップ底面に数字の0 |
| Arthur Copley (1903-1976) |
チップ底面に数字の1 |
| Edgar Bishop (1904-1943) |
チップ底面に数字の2 |
| Albert Leeson (1904-1946) |
チップ底面に数字の3 |
| Leslie Bailey (1919-?) |
チップ底面に数字の4 |
| Arthur J Barnes (1888-1945) |
チップ底面に数字の5 |
| Arthur Bultitude (1908-1990) |
チップ底面に数字の6 |
| William Watson (1930-) |
チップ底面に数字の7 |
| Malcolm M Taylor(?-?) |
チップ底面に数字の8 |
| Arthur Brown(?-?) |
チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX |
| William C Retford (1875-1970) |
チップ底面に点が1つ |
| William R Retford (1899-1960) |
チップ底面に点が2つ |
| Frank Napier (1884-?) |
チップ底面に三つ葉模様 |
| Sydney Yeoman (1876- 1948) |
ヘッド接合面の下部に1本の刻み目 |
| Charles Leggatt (1880-1917) |
ヘッド接合面の中央に二本の刻み目 |
| William G Johnston (1860-1944) |
ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目 |
| Sam Allen (1838-? ) |
印無し |
| William Napier (1848-1932) |
メーカ名刻印無し |
| James Tubbs (1835-1921) |
W E Hillの刻印(二つあるものも見られる) |

チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。 |

スティック下面の刻印。
|
| ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
|
| 種類 |
Vla Bow |
|
GS-1047 |
| ラベル |
F.PECCATTE |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
|
 |
F.PECCATTE工房の作品です。状態は完璧。バランスが良く、こしは強めです。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
| 種類 |
Vla Bow |
|
GST-0009 |
| ラベル |
PAJEOT SCHOOL |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
|
 |
国内では珍しいPAJEOT工房の作品です。切れの良い音を出すことができます。
この弓については、お手頃な価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
| 種類 |
Vla Bow |
|
GLA-0011 |
| ラベル |
MANOEL FRANCISCO |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Manoel Francisco氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しており、ねばりがあるクリアな音が出ます。バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は71gで標準的。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Manoel Ribeiro Francisco
現代ブラジルを代表する弓製作者の一人で、1995年にこの道に入り働いています。経験豊富な弓製作者であり、ブラジルのウォータ・バイオレット・ボー社(Water Violet Bows)の品質管理責任者として10年間働きました。ビトリア(Vitoria-ES Brazil)の近くに自身の工房をもっており、弓製作者として働き続けています。彼は疑いなくブラジル最高の弓製作者の一人です。彼の弓は、その弾きやすさと美しさで世界的に知られています。美しい仕上げと驚嘆すべき職人技が彼の弓の特徴とされています。ブラジルで作られたヘルナンブコ材の弓で最高級品の一つであることは間違いありません。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
Vla Bow |
|
GLA-0010 |
| ラベル |
DE MARCHI |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Willian De Marchi氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。芯がしっかりしており、バランスが良く弾きやすい弓です。こしは強め、重量は71gで標準的。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Willian De Marchi
2005年より活動開始した弓製作者で、素晴らしい弓を製作してきました。"Water Violet Bows"の工房で弓製作者としてのキャリアを開始し、非凡な技量を身につけました。イタリアやフランスの弓製作工房でも働きました。彼は、2008年、ブラジル人初のアメリカ弦楽器協会技能証書(Certificate of Craftsmanship from the V.S.A of the United States)を受賞する栄誉に浴しました。
彼はまた、古いフランス弓についてあらゆるモデルおよび様式の非常に正確なコピーも製作しています。
■V.S.A:The Violin Society of America
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
Vla Bow |
|
|
| ラベル |
JEAN PASCAL NEHR |
| 製作地 |
MARSEILLE |
| 価格 |
応談 |
|

 |
1998年の作品です。ヘルナンボクの良い材料を使用しています。バランスが良く、とても弾き易い弓です。重量は標準的。コシは強め。ゴールド。プロ奏者にもお薦めです。
Nehr氏本人の証明書付き。
証明書はこちら。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jean Pascal Nehr(1957-、ジャン・パスカル・ネル)
1957年生まれ。1974年、ミルクールの学校で弓製作者Bernard Ouchard氏(1925-1979)の下で修行を開始しました。1977年夏に修了。その後、パリで自分の工房を開き、弦楽器製作者の依頼で弓の修理修復を行い、Voirinに触発された彼自らの弓も製作しました。
1986年から1990年にかけ、自分の工房を移すまでの間、マルセイユのHommel氏の工房で働きました。ミッテンバルト(1989年)やマンチェスター(1992年)の展示館、1997年のDiplomas of Meilleur Ouvrier de Franceなど、国内外で受賞し高く評価されました。
現在も、南仏の港湾都市マルセイユ(Marseille)を拠点に、19世紀初頭のフレンチ弓(とりわけTourteモデル)により刺激された弓製作を行っています。
■Jean-Pascal NehrArchetier d'art Bowmaker
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GDA-1154 |
| ラベル |
T.G.ACKER |
| 製作地 |
GERMANY |
|
 |
| 種類 |
VC Bow |
|
GAN-1122 |
| ラベル |
H.W.Prell |
| 製作地 |
FRENCH |
|
 |
Prellはドイツ人ですが、サルトリの工房でも仕事をしていました証明書はフランス製になっておりサルトリの特徴を持っていますが、Prellの刻印が残っている非常に珍しい弓で価格も手頃です。質的にはサルトリと同等品です。
証明書はこちら |
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
367,500円
(税抜350,000円) |
|
 |
 |
1970年頃の作品です。良い材料を使用しており、完璧な状態です。スティックの断面は八角形で底面が若干広め、PFRETZSHNERオリジナルの形態です。
特別価格でご提供します。この価格帯のものをお探しの方はお早めにお問合せください。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GST-1046 |
| ラベル |
J&A BEARE |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
1,365,000円
(税抜1,300,000円) |
|
 |
1900年頃の作品です。BEARE社がHILL工房に製作を委託したものの一本で、これらについてはヨーロッパでは通称Hill-Bowとして知られているものです。スティックの断面は八角形、リングはシルバーです。状態は非常に良好。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
J&A BEARE(John & Arthur Beare)
J&A BEARE社は、1892創業の有名な楽器商です。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
HARTMUT KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
315,000円
(税抜300,000円) |
|
 |
KNOLL社の当代Hartmut Knoll氏の2007年作(一つ星)です。腰がしっかりしています。お手頃な価格で良い弓をお探しの方にお薦め。
KNOLL社オリジナルクロス附属。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
 |
Knoll(クノール)社は1932年創業、現在まで三代に渡り続いている弓製作工房です。ドイツ中部にあるRegnitzlosauにあります。
プロ演奏者用から入門者用まで、良い材料を使ったハンドメイドによる高品質の弓を提供しています。
左:Hartmut Knoll氏(KNOLL社資料より転載) |
Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。
Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred
Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼lは工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。
Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。
|
| 種類 |
VC Bow3/4 |
|
|
| ラベル |
ALFRED KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
105,000円
(税抜100,000円) |
|
 |
KNOLL社の初代Arfred Knollの作品です。3/4用で、しっかりした良いものをお探しの方にお薦めします。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Alfred Knoll(1909-1980)
Knoll(クノール)社初代です。Prexで弓製作を学び、技能資格を得た後、1932年にOberprex(Regnitzlosau)で家族経営のKnoll工房を創業しました。
Hartmut Knoll(1937-)
Hartmut Knoll氏は1937年に生まれ、1953年から1955年までの間、父の工房で修行しました。修行終了後、当時より10人の職人を雇うまでになっていた父の工房で働きました。1966年、ニュルンベルクHWK(Handwerkskammer)の援助を受けて弓製作者としての技能資格を取りました。1977年に工房の経営を引き継ぎ、「Alfred Knoll Bogen-Fabrikation」の名で今日も知られるKnoll社を築き上げました。
彼は工房の経営と品質管理に努める一方、自身の作品も作り続けています。コンクールにも数多く出展し、高い評価を得ています。1983年に、Wiesbadenで行われたGeorg-Hesse-Stiftungコンクールで金賞を受賞しています。
Gerald Reinhard Knoll(1968-)
Hartmut Knoll氏の息子でKnoll社三代目です。1985年、ミッテンバルトの弦楽器製作学校に入り1988年に修了。1990年から2年間、父の工房で修行しました。彼は父の元で長く修行しましたが、DresdenのC.Hans-KarlSchmidtの下で学んだことも重要な影響を与えているようです。ミッテンバルトとマンチェスターのコンクールで良い評価を得ました。1999年にはパリの国際コンクールで特別賞を受賞しています。1998年にChemnitzのHWKで弓製作者の技能資格を得ました。その後、彼は父の工房で、彼自身の名前で製作活動を続けています。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GAN-1119 |
| ラベル |
A.LAMY |
| 製作地 |
FRENCH |
| 証明書はこちら |
|

 |
世界的に有名なLAMY工房の名品です。状態が抜群に良く、完璧と言ってもいいと思います。どの楽器にもマッチします。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、少年時代にClaude Charles Nicolas Hussonの工房に徒弟に入り弓製作の修行をしました。その頃、同じ工房にClaude Charles Nicolas Hussonの息子Charles Claude Husson(1846-c1915)やJoseph Arthur Vigneronがおり、一緒に修行しました。1868年頃、パリ郊外シャトー・ティエリー(Chateau-Thierry)のPierre Louis Gautrotの工房へ移り、そこでJoseph Voirinと出会いました。
1876年頃にパリに出て、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。彼は19世紀から20世紀にかけ活躍した偉大な弓製作者の1人です。弓製作史上ではVoirinとSartoryを繋ぐ極めて重要な役割を果たしました。
なお、彼には5人の子供がいましたが、弓製作者になったのは三男Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)と、末っ子Georges Leon Lamy(1881-1915)の2人だけでした。弓製作者としてのLamy一族を代表する父親に対して、三男Hippolyte Camilleは長男、末っ子Georges Leonは次男と称されています。
Hippolyte Camille Lamy(1875-1942)
Aisneで生まれました。15歳頃より父Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の工房で本格的な修行を開始し、20歳頃には父親の助手として働いていました。1905年頃より独自のスタイルを徐々に追求し始めました。1910年に戦争で召集され製作活動を中断。召集解除後、父親の工房に戻りました。1919年、父親の死去により彼が工房を引き継ぎました。1830年頃、50歳台後半に入るにつれて視力が低下してしまい、作品にも影響が現れ始めているとされています。
彼は、夭逝した弟と異なり、独自の作風による作品を多く残しました。その評価は概ね父親のそれに次ぐものとされています。
Georges Leon Lamy(1881-1915)
1881年、パリで生まれました。兄Hippolyte Camille Lamyと共に父親の下で修行。その後、父の工房で助手として製作活動を続けました。1914年に第一次世界大戦で召集され、1915年に34歳で戦死しました。彼は生涯独身のままでした。彼の作品は父親のものと非常に良く似ており、共同作業で製作したものも多く、また父親の刻印のみを使用しました。若くして亡くなったことで作品が非常に少ない上に、このような事情で彼の手になるものも大部分が父親の作品と認識されてしまっているようです。
Alfred Lamy(1886-1922)
弓製作者Joseph Jean Baptise Lamyの息子。Joseph Alfred Lamy(1850-1919)の甥です。Charles Nicolas Bazin II(1847-1915)の工房で修行を開始。1901年、NancyのJacquot工房で働きました。1906年、Eugene Cuniot(1861-1910、通称CUNIOT-HURY)の工房へ移りました。1911年、CUNIOT-HURY工房から独立。1914年、戦争で召集され、毒ガスで負傷してしまいました。毒ガスの後遺症により帰還後も健康が回復せず苦労したようです。1919年頃には自分の工房を構えていたようですが、健康問題もあって商売はあまりうまくいかず、Laberteの下請けなどをして生活していたようです。1922年、36歳で夭逝しました。
彼は非常に少ない作品しか残せませんでしたが、残存するものは非常に丁寧に仕上げられた高品質のもので、高く評価されています。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
JPN-2665 |
| ラベル |
ALBERT NURNBERGER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
|
 |
NURNBERGERの1910年頃の作品です。状態は完璧。重量は軽め。こしがあり、しっかりした良い弓です。軽めなので、女性や小柄な方にお薦め。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
NURNBERGER一族の製作者の多くが、自分の作品に"Albert Nurnberger"の刻印を押しました。一族の作品は、初期のものの方が後代のものよりも優れています。一族の作品の中には、工房の違い以上に多様なものがあります。
Franz Albert Nurnberger T(1826-1894)
父はKarl Gottlieb Nurnberger(1793-1868。Johann Georg Nurnbergerの息子。1824年に弓製作業を始め、弓製作の名門Nurnberger一族の創始者です)。Bauschの下で仕事を学んだと推定されています。マルクノイキルヘンで弓製作学校を創設し、そこで25年間に渡って教えました。
Johann Christoph Nurnberger (1839-1899)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。VuillaumeやPhilipp Paulの工房で5年間働き、1897年にマルクノイキルヘンで自身の工房を構えました。
Franz Albert Nurnberger U(1854-1931)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。父の下で修行し、父と共にマルクノイキルヘンで働きました。1880年頃に自身の工房を開きました。彼の工房は当時のドイツで最高の弓を製作しましたが、その作品はフレンチモデルに基づいたものでした。最も良く用いたのがTourte、Vuillaume、Voirinモデルでしたが、James
Tubbsの優れたコピーも作りました。彼の代で"Albert Nurnberger"ブランドが確立したと言って良いでしょう。
彼はドイツ最高の弓製作者であると高く評価され、世界で最も傑出した弓製作者の一人になりました。Albertとして知られ、Nurnberger一族の中で最も偉大な製作者でした。
第一次世界大戦前(そして大戦後から彼が亡くなる1931年までも同様)に、NurnbergerはW.E.Hill & Sonsと並び競い合う規格となり、世界最高の弓製作工房となっていました。David OistrakhやFritz Kreislerを初めとした巨匠達も、彼の弓を愛用しました。
彼のブランドは息子であるKarl Albert Nurnberger(1885-1971)によっても用いられました。
現在、彼の弓には非常に高い人気があります。1931年以前に作られた彼ののオリジナルは貴重かつ高水準の品質で、高い価格がついています。
H.Robert Nurnberger(1862-?)
Franz Albert Nurnberger T世の息子。Karl PfretzschnerならびにベルリンのTh.Heberleinの工房で働きました。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
F.AUBRY |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
|

 |
お手頃な価格で、良いフレンチ弓をお探しの方にお薦め。円高の恩恵でリーズナブルな価格でご提供できます。お問合せはお早めに。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
AUBRY(オブリー)という姓の製作者は複数記録に残っていますが、Fで始まる名字の、もしくは"F.AUBRY"という刻印を記した弓製作者に関しては現時点で不明です。
AUBRYという姓の、ミルクールに関係した弦楽器製作者としては、George Aubry(1871-1936)、Joseph
Aubry(1873-1937)、Victor Aubry(1912-1944)達がいます。(以下、参照)
George Aubry(1871-1936、ジョージ・オブリー))
ミルクール生まれ。MennessonならびにBossard-Bonnel工房で働き、1910年にパリで独立しました。
Joseph Aubry(1873-1937、ジョセフ・オブリー)
ミルクール生まれ。父親はギター製作者でした。18歳頃まで家具製作と木工彫刻を学びました。1892年頃に弦楽器製作の道に進むことを決断しました。彼は、Gabriel Jacquet(1838-1908、JACQUET-GANDとして知られる)の下で修行したと考えられています。独立するまでの間、ミルクールの二大工房(最初にJ.T.LAMY工房、次にMARC LABERTE工房)で職人頭を務めました。
その後、1922年にミルクールで独立して自身の工房を構えました。一方、1921年、彼の楽器が持つ完璧な音響が評価され、パリで第一級資格を得ました。翌1922年、メッツの博覧会でも最高名誉賞を得ました。1926年から1927年頃にかけてルアーブル(La Havre)に移りました。
Victor Aubry(1912-1944、ビクター・オブリー)
ミルクール生まれ。Joseph Aubry(1873-1937)の息子。ルアーブル(La Havre)の父親の工房で共に働きました。1941年にサン・フィリベール(St.Philibert)に移り、1944年に若くして亡くなりました。相当数の弦楽器を製作しましたが、いくつかは豊かな音色を持ち、所有者から高く賞賛されました。
なお、Francois Aubry(ミルクールでの活動期間=1758-1775)という製作者もいたようですが、詳細は不明です。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
H.R.PFRETZSHNER |
| 製作地 |
MARKNEUKIRCHEN |
| 価格 |
応談 |
|
 |
フレッチナー工房の1920年頃の作品です。良い材料を使用しており、完璧な状態です。重量は82gで標準的。こしがしっかりしています。弾きやすい良い弓です。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Hermann Richard Pfretzschner はMarkneukirchenの弓工作技術を父であるCarl Richard Pfretzschnerから習いました。1874年の1年間、彼はパリのJ.B.Vuillaume(1798-1875)の工房で働きました。この比較的短い修行期間は、彼自身のキャリアだけではなく、ドイツの弓製作全体にも影響を与えました。
1880年、彼はMarkneukirchenで自分の工房「H.R.PFRETZSHNER」を開き、1914年に息子達HermannとBertholdに引き継ぐまでの間、数々の名誉ある称号を授けられるなど、大変大きな成功をおさめました。息子達も父親の技術をきちんと継承し、「H.R.PFRETZSHNER」の名を守りました。
現在は弟Bertholdの孫が「H.R.PFRETZSHNER」を受け継ぎ、現在でも非常に高品質の作品を産み出し続けています。
"H.R.PFRETZSHNER"一族系図はこちら
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
GUSTAV WUNDERLICH |
| 製作地 |
GERMANY LEIPZIG |
| 価格 |
応談 |
|
 |
Gustav Wunderlichの1920年頃の作品です。重量は軽めで、こしが強めです。明るく粘りのある音が出ます。良く鳴ります。
女性や小柄な方にお薦めの軽めの弓です。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Gustav Wunderlich(1872-1937、グスタフ・ヴンダーリヒ)
1872年生まれ。シェーンバッハ(Schonbach)のKarl Kohlerの弟子です。ベルリンで働き、1897年にライプツィッヒへ移住しました。
弦楽器製作では、デザイン・細工・ニスについてクレモナの名器を模倣しました。1926年に新作の弓でパテントを得ています。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
MILLANT |
| 製作地 |
PARIS |
| 価格 |
応談 |
|
 |
MILLANT工房の2002年作です。重量は標準より若干重めですが、弾きやすい弓です。くせがなく、フレンチトーンの音が出ます。
円高メリットで比較的お手頃な価格でご提供できます。現代フレンチ弓の良いものをリーズナブルな価格でお探しの方にお薦め。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Bernard Millant(1929-)
パリで活動する世界的に有名な弓製作者で、Max Millantの息子。ペカットモデルが特に高く評価されており、20世紀フレンチ弓の巨匠Jean Jacques Millant(1928-1998)氏の従弟にあたります。ミルクールのAmedee Dieudonne工房で弦楽器製作を学び、Louis Morizot工房でMorizotの息子達とともに弓製作を学びました。現代フレンチ弓のマエストロ・第一人者として高く評価されています。従兄のJean Jacques Millant氏の作品もそうですが、Bernard Millant氏の作品はプロ演奏家達に支持され、愛用する演奏家が多数います。また、一流フレンチ弓に関する確かな証明書により鑑定家としても高く評価されています。
Jean Jacques Millant(1928-1998)
1928年、パリで生まれました。父親Roger Millantは弦楽器製作者で、パリで自分の工房を持っていました。第二次世界大戦終了後の18歳頃、ミルクールのLouis Morizot工房で2年間ほど修行しました。その後、パリに戻り父親の工房で働き始めました。1951年に独立しパリで工房を開きました。1970年、フランス最優秀職人賞を受賞し、同賞の審査員になりました。20世紀のフレンチ弓を代表する卓越した製作者の一人であり、フレンチの伝統を正当に継承しながらも自らの個性を発揮した優れた作品を残しました。特にペカットモデルが高く評価されています。
■Le Canu Millant公式サイト
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GLA-0007 |
| ラベル |
LUAN RUY |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Luan Ruy氏の2011年作。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
重量は81gで標準、コシは強め、バランスが良いです。非常に良い材料を使用しています。パーツはシルバー。最高級の品質のものです。特にこの価格帯では非常に優れたものです。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Luan Ruy
現代ブラジルの弓製作者です。2005年より弓製作の道に入りました。彼は若手製作者ですが、類稀なる才能と技術をもっています。完璧な技巧と完璧な仕事によって、彼の作品はブラジル製弓の中で最高級品になりました。
彼はブラジルのBuzatto bows工房で修行を開始し、数年間働きました。2008年にManoel Francisco氏の下に来て、ラルシェブラジル社の弓製作の名人チームに参加しました。彼の技術力と品筆管理力が同社工房を導いています。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
STEFFEN KUHNLA |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
応談 |
|


 |
Steffen Kuhnla氏の2005年頃の作品。良い材料を使用しており、とても弾き易い弓です。重さは標準的で、コシは強めです。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Steffen Kuhnla(1961-、ステファン・クンラ)
1961年生まれ。R.Brass氏ならびにR.H.Leicht氏に師事。1988年にマイスター資格を得ました。翌1989年に開業。2007年のチャイコフスキー国際コンクール・バイオリン製作者部門の弓部門で第1位を受賞し、高く評価されました。
マルクノイキルヘン楽器製作学校の講師。ドイツ弦楽器・弓製作者協会(Verband
Deutscher Geigenbauer und Bogenmacher e.V.)の会員。アメリカ弦楽器協会VSA(The
Violin society of America)の会員。
■STEFFEN KUHNLA
|
 |
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
CLAUDE THOMASSIN |
| 製作地 |
FRENCH PARIS |
| 価格 |
応談 |
|
 
|
本人のオリジナル。1910年の作品です。
状態は完璧です。コシは強め。重量は標準的です。非常に弾きやすい弓です。
Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Claude Auguste Thomassin(1865-1942、クロード・オーギュスト・トーマッサン)
彼は、弓製作者Louis Joseph Thomassin(1856-c1904、ルイ・ジョゼフ・トーマッサン)の息子とされてきましたが、近頃では従兄弟だという説が有力です。彼の一族は馬具製作を生業としていたようですが、19世紀後半になると、弦楽器や弓製作の仕事をする人が複数出てきました。Claude Auguste Thomassinもその一人です。
1865年、ミルクール生まれ。Charles Nicolas Bazin(1847-1915、チャールズ・ニコラス・バザン)工房で修行を始めました。1885年頃にパリに出て、"GAND & BERNARDEL"工房で働きました。ドイツ人やVoirin派製作者達とも交流し、彼らの影響も受けたようです。同工房で働いていた期間、彼が製作した作品の多くには"GAND & BERNARDEL"の刻印が押されています。
1901年、"GAND & BERNARDEL"工房が"CARESSA & FRANCAIS"に継承され、彼は同工房を去りました。彼はこれを機会にパリで独立し自らの工房を構えました。彼は、それまでの雇い主達のために作品をいくらか提供し続けたようですが、1901年以降の作品の多くは、"C.Thomassin a Paris"のように彼自身の名前で作られました。
彼は1942年に亡くなりました。死後、彼が遺した道具や材料は、友人で弦楽器製作者Fernand Billottetによって引き取られ、さらにその一部はBernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)に移ったようです。
Claude Auguste Thomassinは、彼と同時代の弓製作者の中で最高の一人と評価されています。
|
| RAFFIN |
Jean Francois Raffin(1947-、ジャン・フランシス・ラファン)
現代フランスで最高の製作者の一人です。弓研究ならびに鑑定でも国際的に非常に有名です。1947年、パリ生まれ。1969年、ミルクールに行き弦楽器製作を学び始めました。
Etienne Vatelot工房で1年間修行した後、Bernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)の下で第1助手として17年間働き、弓製作の専門技能(弓の修復、製作、専門知識全てについて)を上達させました。
1979年、彼はフランス最高職工人コンテスト(Meilleurs ouvriers de France)の銀賞を獲得、この仕事での実務的知識を取得しました。同年、彼はGLAAF(Groupement des Luthiers et Archetiers d'Art de France:Association of French stringed instruments & bowmakers、フランス弦楽器・弓製作者協会)の会員になりました。
1989年、パリのローマ通り68に自身の工房を構え、国際協定(the International Guild)のメンバーになりました。
1992年、コルマール市(Colmar)で、独仏の弦楽器製作者達の前で講演を行いました。
1993年、Jean Seyral氏とともにスペインとの国境に近いバイヨンヌ市(Bayonne)に新しい工房(支店)を作りました。そこは、弓の修復者と専門家が非常に不足しているスペインに近いため、弓と弦楽器の需要が多い場所です。
同年3月と翌年、カナダ・ケベック州のエラン弦楽器製作学校(Elan School of stringed instruments)で養成コースの教師を務め、ケベック周辺の若い弓製作者ならびに弦楽器製作者達を指導しました。
1996年、公的な専門家としての称号を得ました。
2001年、4年間に渡る苦労の結果、Bernard Millant氏と彼は共著「Les TOURTE et les Archetiers Francais de 1750-1950」(トゥルテとフレンチ弓1750-1950)を出版しました。その著作では、フランスの全ての弓製作者の人生と仕事に関して写真と文章で説明し、彼らが長年に渡って得た知識と経験を総合して見せました。
現在、彼は単独で、鑑定と自身の弓製作に専念しています。
彼の娘Sandrine Raffin氏(1972-)が率いる工房が、弓製作ならびに古い弓の修復・修理を、新たに継続しています。彼の元助手達のうち何人かは、彼の教え・経験・助言指導を役立てながら、自身の工房を立ち上げました。
 |
Sandrine Raffin(1972-)
現代フランスの若手の弓・弦楽器製作者。
1972年にパリ近郊で生まれ、少女期の多くをフランス東部のロレーヌ(Lorraine)で過ごしました。父親と同じように、ミルクールで弦楽器製作の修行をしました。
1991年に弦楽器製作の技術課程を修了し、Jean Yves Rouveyre氏(1948-)ならびにJean Jacques Pages氏に師事してさらに修行を続けました。その後、パリに戻り、父親の工房に共同経営者として入りました。
修復・修理技術ならびに対外交渉の才能に恵まれ、彼女は弓製作の見習いと家族の工房の経営を始めました。
15年間におよぶ父親との共同作業の後、彼女は自分の工房を立ち上げ、父親の名前を継承しました。
左:Sandrine Raffin氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)
|
Etienne Vatelot(1925-、エティエンヌ・ヴァトロ)
現代フランスで最高の弦楽器・弓製作者の一人で、イタリアン楽器鑑定の権威者です。
父親に手ほどきを受け、1942年頃より弦楽器製作を始めました。優れた才能を発揮し、その楽器はオイストラフや、アイザック・スターンに高く評価されました。1970年、ミルクールの弦楽器製作学校の設立に尽力。
彼の名前を冠したパリ国際弦楽器製作コンクール(「Etienne Vatelotコンクール」も行われています。
■Jean Francois Raffin公式サイト
■Millant-Raffinの公式サイト(仏語)
■RAFFIN工房(Sandrine Raffin)
■Jean Jacques Pages公式サイト
■GLAAF公式サイト
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GLA-0029 |
| ラベル |
JACHSON FORNACIARI |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Jackson Fornaciari氏の2012年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。非常に弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的です。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jackson Fornaciari
2004年より活動開始したブラジル人弓製作者です。"Water Violet Bows"の工房で働いた後、"L'ARCHET BRASIL"に参加しました。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GLA-0030 |
| ラベル |
RAIMUNDO ALMEIDA |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Raimundo Almeida氏の2012年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。非常に弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的です。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Jackson Fornaciari
2004年より活動開始したブラジル人弓製作者です。"Water Violet Bows"の工房で働いた後、"L'ARCHET BRASIL"に参加しました。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
VC Bow |
|
GLA-0028 |
| ラベル |
JULIANO OLIVEIRA |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Juliano Oliveira氏の2012年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
最高級の材料を使用しています。非常に弾きやすい弓です。こしは強め、重量は標準的です。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Juliano Oliveira
彼は10年間以上、弓製作者として働いています。疑いなく、ブラジル弓製作者の新しい若い世代の優秀な一例です。Manoel
Francisco氏の監督下で働き、彼の作品は高い水準に達しつつあります。特に弾きやすさ、技能、美しさに関わる部分です。若く元気で勤勉な職人である彼は、ブラジルの若手弓製作者の中ではトップの一人です。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
CHARLES ALFRED BAZIN |
| 製作地 |
FRENCH MIRECOURT |
| 価格 |
応談 |
|

 |
1960年頃の作品です。完璧な状態です。コシは強め。バランスが良く、非常に弾きやすい弓です。重量は82gで標準的。
証明書あり
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Charles Alfred Bazin(1907-1987、シャルル・アルフレッド・バザン)
弓製作者Charles Louis Bazin氏(1881-1953、チャールズ・ルイ・バザン )の次男。長男Rene Bazin氏(1906-1982)は弦楽器製作者になりました。
1922年頃より、Charles Alfred Bazin氏はBazin工房で修行し、同工房で働きました。1945年にミルクールで彼自身の工房を設立し、1952年に父Charles
Louis Bazin氏を継ぎました。1980年に引退し、偉大なバザン一族最後の弓製作者になりました。
Charles Alfred Bazin氏の工房で修行し働いた製作者には、Francois Lotte、Rene Lotte(Francois Lotteの従兄弟)、Louis Morizot、Louis Gillet、Marcel Lapierre、Jean-Claude Ouchard (Emile A.Ouchardの息子)の各氏達がいました。Charles Alfred Bazin氏はPierre Guillaume氏(ピエール・ギヨーム)が、師事した一人でもあります。
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
W.E.HILL&SON |
| 製作地 |
LONDON |
| 価格 |
応談 |
|


 |
HILLのチェロ弓、1930年の作品です。完璧な状態。バランスが良く、弾きやすい弓です。重量は78.5gで標準よりも少し軽め。女性や小柄な方にお薦め。
証明書あり
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
W.E.HILL&SONS
1880年から1992年まで続いたロンドンの弦楽器・弓製作工房です。「William Hill
& Sons」あるいは「William E. Hill & Sons」という名でも知られています。多くの優秀な製作者がこの工房で働き、Hillsは弓製作工房として(バイオリンやチェロなど弦楽器製作でも同様)非常に有名でした。
なお数種類の刻印がありますが、製品ランクの高い順にW.E.HILLS&SONS、HILL&SONS、HILLと刻印が使い分けられています。
また、製作者を示す印がつけられているものが多いです。(下記参照)
| Arthur Scarbrow(?-?) |
チップ底面に数字の0 |
| Arthur Copley (1903-1976) |
チップ底面に数字の1 |
| Edgar Bishop (1904-1943) |
チップ底面に数字の2 |
| Albert Leeson (1904-1946) |
チップ底面に数字の3 |
| Leslie Bailey (1919-?) |
チップ底面に数字の4 |
| Arthur J Barnes (1888-1945) |
チップ底面に数字の5 |
| Arthur Bultitude (1908-1990) |
チップ底面に数字の6 |
| William Watson (1930-) |
チップ底面に数字の7 |
| Malcolm M Taylor(?-?) |
チップ底面に数字の8 |
| Arthur Brown(?-?) |
チップ底面に数字の10あるいはローマ数字のX |
| William C Retford (1875-1970) |
チップ底面に点が1つ |
| William R Retford (1899-1960) |
チップ底面に点が2つ |
| Frank Napier (1884-?) |
チップ底面に三つ葉模様 |
| Sydney Yeoman (1876- 1948) |
ヘッド接合面の下部に1本の刻み目 |
| Charles Leggatt (1880-1917) |
ヘッド接合面の中央に二本の刻み目 |
| William G Johnston (1860-1944) |
ヘッド接合面に1904年前までは下向きの刻み目
1904年以後は水平の刻み目 |
| Sam Allen (1838-? ) |
印無し |
| William Napier (1848-1932) |
メーカ名刻印無し |
| James Tubbs (1835-1921) |
W E Hillの刻印(二つあるものも見られる) |

チップ底面の刻印例。数字の3が刻印されていることから、Albert Leesonの作品だということがわかります。 |

スティック下面の刻印。
|
| ※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。 |
|
| 種類 |
VC Bow |
|
|
| ラベル |
VICTOR FRANCOIS FETIQUE |
| 製作地 |
FRENCH |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Victor Francois Fetique本人のオリジナル、1925年の作品です。状態は完璧。良い材料を使用しており、バランスが良く非常に弾きやすい弓です。コシは強めです。重量は78gで少し軽め。
名弓の1本だと思います。お問合せはお早めに。
Jean Francois Raffin氏の証明書はこちら。
※上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Victor Francois Fetique(ヴィクトル・フランソワ・フェティーク、1872-1933)
Victor Francois Fetiqueは、1872年にミルクールで生まれました。
なお、弟Jules Fetique(ジュール・フェティーク、1875-1951) も優れた弓製作者でした。息子Marcel Gaston Fetique(1899-1977)も父の指導を受け弓製作者になりました。
Victor Francois Fetiqueは、父Charles Claude Fetique(1853-1911) ならびにHusson一族の工房で修行し、Charles Nicolas BazinU(1847-1915)の工房で研鑽を積みました。 1901年、Bazin工房での修行を終え、パリに出てCARESSA&FRANCAIS工房で12年間働きました。1913年、41歳の時にパリで独立しました。独立後まもなく、高い評価を得て成功。注文数が彼一人ではこなしきれなくなったため、弟をはじめ、ミルクールの中心的な製作者に委託生産をしてもらったこともあるようです。1933年、60歳で亡くなりました。
彼は若くして卓越した才能を発揮し、Bazin工房での研鑽を経て一級の弓製作者になりました。フランスの優秀な職人に贈られる「Unedes meilleurs ouvriers de France」も受賞しています。一方、フランス弓の伝統を引き継ぐ優秀な弟子を多く育てました。彼の作品は非常に高く評価されていますが、本人(ならびに愛弟子)作、工房作、委託生産品(ミルクール製を彼が仕上げたもの)の3種類があるとされています。本人作はもちろんですが、息子や甥Andre Georges Richaume(アンドレ・リショーム、1905-1966)と共同で製作したものも高く評価されています。
|
| RAFFIN |
Jean Francois Raffin(1947-、ジャン・フランシス・ラファン)
現代フランスで最高の製作者の一人です。弓研究ならびに鑑定でも国際的に非常に有名です。1947年、パリ生まれ。1969年、ミルクールに行き弦楽器製作を学び始めました。
Etienne Vatelot工房で1年間修行した後、Bernard Millant氏(1929-、ベルナルド・ミラン)の下で第1助手として17年間働き、弓製作の専門技能(弓の修復、製作、専門知識全てについて)を上達させました。
1979年、彼はフランス最高職工人コンテスト(Meilleurs ouvriers de France)の銀賞を獲得、この仕事での実務的知識を取得しました。同年、彼はGLAAF(Groupement des Luthiers et Archetiers d'Art de France:Association of French stringed instruments & bowmakers、フランス弦楽器・弓製作者協会)の会員になりました。
1989年、パリのローマ通り68に自身の工房を構え、国際協定(the International Guild)のメンバーになりました。
1992年、コルマール市(Colmar)で、独仏の弦楽器製作者達の前で講演を行いました。
1993年、Jean Seyral氏とともにスペインとの国境に近いバイヨンヌ市(Bayonne)に新しい工房(支店)を作りました。そこは、弓の修復者と専門家が非常に不足しているスペインに近いため、弓と弦楽器の需要が多い場所です。
同年3月と翌年、カナダ・ケベック州のエラン弦楽器製作学校(Elan School of stringed instruments)で養成コースの教師を務め、ケベック周辺の若い弓製作者ならびに弦楽器製作者達を指導しました。
1996年、公的な専門家としての称号を得ました。
2001年、4年間に渡る苦労の結果、Bernard Millant氏と彼は共著「Les TOURTE et les Archetiers Francais de 1750-1950」(トゥルテとフレンチ弓1750-1950)を出版しました。その著作では、フランスの全ての弓製作者の人生と仕事に関して写真と文章で説明し、彼らが長年に渡って得た知識と経験を総合して見せました。
現在、彼は単独で、鑑定と自身の弓製作に専念しています。
彼の娘Sandrine Raffin氏(1972-)が率いる工房が、弓製作ならびに古い弓の修復・修理を、新たに継続しています。彼の元助手達のうち何人かは、彼の教え・経験・助言指導を役立てながら、自身の工房を立ち上げました。
 |
Sandrine Raffin(1972-)
現代フランスの若手の弓・弦楽器製作者。
1972年にパリ近郊で生まれ、少女期の多くをフランス東部のロレーヌ(Lorraine)で過ごしました。父親と同じように、ミルクールで弦楽器製作の修行をしました。
1991年に弦楽器製作の技術課程を修了し、Jean Yves Rouveyre氏(1948-)ならびにJean Jacques Pages氏に師事してさらに修行を続けました。その後、パリに戻り、父親の工房に共同経営者として入りました。
修復・修理技術ならびに対外交渉の才能に恵まれ、彼女は弓製作の見習いと家族の工房の経営を始めました。
15年間におよぶ父親との共同作業の後、彼女は自分の工房を立ち上げ、父親の名前を継承しました。
左:Sandrine Raffin氏(2010年1月、工房訪問時に撮影)
|
Etienne Vatelot(1925-、エティエンヌ・ヴァトロ)
現代フランスで最高の弦楽器・弓製作者の一人で、イタリアン楽器鑑定の権威者です。
父親に手ほどきを受け、1942年頃より弦楽器製作を始めました。優れた才能を発揮し、その楽器はオイストラフや、アイザック・スターンに高く評価されました。1970年、ミルクールの弦楽器製作学校の設立に尽力。
彼の名前を冠したパリ国際弦楽器製作コンクール(「Etienne Vatelotコンクール」も行われています。
■Jean Francois Raffin公式サイト
■Millant-Raffinの公式サイト(仏語)
■RAFFIN工房(Sandrine Raffin)
■Jean Jacques Pages公式サイト
■GLAAF公式サイト
|
| 種類 |
BASS Bow |
|
GST-1059 |
| ラベル |
SEFERT |
| 製作地 |
|
|
 |
| 以下4本のフレンチBASS Bowについて高騰前の旧レートでご提供します。お手頃な価格のフレンチBOWをお探しの方にお薦め。お問合せはお早めに。 |
| 種類 |
BASS Bow |
|
GST-1058 |
| ラベル |
W-SEIFERT |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
189,000円
(税抜180,000円) |
|
|
| 種類 |
BASS Bow |
|
GST-1057 |
| ラベル |
GOTZ |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
157,500円
(税抜150,000円) |
|
|
| 種類 |
BASS Bow |
|
GST-1051 |
| ラベル |
GOTZ |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
126,000円
(税抜120,000円) |
|
|
| 種類 |
BASS Bow |
|
GDA-1750 |
| ラベル |
KNOLL |
| 製作地 |
GERMANY |
| 価格 |
73,500円
(税抜70,000円) |
|
 |
| 種類 |
BASS Bow |
|
GLA-0014 |
| ラベル |
MANOEL FRANCISCO |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Manoel Francisco氏の2011年作です。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
状態は完璧。最高級のヘルナンボクを使用しています。ラッピングとリングはシルバー。ベース弓としては最高級品です。重量は136gで標準的、コシは強め。
円高の影響でリーズナブルな価格て提供できますので、お問合せはお早めに。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Manoel Ribeiro Francisco
現代ブラジルを代表する弓製作者の一人で、1995年にこの道に入り働いています。経験豊富な弓製作者であり、ブラジルのウォータ・バイオレット・ボー社(Water Violet Bows)の品質管理責任者として10年間働きました。ビトリア(Vitoria-ES Brazil)の近くに自身の工房をもっており、弓製作者として働き続けています。彼は疑いなくブラジル最高の弓製作者の一人です。彼の弓は、その弾きやすさと美しさで世界的に知られています。美しい仕上げと驚嘆すべき職人技が彼の弓の特徴とされています。ブラジルで作られたヘルナンブコ材の弓で最高級品の一つであることは間違いありません。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
| 種類 |
BASS Bow |
|
GLA-0017 |
| ラベル |
LUAN RUY |
| 製作地 |
BRAZIL |
| 価格 |
応談 |
|

 |
Luan Ruy氏の2011年作。アメリカのL'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)社の依頼で製作されたものです。
状態は完璧。最高級の材料を使用しており、ベース弓としては最高級品です。重量は136gで標準的、コシは強め。
円高の影響でリーズナブルな価格て提供できますので、お問合せはお早めに。
※画像をクリックすると拡大画像が表示されます。
Luan Ruy
現代ブラジルの弓製作者です。2005年より弓製作の道に入りました。彼は若手製作者ですが、類稀なる才能と技術をもっています。完璧な技巧と完璧な仕事によって、彼の作品はブラジル製弓の中で最高級品になりました。
彼はブラジルのBuzatto bows工房で修行を開始し、数年間働きました。2008年にManoel Francisco氏の下に来て、ラルシェブラジル社の弓製作の名人チームに参加しました。彼の技術力と品筆管理力が同社工房を導いています。
L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
アメリカ合衆国フロリダ州のウェリントン(Wellington)に本社がある、弓ならびに楽器・材料・付属品の卸販売会社です。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、日本そしてオーストラリアの楽器商、楽器職人や正規販売店に上記商品を販売しています。
1996年、Eberson Nonnenmacher(エバーソン・ノネンマチャー)氏とJorge Monteiro(ジョージ・モンテーロ)氏によって設立されたユナイテッド・ストリング社が前身です。そこで得られた経験により、彼らはマーケットがより精力的で柔軟な企業を必要としていることに気がつきました。それは、ブラジル産のヘルナンブコ材を用いた弓の人気が高まっていて、同社でも多数扱うようになっていたことに現れています。そこで同社は社名をラルシェブラジルに変更しました。ブラジル産弓への需要がラルシェブラジルへの発展の基礎となりました。
同社の現在の主力商品は弓です。ヘルナンブコ材を用いたハンドメイド弓をブラジルの優秀な製作者達に発注しています。また、弦楽器はアメリカのSteven T.Cundall工房が製作した"Giorgio Luigi Belloso"を取り扱っており、他にも製作者向けの各種材料やパーツ、アクセサリー類も卸販売しています。
■L'ARCHET BRASIL(ラルシェブラジル)
|
|
|
 |
|