彼は父親から短期間弓製作の手ほどきをうけた後、Charles Francois Peccatte(1850-1918)※の工房で本格的な修行をするためにパリに出ました。Peccatte工房など複数の工房に出入りし修行しましたが、早期において仕事の手早さと確かさを認められました。パリに着いてまもなく、Joseph Alfred Lamy(1850-1919)※の工房に移りました。Lamy工房での修行期間中、彼は偉大な師Lamyの教えに従うとともに、彼自身の作品創造につながる刺激を得ました。
1887年には若くしてブリュッセルのコンクールで金賞受賞し、1889年にパリで独立しました。まだ18歳でした。1894年にはリヨンのコンクールで金賞。1900年、パリの国際コンクールで第一位を得るなど数多くのコンクールで首位を取り続けました。
主な弟子にはJules Fetique(1875-1951)、Louis Joseph Morizot(1874-1957)、Louis Henri Gillet(1891-1970)がいます。
※ Joseph Alfred Lamy(1850-1919)
優れた製作者を複数輩出したLamy一族でも最も高く評価されています。ミルクールに生まれ、幼少時より弓製作の修行をしました。1876年頃、Francois Nicolas Voirin(1833-1885)の工房に入り、師匠Voirinの死後に独立。1889年頃にEugene Nicolas Sartoryが弟子入りしています。
Francois Nicolas VoirinはJean Baptiste Vuillaumeの従兄弟にあたり、Vuillaumeの工房で指導的役割を果たしていました。
Charles Francois Peccatte(1850-1918)
父Francois Peccatte(1821-1855)は19世紀の弓製作の巨匠Dominique Peccatte(1810-1874)の弟です。父は弓製作において兄にひけをとらない才能を発揮し、兄の工房で共に製作活動を行いましたが34歳で夭折しました。そのため叔父Dominique Peccatteの影響を強く受け、兄弟の中でただ一人弓製作の道に入りました。